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【拝啓ケロッグ様】留学中の精神安定剤が「プリングルズ」だったという話

Dear Kellogg Company

ほんのりとする塩味。

パリッの後のザクザク音。

ザラザラとした舌触りに惹かれた。

そう、何を隠そう「プリングルズ」は僕にとって欠かすことのできない存在だった。知らない人のために一応記述しておくと「プリングルズ」はアメリカで生まれたポテトチップ系のお菓子のことである。1968年に生まれ、現在では約140か国で発売されているほどの超ロングヒット商品である。多種多様なフレーバーとカラフルなパッケージが特徴で、多くの国で愛されているのだ(ちなみに僕もそのうちの1人だ)‼︎

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本題に戻ろう。あえて大袈裟に言うと、僕は「プリングルズ」があったからこそ約半年間の「ヘルシンキ生活」を凌ぐことができた。

ヘルシンキとプリングルズ

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2018年の11月。8月から首都ヘルシンキに滞在していた僕にとって、ハネムーン期に浸っていた僕にとって、衝撃の出来事が起こる。

北欧の「日照時間短すぎ問題」だ。

ご存知の通り、北欧諸国では冬になると「日の光」が異常に短くなる。いわゆる「極夜」だ。とは言え、11月は1月〜2月に比べると、まだ「お日様の光」が顔を出している。しかし、そんなこと日本人の僕にとっては些細な違いに過ぎない。とにかく暗い。朝の授業のために、少し明るんだ空を見ながら家を出る。4時間ほど授業を受けて校舎から出る。すると、薄暗い。当然、一度「薄暗くなった空」が明るくなるはずもなく、そのまま暗さを増す

それの繰り返し。

北欧人は「幸福度が高い」と有名だけれど「自殺率」が高いことは知らない人が多い。一説によると、これは「日の光の少なさ」が原因であると言われている。日の光を当たることにより、人間はビタミンDを生成する。このビタミンDは、うつ状態とも関連があるそうで、不足することで「気分の落ち込み」や、最悪の場合「うつ病」を発症してしまうそうだ。そのため、一部の北欧人は「強い光を発する蛍光灯」を積極的に浴びるのだとか。

とまぁ、蘊蓄を垂れ流すのはこの辺にしておこう。つまり、僕は2018年の11月に「日光欠乏」によって「激しい気分の沈み」を体験してしまったのだ。当初掲げた「フィンランドの教育をこの目で、この肌で感じる」という崇高な目標も、友達100人できるかな〜作戦も、もうどうでも良くなってしまった。課題は多い。外は寒い。日本語話者はほとんどいない。日本との時差で親友に電話もできない。行き詰まり、何も考えず「ぼーっと」過ごす日が増えた。

そんなある日、気分転換に立ち寄った「Kamppi Shopping Mall」にて、可愛らしいパッケージのお菓子を見つけた。そう、それが僕と「プリングルズ」との出会いの始まりだ。正直、一目惚れだった。元来、CDを「パケ買い(パッケージ買い)」する気質だったのも重なった。

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「プリングルズ」は、各国・各地域に合わせて「パッケージや独自の味」を開発している。僕が出逢ったのは「フィンランド国旗🇫🇮バージョン」だったようだ。人と関わることを避け、課題に集中するようになっていた僕にとって、食べ「物」であった「プリングルズ」は容易に懐に入った。というより、胃袋までも掴まれた。

懐かしい味だった。

程よい塩加減と、一枚一枚の軽さ。無心に無性に、僕はまるまる缶1つ分の「プリングルズ」を平らげてしまった。たかが「食べ物」、されど「食べ物」である。特別何かが変化したわけでも、頭の中のモヤモヤが取り除かれたわけでもない。ファンタジーではないので、そんなスピリチュアルなことは起こらない。

ただ、懐かしさだけが胸に残っていた。

いつのことだろう。

あ、高校3年生の部活動だ。

ミステリー小説のように、物語の核心を握るような仰々しいストーリーなどではない。ただ、高校3年生の「バドミントン部」最後の大会が終わった後、開かれた「さよなら会」で「プリングルズ」を食べていたことを思い出したのだ。

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いつからだったろう?

自分に嘘をつき始めたのは。

いつからだろう?

妥協を始めたのは。

どこからだったのか?

現実から眼を晒したのは。

高校3年生だった自分は、無知で、向こう見ずで、泥臭くて、怖れ知らずで、前向きで、自己中で、楽天的だった。カッコ悪いけれど、カッコつけだった。

大学に入って「井の中の蛙」が大海を知ってしまった。自分より何百倍も頭のキレる人、勉強だけじゃなくて他の領域で才覚を持つ人、天使のように心の優しい人、目標達成のために努力を惜しまない人。その誰もが「芯」を「軸」を持っていた。

人は死の直前、走馬灯を見ることがあるらしい。一説によると、多様で多量の記憶の図書館から「生き残るのに必要」な知識の記述を探しているのだとか。

そんな大袈裟なものでもないが「プリングルズ」を食べ終わり、ぼーっとした瞬間、こんな思考が頭を駆け巡ってしまった。生きてがんばろうと思ってしまった。ふと、思わされた。

たぶんこれは、懐かしい音楽を聞いたときや、ふとした瞬間に嗅いだときに「特定の記憶」を思い出すみたいな、そうゆうことなのだと思う。それが、ただ僕にとっては「プリングルズ」だったという。それ以上でも、それ以下でもない話。

さぁ、今日も僕は僕なりに1日を始める。

不思議なことに、次に「プリングルズ」を食べるときは、あのどんよりとしたヘルシンキを思い出すに違いない。

Best regards,

Samahika




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