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「私は宇宙人。」第2話

第2回宇宙会

小鳥のさえずりや太陽の日差しで目を覚まし、早く起きて朝食に味噌汁と目玉焼きを作る。そんな生活を想像していた。いや、今思えばそれは幻想という名の妄想だった。

「ありがとう、と君に言われるとなんだかせつない さようならの後も〜♪」

宇多田ヒカルのFlavor Of Lifeで目を覚ます。
今日は、仕事はないが宇宙会の日だ。しかも、担当は僕である。社会人の貴重な2日の数時間を捧げるなんて、側から見たらやはり宗教と思われても仕方ないかと思いながら、少しでも綺麗に見せるため、自室の片付けを始める。

僕が生まれる少し前。
死者14人、負傷者6,300人を出した「地下鉄サリン事件」という凄惨な事件が東京で起きたらしい。オウム真理教という宗教団体が引き起こし、宗教の恐ろしさや固定概念を形成した今なお語り継がれる事件。

ただ僕は大人になるにつれ、全ては宗教じみていると感じる。特に、大都会東京ではそうだ。色んな人が、それぞれの主義主張に従い、独自のコミュニティを形成している。もちろん、未所属派も多数いるが、かなり多くの人々がどこかの団体に片足を突っ込んでいると言って良い。環境問題に意識が高く、海洋プラスチック削減のためにビーチクリーンに参加する者、性的マイノリティを主張し同性婚を求め抗議する者、己の利益のためにネズミ講に手を染める者、ジャニーズオタクや宝塚ファン、映画マニアだって、言ってみれば宗教だ。それぞれが、信じる者を崇め、奉り、畏怖する。1人、2人とその輪が広がり、コミュニティができる。宗教と名は付かずとも、性質を一にする。

未所属にも2種類いる。
「確固とした信念を持つ者」と「持たざる者」。前者は、経験や知識から揺るぎない自分を確立し、他者に感化干渉されることはない。後者は何も考えていないか、考えた挙句に考えることを放棄した者が含まれる。

前者になりたかった、前者でありたかった。
ただ、僕は前者になるには脆すぎる。何かを成し遂げるには弱すぎる。スーパーヒーローに憧れ、いつか自分も空を飛びまわり、人々を助けたい。そう思っていた幼少期の自分は、いつしか市民になりたがった。サザエさんのような家庭を持つこと。いつしかその程度でいいかと思うようになった。目を煌めかせ、ただ憧れ、無為に日々を過ごすうち、我を忘れた。したいことが見つからない。やりたいことがない。何もせず、ただ時だけが経つ人生に不安や葛藤で押しつぶされそうになりながら、やっとの思いで掴んだチャンス……

「宇宙会」は、僕にとって希望だ。
そうこうしているうちに、チャイムが鳴る。
今日こそは伝えなくちゃ。決意して、扉を開ける。

思ったよりも早く、全員が集まった。
やはり、アースは年長者だ。第1回の集会は、かなり準備されていたものだと自分の番になって分かる。本を読むのと書くのでは、絵を見るのと描くのでは、イベントに参加するのと主催するのでは、根本的に違う。やってみないと気づかないことがある。当事者にならないと分からないことがある。

東京都葛飾区高砂。京成高砂駅から徒歩5分のアパートは、秋田から東京に上京してきた3年前から住んでいる。就活の内定から2カ月、不動産屋を仲介して内見を行い、立地と内装、家賃を総合的に判断した。3階建てアパートの2階、7畳半、家賃6.8万円の好物件だ。とは言え、今回は大人が5人も来るため、どうしても窮屈にはなるだろう。そんなことを回顧していると、ネームプレートを置いていないことに気づく。

「あ、すみません。置き忘れてましたね」
「いえ、気にしないでください」

ヴィーナスは唯一、この中でも話が通じそうな常人だ。最初の集会でも、1人だけ目が泳いでいるのが見てとれた。逆に信頼できそうだと感じる。そもそも、こんな怪しい会に参加する人は、僕を含めどこか狂っているんじゃないかと、そう思う。

私服を見せたくないのか、授業もないのに、緑のリボンと、差し色のえんじ色が特徴的なセーラー服姿のムーン(これが本当のセーラームーン…)。僕の持ち物より遥かに高価そうな、おそらくオーダーメイドであろうスーツをピシッと着こなすマーズ。綺麗めシルエットのベージュリブパンツに、薄紫のブラウスとパステルコーデのヴィーナス。そしてハイブランドで固めた、パーティにでも行くかのような装いのジュピター。極めつけは、春なのに夏を連想させるド派手なアロハシャツのアース。ここが開けたカフェであったなら、側から見て異質な集団すぎて職務質問を受けそうだ。

「お、お集まりいただきありがとうございます。それでは、第2回集会を始めさせていただきます。では、早速ですが、各々の課題とその報告をお願いします」

僕は、予め運営から送られてきた内容通りに読み上げる。

あまりにも棒読みだったからか、僕の声の震えを感じてか、はたまた思い出し笑いなのかは分からないが、皆の口角が少しずつ上がっているように思えた。今日は、他の皆がどんな課題を与えられたのかがわかる。それは、そこまで重要なことではないけれど、些細な事ながら、僕たちを繋ぐ唯一の話題だ。「人類にとっては微々たることでも、僕らにとっては大きな情報」である。

「では、俺から。課題は『1日に2回ありがとうを言われる』というものです。普段あまり意識しとらんかったんやけど、意外と狙って言わせるのは骨が折れるなぁ。毎日ギリギリこなしてる感じです」

ぎこちないが段々と砕けた口調でマーズが話し出す。所々出る関西弁が気立の良い兄貴感を醸し出している。頭の回転が早く、口達者なタイプだろうか。

「それは実に良い課題だ。昔から善行は巡り巡って自分に帰ってくると言いますし。私も若い頃は…」

と、アースの話が長くなりそうなのを察してか、ジュピターが続ける。

「どうやって言わせてるのー?確かに、意識した事なかったけど一日にありがとうってそもそも数言わないよね。大変そー」

「んー。俺は、仕事を上手く使ってるよ。部下が困ってたら手伝ったり、奢ってやったりして。そうしてるうちに段々気づくんだ。服屋やカフェ、タクシーや電車で働く人もありがとうを言ってることに。そうしてるうちに世の中、案外捨てたもんじゃないんじゃないなって思える」

偽善だ。そんなものはまやかしだ。
第一、部下から成長の機会を奪ったり、金で解決しようとしたりするのが気に食わない。服屋やカフェの店員の「ありがとう」は、謝意ではなくマニュアルだろう。決められたルールに則り、ただ何も考えず言っているにすぎない。無関係の第三者を助ける見返りのない行為こそが、善意善行と呼ばれるべきではないか。あたかも仕事のノルマでもこなしているような言い方からして、きっと彼が嬉しいのは「ありがとう」を言われること自体ではなく、回数ノルマを達成している自分への愛からだろう。

「自分に酔ってますね」
喉元まで出かかった言葉を飲み込もうとすると、どこからともなくそんな声が聞こえてきた。

ムーンだ。今まで最低限の言葉しか口にしてこなかった彼女を、僕は気が弱く、寡黙な少女として認識していた。ただ、短く放った言葉は、場を凍り付かせるのには十分だった。

「え?お嬢ちゃん何かいった?」
「はい。酔ってますね、と言いました」
「いやいやシラフだよ」
「いえいえ、自分に酔ってますね、という意味です。良いことをして、さぞ気持ち良くなっているんでしょうが、所詮あなたがやってることって、口をパクパクさせて待ち構える鯉に餌をやるみたいな行為ですよ」
「それの何が悪いんかな?世の中、持たざる者が持つものに与えるもんなんよ。ノブレスオブリージュって言葉知らんへんの?」

マーズの語気が強まる。

「当然知っていますよ。ということは、あなたはご自身を優秀で地位の高い人と認識しているのですね。なんて傲慢なのかしら」
「じゃあ、あんたならどうするんや。どうやってありがとうを言わせる?」
「言葉がままならない幼稚園児に質問されました。さてあなたならどう答えますか?日本語を習って間もない外国人に、駅までの道を尋ねられました。さてどうしますか?足し算しか知らない人に、引き算を教えるには?いただきますを言う習慣のない人々に、その意味や用途を完璧に伝えるにはどうすれば良いでしょうか?」

際限のない言葉の応酬にたじろぎながら、アースが割って入った。

「ちょっと2人とも落ち着いて。ムーンは節度を、マーズは謙遜を、それぞれ学ばないといけないね…はい。では僕の番だ」

さすが年の功。
おちゃらけていても、最年長の言葉に場が締まる。

「わしの課題は『やっていなかったことに挑戦する』でした。とは言え、やりたいとことやれ言われても中々出てこんで。この1週間で1つしか出来んかったわ。1人カラオケ行って、中島みゆきと香西かおり歌ってきてん。案外悪なかったわぁ」

普段なら即刻切り上げたい会話も、険悪な雰囲気を少しでも和らげる緩い話題に胸が軽くなる。

「良いですね。銀の龍の背に乗って!Drコトーはハマりました」

よほどお気に入りだったのか、先ほどとは打って変わって上機嫌なマーズ。ここは、やはり艱難辛苦を乗り越えてきた大人と言った感じだ。切り替えがはやい。

「銀の龍の背に乗って〜♪運んでいこう。あの〜雲の渦を〜♪」

集会が一瞬カラオケボックスと化したことで場が和んだのか、盛り下がったというべきか、軽く合いの手を入れていた(おそらく)水商売経験者のジュピターが続ける。

「はい!じゃあ、次あたしね。あたしのは結構最悪だったんだけど『嫌いな人に会うこと』でした」
「え、めちゃハード」

思わず本音がこぼれる。

「でしょー!?まじ最悪だよね。ほら、あたしって好き嫌いすごいタイプじゃん?好きになった男は、一目惚れだろうが何だろうが努力して落としてきたわけ。でも、一回手に入っちゃうと萌えないんだよね。そう、熱しやすく冷めやすい鉄みたいな性格なわけよ。だから、一回嫌いってなった人とは連絡もとらないし、顔も見たくないわけ」

「分かります」

ジュピターの言葉に目を煌めかせ、同意したのは意外にもヴィーナスだった。

「分かるんです、私。裏切られた時の悲しみ、憎しみ、怒りや戸惑い。お腹の中の、それまた下の方にモヤモヤが溜まって、胃に滞留する感じ。マグマ…かもしれません。火山噴火の動画とか見たことありません?一見熱くないように見えるんです、でも触ったら火傷どころじゃ済まない。嫌いな人には、特に嫌いになった瞬間は、そんな気持ちになります」

「良かった、同志がいてー。分かる、その人がいなくなっても、気持ちは固まって残るもんね。決して消えないし、取り去るのも大変。だから、まだ私は、このお題に関して何もできてないの」

意外だった。
男関係にだらしなさそうなジュピターは置いておいて、お淑やかなだけだと思っていたヴィーナスにも、嫌いな人がいるなんて。一体、彼女に何をすればそこまで嫌われることがあろうか。

「では、私の番ですね。私は丁度今も実践してたんですが『偽らず、心の赴くまま行動すること』が課題なんです。私、嘘つきなんです。ホラ吹き少年もびっくりするくらい。やりたいことに蓋をして、言いたいことを飲み込んで、好きなことに目を背けて来たんです。今の仕事だって、管理なんてしたくなかった。東京に異動になった時は内心、やったって思いました。ガッツポーズしました。これで嫌いなことをしなくてすむんじゃないか。私がやらなくても、誰かがやってくれる仕事はやりたくなかったんです。やりたいことを、やりたかったんです。でも、新しい部署でもコピーライターにはなれなかった。誰かが作った広告の、誰かのクリエイティブに付随する法的処理、金銭処理。いつしか、やりたいなんて思わなくなりました。思えなくなりました。そんな時、宇宙会に出会って、馬鹿げてるけど何か変わるんじゃないかって。キッカケが欲しかったんです。だから、だから私は今を精一杯生きようって。自分に嘘をつくことをやめようって思えました」

羨ましかった。
やりたいことをやりたいと、好きなことを好きと言えるヴィーナスが、雲の上の人のように思えた。出逢った時は、たしかに彼女はここにいた。僕の隣にいたはずだ。この1週間で彼女が経験したであろうことを想像していると、誰かの拍手が聞こえてきた。

「おめでとうヴィーナス!殻を破って蝶になったんやな。一朝一夕でできることやないと思うし、努力するヤツを俺は応援するで。後は、それを継続することと責任に耐えることやな。言われたことをこなすことと、やりたいと言ってやることは根本的にちゃうんよな。後者は、より辛く、誰の助けも得られん可能性のある修羅の道。その分、頂に登った時の達成感たるや言葉では言い表せられんものがある」

まるで部下に “ありがたい” 説教を垂れるかのような口調で、マーズが続ける。

「登った先に見えたものが暗闇だったとしたら?」

ずっと口をつぐんでいたムーンが話し始めた。

「交尾を終えた後の雄カマキリがどうなるか知ってる?数割は雌カマキリに頭から捕食されて、栄養になるの。その時、雄カマキリは何を思うんだろうね。愛するモノにたべられ、果てる時。子どもは何を考えるんだろうね。パパがママに食べられるとき。生殖という生物の根源を極めたのに、待つものが惨憺たる死だとしたら…それでもあなたは前に進みたい?」

言い方に棘はあるものの、彼女の言うことは芯をついている。しかも今回は、マーズの時のような指摘というよりは、友人としての問いかけのように聞こえた。

「はい。それでも私はやります。それが私のやりたいことだから、そう決めたから。私、後悔したことがないんです。よく羨ましがられるけれど、皆んなが思うような意味じゃない。私は、思いや、考えや、気持ちや、思想や、思考や、価値観や基準や思慮に蓋をしてきました。AとBがを思っても、Cがあればそれを選びました。AとBの気持ちに嘘をついて、最初からCを選んだと思い込むようにしてきました。だから、私は後悔の味を知らないんです。苦くて、重くて、暗くて、深い。でもどこか晴れ晴れする、そんな後悔をしてみたいと思います」

まっすぐムーンを見つめ、毅然とした態度のヴィーナスは、出逢った時よりも遥かに美しく見えた……

アース

東京の移ろいは激しい。
昨日見ていたずの景色が、今日はどことなく違って見える。それは単に、私の視点が変わっただけかもしれないし、本当に何かが変わっているのかもしれない。近所の建物が壊されるのは、これで10回目だ。結婚し、家庭を持って約20年。妻には先立たれ、子どもは年に一度帰ってくれば良い方だ。地方から上京してくる学生や社会人、単身赴任のサラリーマンに独居老人など、周りを見渡せば様々な人が暮らしているのが見て取れる。

彼らが何をして、どう生きてきたのか。
解体されていく家の中をぼうっと見ていると、家の構造が、部屋の内装が、ときには残された中身がそっと語りかけてくる。この年になれば、世の中のほとんどを経験していると思っていた。長い時間の中で、知らないことを多く知ったけれど、それ以上に知らなかったことが多いことを知った。40歳の時は50歳が、50歳は60歳が、中学生が高校生を見るときのように全知の神のように漠然と見えていたけれど、自分に照らしてみると、想像していたよりも遥かにちっぽけに思える。

ジュピターの家は、いかにも若者が住んでいるといった風の部屋だった。家には、実家からの仕送りなのか、一人暮らしにしては大量の米があり、所々ほこりっぽさやカビのにおいを感じた。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。逆に、人の温もりを感じた。あたたかかった。

今日の集会は、前回と異なりかなりの白熱を見せた。

物静かに見えたムーンは吠え、殻を破ったヴィーナスは成長した。

ただ私は、それが悪いとは思わない。
最近の若者は血の気が多いとか、思慮が足りていないなんてことを言うつもりは毛頭ない。そんなものは、現実が見えていない世代論者の暴言だ。いつの時代も節度のない輩は一定いるし、逆に将来についてよく考えている若者だって多い。確かに撤廃すべきルールや、限度を超えた人々もいるが、大切なのはいがみ合いではなく、助け合いではなかろうか。バランスをとることの重要性について考えていると、声が聞こえた。

「アース!ちょっと今、お時間大丈夫ですか?」

振り向いた先にはマーキュリーがいた。
集会が終わり、みんなが解散した後、わざわざ追いかけてきたようだ。

葛飾区の地域性は、昔ながらの人情味にある。
「男はつらいよ」や、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」で描かれるように、人と人の結びつきが強く、こじんまりとした地元民向けのカフェも多い。私は、マーキュリーに誘われ、彼のいきつけだというカフェ「喫茶・曼荼羅」に行くことにした。

マンダラとは、サンスクリット語で「輪」という意味なんです、と彼は教えてくれた。幾何学的なデザインが特徴的な店内は、店自体が「宇宙」を表しているのだと。

「アース、宇宙に昔から興味があったっておっしゃってたんで気に入るかなって連れてきました」

純朴だ。秋田出身だからだろうか、未だ東京に染まっていない良い意味で田舎者感がある。

「どうしたんですか、わざわざ走ってこなくても私は逃げませんよ」

私はホットの、彼はアイスのコーヒーをそれぞれ注文した後、切り出す。

「あ、あの。人違いやったら申し訳ないんですけど、アースの奥さんって澤田香菜さんですか?」

思ってもいなかった言葉に私がたじろいでいると、彼は続けた。

「知ってるんです僕。昔、盛岡におられませんでした?実は、出身は秋田なんですけど、高校生の時に親と盛岡に引っ越して。アースの家に行ったとき、見ちゃったんです。先生に似た人がアースとお子さんと映っているのを」

まさかだった。
もう10年前になるだろうか。高校の英語教師だった妻は、母親の介護のため実家に帰省せざるをえなくなった。母がなくなるまでの3年間、実家のある盛岡で生活をしていたのだ。マーキュリーとはそこで出会ったのだろう。まさか、妻の教え子とこんなところで出会うことになるなんて。目頭が熱くなるのを感じた。瞳孔が開き、心拍数が増加し、交感神経系が優位になるのを感じた。

「おぉ~。香菜に会ったのか。ということは、盛岡第三高等学校の生徒さん?」

「はい!僕が入学したときに先生も赴任されて、そこから3年間担任も担当いただきました。僕、正直先生っていう存在が苦手だったんです。どこか偉そうで、見下してる感じがして。でも、澤田先生は違いました。どこかで聞いたことのある、耳障りの良い言葉で語らないんです。押しつけないんです、彼女の考えを。詰め込まないんです、世間の常識を。殺さないんです、僕たちの個性を」

それから彼は、いかに香菜の人柄が魅力的だったか、英語の授業がどれくらい刺激的だったか、彼女の話し方が、教え方が、考え方が当時の彼に影響を及ぼしたかを語った。

「もう一度先生に会って、お礼をしたいんですが可能でしょうか?ほら、僕の課題って『理想の人に会う』じゃないですか。考えたんです、今会いたい人って誰だろうって。先週は、尊敬する先輩に会ったんですけど、何かが物足りなくって。そんな時、アースの家で先生に似た人の写真を見つけたのを思い出して、勇気を出して言ってみようかなって」

その問いに対して、私は彼の満足する答えを出せない。
彼女はもういない。ここにはもちろん、この世にさえ。

「もういないんだ」

少し間をおいた後に出た言葉は、自分でも驚くほど、か細いものだった。

「いないって、盛岡に帰られたんですか?今すぐというのも急すぎるので、もちろん日は改めますんで言ってください」

真剣な眼で、澱みなく聞いてくる彼に気圧されながらも、すうっと息を吐き…

「香菜は、数年前に交通事故で死んだ」

今までの和やかな雰囲気が、突如として変わるのを肌で感じた。空気が凍てつき、悪寒が走り、鳥肌が立つ。

「ごめんなさい、知らなくて」

人は困ると「ごめんなさい」と言う。
定型句のように、枕詞のように。どんよりとした空気は、変わることなく私たちの上で滞留し、彼の動揺が冷め止まぬうちに、私は次の用事に向かうため、喫茶を後にした……

ジュピター

煌びやかな街灯。着飾る人々。
新宿歌舞伎町では、毎日数千、数億のお金が飛び交う。

ホストと関係を持とうと羽振の良いふりをする女。キャバ嬢をお持ち帰りしようと紳士ぶる男。自分が相手にとっていかに偉大な存在なのか説教をしてくる輩や、特別な存在であるという保証を欲しがる人間。醜い欲望が渦巻くこの町は、人間的であると言って差し支えない。

前回の集会は白熱を極めた。
互いが互いの意見をぶつけ、闘わせる。それぞれの思いが強く、大きいからこそ熱くなったのだろう。言い方に棘はあるものの核心を突くムーン。大人ではあるが、確かに驕りや見下しを感じるマーズ。何よりも1週間で殻を破ったヴィーナスは見上げたものだ。どうせできない、やっても意味がない、そう思っていた。心のどこかで無意味のレッテルを貼り、私は私を遠ざけた。そうやって、できない理由を、言い訳を探して、見つけた数だけ自信を失う。自分を失う。

幸せになれると思っていた。
ただ、求めていたものを手にして残ったのは、細やかな嬉しさと、大きな虚しさだけだ。恨みを買わなかったとは言わないし、汚い手段を使わなかったと綺麗ぶる気もない。私は私のやり方を貫き、求められれば蛇にでも鬼にでもなった。とにかく認められたくて、褒められるのが嬉しくて、輝けるのがそこだけで、盲目的に働いた。付随的に懐に入る金額は増えたし、女でいるためには、綺麗を保つには、気に入られるには出費も嵩んだ。サイクルができれば、後はそれを機械的にこなすだけ。朝起きて決まったことをやって、明日に備えて寝る。居心地は悪くないし、居場所はここしかないと思っていた。

そろそろ潮時か。
年齢からくる焦りが、慣れという名の悪魔が、精神的に満たされない日々を後押しする。楽園であるはずの天国が、実は自分にとって地獄だったとしたら、それでも私は天国に留まるだろうか。引退の文字を浮かべながら、ある場所に着いた。

新潟県新潟市白山駅近くにあるアパート。年季の入った古びた外観に、似つかわしい錆びた階段手すり。窓際に覗く影は、扉を開ける前から部屋の雑然さを物語る。2階に上がり、ノックをすると、暫くして鍵の開く音がした。

「おかえり、はやかったね」

不機嫌そうに、のそっと出てきた母に隠れ、後ろに父の姿も見える。今日は清算の日だ。父にも母にも高校を卒業して、上京を決意してからは、ほとんど会うことは無かった。私の人生は私で決めたいと幼少期から漠然とした自立心を持ち合わせていたし、何より私を虐待した父と看過した母の顔など見たくないとも思っていた。毎日泣きながらも、結局男に頼るしかなかった母の弱さと、満たされない充足感の捌け口に妻と娘を選んだ父の弱さ。種類は違えど、弱さに負けてしまった人たちから学ぶことなんてもうないと思っていた。

彼らに会うのは5年ぶりだ。会いたくないとは思いつつ、中々どうして完全に実家に戻らないというのは難しい。前回は、元彼の子供の頃を見たいという要望で卒業アルバムや文集、数少ない写真を取りにきた。送って貰えば良いという意見もあるだろうが、送る送られる関係性とは案外互いを信頼しているからこそ成り立つものだ。その時はまるで、近所に住む住人かのように定型句を吐き出すだけだった。だが、今回は違う。伝えたいことがある。話したい言葉がある。そのために、わざわざ東京から2時間かけて遥々やってきた。重い腰をあげ、乗らない気分を高め、やる気を出して、しぶしぶと。

「突然連絡して何があった?」

神妙な面持ちで問われながら、中に入る。
前回来た時と変わっていない。いや、私がここに住んでいた時から時が止まっているかのようだ。思い出す。父に殴られたお腹の痛み、母の泣き顔、助けのこない絶望感と、上機嫌なときだけ見せる気味の悪い2人の笑顔。おそらく2人は私が東京でどうしているかなんて気にも留めてもいない。音信不通で行方不明だった娘が、突然何の前触れもなく家にやってきたのだから、私だったら何事かと気が気でない。但しそれは、多くの親が思う理由とは異なるに違いない。

「お時間少しよろしいですか?」

父のいる机に向かい合う形で座り、あえて改まった口調で話し始めた。啖呵を切ったものの、父を前にすると昔の自分を思い出し、中々次の言葉が出てこない。

「今日は伝えたいことがあって来ました。ずっと連絡してなくてすみません。清算に来たんです。過去を清算して前に進むために。昔のこと覚えてる?私を殴って、蹴って、叩いて、つねったことを。仕事ではうまくいかず、逃げた先のパチンコ屋でも負け、パブやバーではお金が溶ける。負けっぱなしの人生で、いつか金持ちになるぞと成功者を見ては妬み、嫉む。本当にクズだったと思います」

ハッキリと言う。後腐れのないように。

「私、上京してからキャバクラで働いてました。あなたが唯一褒めてくれた『顔』を武器にしました。誰かに認めて欲しかったんです、綺麗だね、好きだよって言って欲しかったんです。私は愛を知らないから。愛することも愛されることも教わりませんでした。でも、気づいたんです。ちょうど100人目のお客さんを接客してるときに」

姿勢を正して続ける。
今までで1番力強く。はっきりと。

「私馬鹿だから気づかなかったんです。いや、気づかない方が幸せだったかもしれません。嘘や偽りはバレなければ本物なのだから。本当に恐ろしいのは、明らかになったとき。嘘や偽りなんだと気づき、自分が騙せる人間だと見下されていたと知る時が怖いんです。100の嘘は延命には最適でした。薬を飲む感覚ですかね。一瞬は楽になるんです、病気だってことを忘れるくらいに。そうやって、自分自身に目を背けて、弱さから逃げました。あなたもそうだったんじゃないですか?」

弱さは誰の心にもある。人にはそれぞれ思考があり、自分のコンプレックスは他人からは瑣末なことが大半だ。大切なのは「どう向き合うか」。逃げるのか、はたまた立ち向かうのか。今なら分かる、決して許すことはないけれど、弱さに負けて男に頼った母の気持ちや暴力に走った父の思考。父は一呼吸おいて、大きく息を吸い込みながら言う。

「何が言いたいんじゃ。ハッキリ言うてみ」

過去の記憶が走馬灯の如く蘇り、気圧されそうになるも持ち堪える。

「謝ってください、私にしたことを。母にしたことを。悔いてください、あなたが弱さに負けたことを」

「何様のつもりじゃい。連絡もよこさん、仕送りもない。生きてるんか死んでるんかも、よう分からんようなヤツが、たまーに帰って来たと思ったら『謝れ』やと?誰のおかげで生活できてた思う。中学も高校も行かせてやったのに、結果がこれなら意味がなかったんじゃないか思うわ」

涙が溢れた。いつもそうだ。言いたいことでも、言いたくないことを言った時は涙が出る。だがこれはその現象か、父の発言によるものか最早分からないほどに動揺していた。分かり合えるんじゃないかと思っていた。成長して、大人になって、父と同じ目線に立ったからこそ理解し合えるんじゃないか。少なくとも、東京で出来た数少ない友人とはそうしてきた。

「だいたいお前はな」

そう言いかけて右手を挙げ、振り下ろさんとする。「叩かれる」そう思い、条件反射的に目を瞑るが、一向に痛みはやってこない。

「やめてください」

刹那の後に聞こえて来たのは、母の震える声だった。すっと目を開けると、父の右手を母が両腕で抱き抱えている。

「やめるんじゃなかったんですか。後悔してたんじゃなかったんですか、あれは嘘だったんですか」

私の知る母らしくない言動と、父の動揺を横に、私はバッグを手に取り、そそくさと家を出た。無駄だった。完全に分かり合えるとは思わない。でも、それでも私は彼らの子供で、薄くとも繋がれるんじゃないかと思っていた。頬を伝う涙を、客から貰ったハンカチで拭うと、後ろから母がドタバタと追いかけてきた。

「待って。ロア、待ちなさい。戻って」

振り返らない。歩幅を広げ、足早に進もうとすると、走って来たであろう母に捕まれた。

「待ちなさい。私も言わなくちゃいけないことがある」

母の眼からは、私よりも大粒の涙が溢れていた…

マーズ

向上心の無いものは死ぬべきだと、そう思う。
Twitterで呟けば炎上必至かもしれないが、思っている分には問題ない。向上心は、俺を構成する核のようなものだ。アイデンティティの一部と言ってしまって良い。そんなことを思いながら、いつも通り食後のアイスコーヒーを意図的な関西弁イントネーション混じりで頼む。そうやって自分を確かめ、主張する。

自分より知性の高い人、才能がある人、コミュ力がある人、人脈がある人。上を見れば見るほど際限がなく、全てを極めることは不可能だと悟った20代。アニメや漫画の主人公ならば、ある日突然、特殊な能力が開花してどんなピンチもチャンスに変える。悪者は必ず負けるし、ヒーローはいつだって称賛の的だ。それ自体に不満はないし、異論はない。美しいと思うし、憧れる。ただ、そんなものは夢だ。夢は夢であり、夢は寝てみるものだ。何が「正義」で何が「悪」か。現実世界で綺麗に切り分けることはできないし、絵空事を思うより、地に足をつけて利益を稼ぐことの方が求められる。もう、夢は見ない。エレベーターに乗ってオフィスに戻る。

胸がざわついた。
自分に子供がいたならば、そのくらいの年ではないかと思うほど幼い少女に、痛いところを突かれた。マムシのように素早く動き、噛み付くことで毒を注入する。気づいた時にはすでに遅く、じわじわと恐怖を感じながら効いていく遅効性の刺激物。あの場では取り繕ったものの、思い当たる節がないわけではない。

今まで何度裏切られただろう。マッチングアプリで出会った女性はマルチの申し子だったし、信頼していた上司には、提出した企画を横流しされたこともある。その度、原因は自分にあると言い聞かせ、自分に喝をいれてきた。肉体的魅力を高めるため、毎朝走り込みを日課とし、間食を控え、運動量を増やした。会社の発言力を補完するため、あらゆる場所で顔を売り、上司の誘いだけは断らず、ノリの良い社会人を演じた。筋肉と金は裏切らないと、どこかのニュースサイトの記事で見たことがあるが、それは真実だと思う。

「偽善で、ノルマか…」
「え、何か言われました?」

ぼそっとつぶやいた言葉が聞こえたのか、同じチームで部下の神尾が声をかけてくる。三本不動産は、大阪に本社を構える中堅不動産会社だ。大手ディベロッパーや、コンサル会社、人材紹介会社にAI企業といった様々な箇所から近年数多くの転職者を受け入れている。新卒で大手ディベロッパーに入社し、およそ5年間営業を経験した。仕事内容や規模感、社内政治の煩雑さから、独立してフリーランスとなるか裁量と給料の良い会社に転職するかで悩んだ挙句、かなり良い条件でここの内定が決まり、およそ5年間リーダーとしてできることをやってきた。

「ん。いやな、神尾俺のこと好きか?」
「え?どしたんすかいきなり。それセクハラになりますから気をつけてくださいね。もちろん、リーダーとして尊敬はしてます」

目を見開きながら、怪訝そうに答える。

「そうか」

リーダーじゃなく、一個人としてはどうなのかと聞きたかったが、これ以上聞くと本当にセクハラになってしまいそうなので胸に留める。

「どうされたんすか?何かお悩みなら、ご飯ご一緒しますよ〜」

悩んでいる本人が奢らなければならない風な誘い方に違和感はあったものの、オフィスから程近い定食屋でランチをすることにした。筋肉に良さそうな鶏肉、ブロッコリー、納豆、そして豆腐などが入っていそうな高タンパク質商品を中心に吟味し、結局チキン南蛮定食に行きついた。ささやかな気持ちとして、キムチ納豆のトッピング付きだ。

「で、どうされたんですか?最近お忙しいみたいですけど」

神尾は、高校時代からバリバリの体育会系で礼儀作法はしっかりしているが、自分の利害に関わらないことは無関心という気質がある。そんな彼が、俺の心配をしてくれることが純粋に嬉しかった。

「いや、最近言われたことが気にかかってて」

宇宙会のことは伏せながら、俺は持ち前のプレゼン力で上手い具合に状況を説明した。

「なるほどです。中々言いますね、その子。偽善か」

一瞬言葉に詰まったようだが、彼はそれでも思ったより飄々と話し始める。

「でも、そんなもんじゃないすか?みんな。ありがとうって言ってもらいたくて、良かれと思って行動するじゃないですか。確かにノルマはちょっと特殊っすけど、善行を行うモチベーションには、必ずと言って良いほど大小様々な見返りがあると思うんす。100%他人のためなんて人間、マザーテレサやガンディーくらいの聖人や聖母の所業でしょ。ほら、大金持ちとか権力者って、昔は自分のために精一杯努力するけど、成功して何もかも手にしたら、今度は世のため人のために施したいって言うじゃないすか?ま、そんな雲の上の気持ちなんて想像するだけで、真偽はわからないですけど」

笑いながらあっけらかんとした口調で答える。確かにそれは一理ある。善行を行う理由は「ありがとう」があるからというのは極論かもしれないが、暴論ではないだろう。落とし物を拾う人の心理も、人に何かを教えるという気持ちも、裏側にはありがとうを求める自分がいる。何より、自分だけじゃない。みんなそうという言葉が俺の耳に残って離れない。

「あと、やってもらった側の立場に立ってみてください。ありがとうって言ってる時点で、その行為は善行ですよって認めてると思うんす。やられた側は、やった側の意図なんていちいち気にしてませんって」

「そんなことを考えるより先に、冷めないうちにチキン南蛮食べちゃいましょう」と、丁度運ばれて来た食べ物を前に目を輝かせて言う。

「そうだな、いただきます!」

いつもより少しだけ、自分の声のピッチが高くなるのを感じた……

ムーン

なんであんなことを言ってしまったのだろう。
宇宙会では、自分の素も素性も隠し、隠密に内密にやり過ごすつもりだった。第一、私は他の皆んなと違って宇宙会自体に何かしらの魅力や可能性を感じているわけではない。積極的に参加者と議論する意味はなく、成果の主張のみに専念すべきだ。単純な興味で、知的好奇心を満たすため、そして何より、敬愛する両親に認められるために、私はこの会の秘密を暴く。

あの時は、まるで魔法にでもかかったかのように、本音が漏れてしまった。いくら友達のいない私でも、世の中を生き抜くための最低限のコミュ力と処世術くらいは持ち合わせている。しかし、あの場ではなぜだかそれが働かず、無性に気持ちが昂り、つい議論を闘わせてしまった。子供ながらに反省する。とは言え、やってしまったことは仕方がない。起こってしまったことは変えられない。後悔先に立たずを噛み締めながら、気を取り直して、歩みを進める。

思いの外、計画は順調だ。
宇宙会の探究が本題だが、折角メンバーに選ばれたのだから運営にアピールしない手はない。優等生特典なんかもあるかもしれないと妄想に耽りながら、A4用紙2枚にも及ぶ立案計画を読み返す。消しゴムで何度も書き直したせいか、筆跡で中々読みづらい箇所があるノートを光に照らすと、うっすらと前の文字が目立たなくなった。最終確認をしようと目を細めた瞬間、母親が帰宅して思わずペンを落とす。

「ママ。早かったね、おかえり」

スタイリッシュな黒いロエベの鞄に、ブラウンのセットアップ。ポニーテールで綺麗に髪を結っているところからもキャリアウーマン感と自己肯定感の高さが窺える。基本的にはナチュラルメイクだが、口元だけは真紅が映え、どことなく気品が見える。男の戦闘服がスーツなら、女の武器は化粧なのよと昔教えてくれたことを思い出す。

「ただいま。あれ、パパはまだかしら?」

一服つくや否や、カバンからパソコンを取り出しメールチェックを始める。

「まだ来てないね、もう少し待ってみよ」

運が良かった。計画の核となるのは今日、私の誕生日だ。

4月3日のちょうど今日を口実に「誕生日は家族でご飯を食べたい」と申し出てみた。もちろん伝達には、子供っぽい字で、情に訴えかけるような演出を加えた置き手紙を利用した。家族旅行を濁されているため、正直家族のご飯を提案する際も、かなりの勇気が必要だったのだが、今回はなんとかなった。但し、人間はなんと欲深い生物なのだろう。いやいっそ欲の塊、肉塊と言ってしまっても良い。第一フェーズを突破した私は、第二フェーズに移らんとする。

「Happy Birthday to you! Happy Birthday to you! Happy birthday dear お2人。Happy birthday to you ♪」

どこからともなく聞こえて来たのは、程よく音痴な父の歌声だった。そう、第二フェーズの始まりだ。私は、父と共に口ずさみながら、母に向けて花束を差し出した。

「えぇ〜!」

驚く母を横目に、私は父にグッドジョブのポーズをする。前準備は整った。後は会話を盛り上げながら、最終目標のフェーズ3でフィニッシュだ。

「ありがとう2人とも〜」

「最近全然3人で会えてなかったから、たまにはと思って。パパを少し前に呼んでママを驚かせたいなって」

「すごいー!」

他愛もない、特に意味のない会話。
学校の人たちとは話したいと思わないけれど、ママとパパの前ならいくらでも話せてしまう。無意味なことも、積み重ねれば意味のあることになるんじゃないかと思ってしまう。プレゼント開封や誕生日ケーキ入刀など、ひとしきりイベント事を終えた後、父が切り出す。

「学校の調子はどうなんだー?困ってることとか特にないのか?」

「特にないよ。学校に行って、勉強して、塾に行って、寝てる!」

「勉強の調子はどうなの?」

「順調だよ。分からないことも理解るまで粘ってるつもり」

「そうかー、では抜き打ちだがテスト結果を見せてくれないか。ちょうど中間テストの時期だと、お子さんがいる取引先の方が言っていたし」

たじろいだ。こんなことは初めてだ。信頼からか無関心か、彼らが私に関心を払うことなど今まで無かった。最悪だ。しかもこのタイミングで。私は、カバンの中からクリアファイルを取り出し、彼らに手渡す。

「おー、さすがラブリ。私の子だ」

3枚あるうちの最初の1枚を見て言う。

「まぁ!?数学ね、95点なんてさすがだわ」

2枚目の理科は93点だった。

「お…」

父が3枚目を手にした瞬間、空気が曇り、視界が閉ざされ、言葉が詰まるのを感じた。

「国語…43点か」

「まぁ!難しかったの…よね?」

取り繕う母を遮る形で、私は述べる。

「違うわ。平均は69点だったの。元々国語が苦手なんだけど、今回は特に嫌いな範囲だったから」

躊躇っ挙句、正直に伝える。
暫しの沈黙の後に父が口を開いた。

「ラブリ、良いんだ。私は気にしていない。次は頑張ってな」

「分かった。でも私やりたいことがあるの。みんなで旅行に行きたい。今度のテストで全教科90点以上とったら、皆んなで行くって約束してくれる?」

「分かった。条件をのもう。但し、全教科だからな」

「はい」

俯きながら答える。
私はランドセルの中のもう一枚の答案用紙に目配せをしながら、したり顔を浮かべる。そこには「氏名 月島ラブリ 国語 91点」の文字があった。

第3話 : https://note.com/samahika/n/n774ff53a4430

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