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「私は宇宙人。」第3話

第3回宇宙会

何の変哲もない日々を無為に過ごすうちに気づく。
誰とも関わることなく、始まって終わる一日を繰り返すと、段々自分と世界の境界線が曖昧になってくる。果たして、自分という存在は、確かにここに「いる」のだろうか。確かに物質としてはここに「ある」のだが、それは果たして「いる」と言ってしまって良いのだろうか。

そんなつまらない言葉遊びに思考を巡らせながら、私は朝食のトーストをほおばった。ガラムマサラがほのかに効いたゆずのジャムは、香菜のお気に入りだ。洋テイストに和を絡めるその姿勢は、おそらく彼女が学生時代、海外を放浪していたことに起因するのだろう。

「フィリピンにはバロットっていう食べ物があって、見た目がかなりグロテスクなんだけど滋養強壮に効くんだよー。身近で言うとすっぽんみたいなものかなぁ。あ、でもありえない度でいくとタコに似てるかも。知ってた?ヨーロッパとか一部の人からは『悪魔』だと思われてるんだって。確かにタコの口って宇宙人みたいだもんね。タコの顔がカワウソに似ていたら、タコの歴史も変わったのかな?食べられない未来もあったかもね」

面白い人だった。自分が考えていることを臆すことなく話す人だった。自分のあたりまえを、他人におしつけず、どんな価値観や様式も個性の一つとして受け入れる。オセロには白と黒だけじゃなくて、グレーもあるんだよ。彼女ならきっとそう言うだろう。一方を完全なる悪と決めつけず、他方の良い面と掛け合わせ、全く新しいものを作り出す。そんな一見日本離れした彼女の口癖は「だって、私日本好きだもの」だった。生まれ育った土地には敬意を払い、逃避先としてでなく、あくまで己の見識を深めるために海外に渡航した彼女は、己の出自、性格、容姿、姿勢、思考、価値観、そのどれにおいても恥じてはいなかった。誇りさえもっていた。当時はそんな彼女を、自分とは全く別の存在として捉え、切り離していたが、今ならそう考える彼女の想いがなんとなく分かる気がする。

香菜はもういない。
死んだ人間は果たしてどこに行くのだろう。
肉体と精神は別物で、前者は後者の単なる器だとする考えがある。死とは単なる器の限界に過ぎず、精神は魂と呼ばれ、天界に召される。死後も思考はできるのだろうか。感情はあるのだろうか。彼女が訪れた国の、どこかの村の人々が信じている宗教には、こんな考え方もきっとあるに違いないという希望を抱きつつ、己の無知さを悔いる。若い時に世界中を旅しておけばよかった。色んな人と交流しておけばよかった。春菜ともっと一緒にいるべきだった。失うまで気づくことのなかった愚かな自分への嫌悪感がピークになった時、スマホの通知が鳴った。

「お疲れ様です。マーズです。先日お伝えした通り、本日は12:00に下記にお集まりください。東京都品川区目黒△△」

マーキュリーが香菜の教え子だったと分かり、今日で1週間。その後、彼からの連絡はない。基本的に、メンバーは集会でしか顔を合わせることがないため、彼が今どこで、何をしているかどうかを知る術はない。もっとも、集会で集まる場所やタイミングは、TwitterのDMを経由して各々調整するため、数日前に彼が打った「大丈夫です」から、安否だけは判明している。

JR山手線で渋谷から二駅の目黒は、五反田、恵比寿に挟まれた、両者とも異なる雰囲気のカジュアルなオフィス街だ。土曜日ということもあり、スーツ姿の人こそ少ないが、一歩駅を出ると多種多様な人々が行き交っている。早く着いてしまったので、集会が始まるまでの数時間、昔一度だけ行ったことのあるカフェで時間を潰すことにした。

「いらっしゃいませ」

暗めの内装に、渋めの店主がセレクトしたであろうニッチな重低音の音楽。間接照明に小洒落たインテリアが映える。わかりづらい場所にあるからか、若い男女は少なく、1人客がほとんどだ。私は隅の二人席に腰掛け、アイスコーヒーを頼む。最近は課題の関係もあってか、ビジネス本からマンガまで幅広く読むようにしている。大金持ちになりたいわけでも、英語が堪能になりたいわけでもないが、今まで見向きもしなかった知識に触れ、知れば知るほど、早く知っておけばよかったと後悔が募る。

ただ、こんなことは何歳だって起こることじゃないか、と今なら思える。いかに時代が進歩しようと、時を遡る装置がまだできていないところを見ると、こう考えている「今」が1番若いのだとポジティブに捉えることにした。

今読んでいる小説に「年齢」について記した印象深い捉え方を見た。

「10代で神童と呼ばれた子も、20代、30代と歳を重ねるごとに段々と『普通』になるなんてことはよくある。生まれつき端正な顔立ちの美少年・美少女も、年齢とともに顔が崩れる子らも一定いると言う。今どき50代で出産する女性や、100歳を超えて生きる人も大勢いる。個性はあれど、それは常に変化する。だからこそ人間は、理想を定め、それを達するために常に努力をしなければならない。悲しい星のもとに生まれた種族であることを受け入れるしかない」

メリットがあればデメリットがある。
歳をとるからこそ、人は瞬間を楽しむ。永遠がないからこそ、努力をする。リミットがあるからこそ、私たちは進化したと言ってしまって過言ではない。こんな風に捉えられるようになったのも、齢53歳にして「成長」なんじゃないだろうか。

「アース、今お時間よろしいですか」

ハッと見上げた先にはマーキュリーの姿があった。あなたに会いにきましたと言って席に座り、私と同じアイスコーヒーを頼む。

「あなたに会いたくてきました」

二度目だ。強調の意の繰り返しか、告白かと思うほどの勢いで放たれる言葉に圧倒されながら、落ち着くように伝える。

「すみません、突然。駅であなたを見かけて、思わず追いかけてしまいました。変ですよね。ごめんなさい。自分でも分かってるんです、皆んなから変だねって言われるんで。でも、これが僕なんです」

聞いてもいないことをツラツラと話しながら、ひと呼吸置いて続ける。

「考えたんです。あれからずっと。まず、ごめんなさい。謝らせてください。元気だった先生が亡くなったって聞いて、動揺しちゃって。アースの方が何倍も苦しいはずなのに」

悲しい時に悲しいと、純粋に泣くことのできる彼を、私は責めない。

「気にしてないよ。それに不謹慎かもしれないが、君が悼んでくれて少しホッとしてね。当時、私は仕事一筋なところがあって、香菜の仕事ぶりや日常をあまり聞いてあげられなくて。彼女が亡くなってから、すごく悔やんだよ。何でも調べられるこの時代だけれど、彼女の記憶や感情は何処にも載っていないからね」

すると彼は、僕の知っていることなら話させてくださいと彼の知る限りのことを教えてくれた。香菜が給食の時は必ず茄子を残していたこと。英語の授業の最初は必ず英語早口言葉から始まること。ALTとは普段から英語で話していること。体育祭の教員リレーではアンカーを務め、他教員をごぼう抜きしたこと。それによって、一部男子からは「口裂け女」と呼ばれていたこと。そのどれもが新鮮で、私の知らない彼女の姿だった。5分ほど話した後、彼は改まって言い直す。

「あなたに会いにきたんです。思い出したんです、進路指導の時に香菜さんが言っていたこと」

顔つきが変わった気がした。数刻前まで、弱々しささえ感じた彼の雰囲気が、子どもから大人に脱皮したかのように、厳かなものに変化した。

「私はすごくなんかないの。もし少しでもあなたが私をすごいと思ってくれるなら、それは私のすごさじゃない。旦那のものだ、って言ったんです。人は1人じゃ生きられない。どんなに強い葦でも、一本じゃ限界がある。台風がきたらどうする?干ばつの時は?支えてくれる存在が必要。私の場合、それが旦那なの」

理想の人の尊敬する人に会いに来たんだと彼は言う。
私たちは、集会が始まるまで暫し、香菜の思い出話に花を咲かせた。

30階建てのタワマンの13階がマーズの部屋だった。一人暮らしにしては広々とした部屋には、ズバリ筋トレ器具と高級そうなスピーカー、そしてプロジェクターが置いてある。巷で噂のミニマリストなのか、部屋の大きさからは小さめの本棚には、厳選されたであろう自己啓発本と投資関連の書籍が陳列されていた。椅子の数がすくなかったので、私たちはマーズが出してくれた折りたたみ式の机を囲む形で、円形になってマットの上に座る。

「今日も集まっていただきありがとうございます。集会よろしくお願いします」

3回目ともなれば、マルチ講座の案内人がそうするように段々とサマになってくる。

「では、前回同様に各々の課題の進捗をお願いします。今回は私、ジュピター、ムーン、アース、マーキュリー、俺、ヴィーナスの順でいこう」

さすがはマーズ。進行に無駄がないと感じていると、間髪入れず切り出した。

「とまぁいきたいところなんですが、まず、前回の非礼をお詫びさせてください。ムーン。前回はカッとなってしまい申し訳ない。君の言うことにも一理あると思うと悔しかったんだ、すまない」

あの歳で娘世代に謝ることがどのくらい勇気のいることか、想像しただけでも彼の行為は尊敬に値する。

「あたりまえです」

そう切り出すと、彼女は立ち上がり彼の元に駆け寄り、手を差し出す。

「あたりまえです。私は間違いなんか言いません。でも、こちらこそごめんなさい。言い方が悪かったことは反省しています。仲直りの握手をしましょう」

彼女と彼の仲直りに場が和んでいると、ジュピターが割って入った。

「はい。じゃあ犬猿の仲もこれでお終いね。じゃあ、私の話聞いてくれる?」

小悪魔的な笑顔を浮かべ、いかにもキャバ嬢といった風に続ける。

「私、やっと会ってきたわ。嫌いな人に。うざくて、憎くて、敬遠していた両親と会ってきた。特に父は、物心ついた時から殺したいと思っていたわ。父を殺すか、私が死ぬか、その2択を先延ばしにしてたら、いつの間にか卒業できててね。人間って不思議なものよね。ゴキブリみたいにしぶといの。何度も何度も潰されたと思っても、腕や足を引きちぎられたんじゃないかという痛みにも耐えられる。中々死ねないのよね……」

途中で言葉に詰まった涙目の彼女に何か声をかけようとすると、彼女は私を制した。

「でも、先週会って気づいたの。もちろん映画やドラマじゃないんだから、そう簡単に完全修復のハッピーエンドじゃないの。でも、少なくとも母は謝ってくれた。私を見なくてごめんなさいって。それだけで救われた気がしたの、認められた気持ちになったの。父のことも母のことも許せたわけじゃない、私はそんなに器の大きい人間じゃないから、チャラには出来ないけれど、私は満足よ」

そう言うと彼女は満面の笑みを浮かべながら、一粒の涙を溢した……

マーズ

ヴィーナスの様子がどこかおかしい。
笑っているときに悲しんでいたり、悲しんでいるときに怒っていたり、何を話しても無表情に感じる。無機質なロボットのようだ。
初めて彼女と出会った時、第一印象は「物静か」だった。お淑やかさにどこか気品を感じる、気立ての良いお嬢さん。秘書といったところだろうか。
愛想がよく、争いは好まないが、芯に燃え滾る情熱という名の自我が見え隠れしていた。
そんな彼女が変だ。変といっても、突然露出狂になったとか、奇抜な服装をし始めたみたいな面白おかしい変ではない。
それよりももっと超自然的な、根源的な奇妙さを感じる。

疑念が確信に変わったのは3度目の集会である。彼女は一度も笑っていなかった。
否、微笑んではいたのだが、笑っているようには思えなかった。
二度目の集会で「変わりたい」と熱弁をしていた彼女の真意が、成果がこんなもののはずはない。
単に不機嫌なだけだったのだろうか、女性と男性ではそもそも分かり合えないところがあるとは思いつつ、胸騒ぎがして集会後に彼女をつけた。

彼女の家は、俺の家からほと近い大田区の南千住に位置していた。
尾行中、何度か彼女に気づかれそうになる場面はあったが、最悪何か適当な言い訳で乗り切ろうと腰を据えていた。
特に何も変わったことがないまま、杞憂だったのだと思い直し、その日は帰路についた。

ムーン


すべてがうまくいっていた。
両親との約束をとりつけることに成功し、集会ではマーズとの険悪なムードを解消することができた。もっとも、前者は策略で、後者は努力による。

知っていた。父が私のミスをそう簡単に許さないことを。娘を自分と同じ大手企業に就職させたい父は、私に最低でも、東京大学への進学を望んでいる。そのためには、少なくとも今の学校で10位以内の成績はキープしておきたいところだ。ただ、そんなことは誰に言われずとも私が一番分かっている。一人っ子は、想像以上に思考することが得意だ。私のような鍵っ子ともなると、さらにそれは増強される。同世代の兄弟がいないということは、その分自分を顧みる時間が圧倒的に多い。私は誰よりも私の性格を、立場を理解している。そんな私が、己の不勉強のせいで成績を落としてしまったと聞いて、何が起こるか。皆まで言わずとも自明だろう。

作戦は簡単だ。
自分よりも少し点数の低い子を見つけて、その子の答案用紙を少しの間拝借する。無頓着な男子のものが良い。地頭が良くて、特に努力もせずに良い点数が取れてしまう呑気なヤツが。吟味ののち、クラスの芦田くんから用紙を拝借し、名前を書き換え、父に見せた。案の定父は驚き、感情を露わにした。最後で最難関の父との交渉を終えれば、あとはハッピーエンドのはずだった。

失敗した。いや、本当は成功していたのに。

犯してしまったのは家でではない。学校で、最も簡単なはずの答案返しが芦田くんと友人に見つかった。案外、世紀の大怪盗の捕縛や、幾多の死闘を繰り広げる大悪党の最期もこんなものなのかもしれない。RPGで最強チートモンスターを倒した後に出てきた野生のスライムに、残りHPをじわじわと削られ死にゆくみたいな感覚。職員室に呼ばれた私は、今までで一番懸命に言い訳をした。最終的に「なぜか芦田君の答案用紙が私の机に入っていたんです」という苦し紛れの言い訳であやふやにし、その場は納めた。

らしくもない予想外なことが起こった帰り道、最寄り駅で見かけたのは私服姿で雰囲気の違うマーズだった。

ジュピター

ニキビがひとつできた。
大切な日に限って鼻の頭にニキビはできる。会いたくない両親に会って、長年の禍根が、もちろん全解決ではないにせよ快方に向かったことに味をしめ、今日は絶交した友達と会う予定だ。高校を卒業してキャバ嬢になり、働き始めた場所でできた気の置けない友人が美沙だった。ほぼ同時期とは言え、数か月先輩の美沙から学ぶことは多かった。

接客の「さしすせそ」はもちろん、美味しいお酒の作り方、指名されるノウハウ、厄介な客のあしらい方、そのどれもを美沙から学んだといって良い。休日には原宿や表参道でショッピングやカラオケに明け暮れ、恋人談議にも花を咲かせたこと数知れない。もっとも、不破の原因は80%くらい私にあると言ってしまって良いだろう。

美沙はいつでも私の味方だった。
ちょうど一年前、太客の男が私の態度に逆上して殴り込みに来たことがある。どこかしらで皆が薄々感づいていた枕営業のことや、詐欺まがいの接客方法を露呈され、危うくクビになりかけた。その場はなんとか、しらを切ることで逃れたのだが、美沙だけは私を見逃さなかった。離さなかった。

数時間に渡り、美沙は私の接客スタイルが不遜か、彼女自身のキャバ嬢論と照らし合わせて語った。当時の私はNO1になること、それによって手に入る報酬にしか興味がなかった。

「私はあんたにそんなこと求めてない。シャネルの最新作かわいくない?タピオカミルクティーのタピオカをナタデココにしたらもっと美味しいよ。何も考えずにそう話すことのできる人が欲しいの。あなたの考え方なんてどうだっていい。どうせ私より結果も出ていないんだし」

そう言ったのを最後に、彼女は私の前から姿を消した。彼女が私にしたことと、私が彼女にしたことを比べれば、どちらが悪いかなんて瞭然だ。恩を仇で返す、どころか精いっぱいの悪意で傷つけたのだから。

梅雨が明け始めた6月下旬。
紫陽花の季節が終わり、セミの鳴き声が聞こえ始める。
神奈川県、川崎駅から徒歩5分ほどのチネチッタという欧州をイメージした商業施設。その3階にある小洒落たイタリアンレストランが待ち合わせ場所だ。正直、ブロックされているとまで思っていたLINEのメッセには数分で返事があり、喧嘩別れした友人とは到底思えない。

「久しぶりー」と声をかけ、先に店に入っていた美沙の対面席に腰掛ける。一年ぶりに見た美沙は、外見的にも、内面的にも文字通り「普通」になっていた。

「元気だった~?超久しぶりじゃない?」

あっけらかんとした彼女につられ、自然と私も世間話に花を咲かせる。きっと勘違いだったのかもしれない。1年前の口論なんて、きっと彼女は気にもしていなかったんだ。自分のコンプレックスを、相手は案外気にしていないかのように、寝て起きたら忘れてしまうくらいの細やかなものだったのかもしれない。

一通りの近況報告を終え、彼女が半年前に結婚をしたことが分かった。お腹に赤ちゃんもいるらしい。数週間前の私なら、嫉妬に狂っていただろう。男ができて、性格も落ち着いたように見える美沙は幸せそうだった。でもその時は、不思議と嫌や気がしなかった。人は本当に幸福な人を見ると、特に嫉妬しないんだなとつくづく思う。私が彼らに臨むのは、どうかその幸せが悪意によって汚されませんようにということだけなのだから。

「ロアは最近どう?男はできた?」

今でも男をとっかえひっかえしているなんて彼女の前では言えず、動揺した私は宇宙会についても話してしまった。

「宇宙会?あー、Twitterで話題の宗教でしょ?ほんとに大丈夫なの、悩みがあったら私でよければ話聞くよ」

まただ。1年前の感覚が蘇る。それと同時に、私が本当に嫌いだったのは彼女の人生そのものなんかではなく、この上から目線の偽善だったことに気づいた。

「何を知ってるの?」

思わず口をつぐんで言葉が出る。

「え、だってあれって新手のマルチ集団だって聞くよ?生活必需品を誰かに買わせたり、その手数料でお金がでる仕組みだって聞いたわ。真偽は定かじゃないけど、とにかくヤバいんだって。死人も出たって聞くし」

「真偽が定かじゃないことをなんで知ったように言えるの?確かに誤解は招きやすいかもしれないけれど、そこに参加してる人も、内容も全然変なんかじゃない」

言い争った挙句、それでもやはり折り合いはつかず、私たちは二度目の絶交をした。

第4回宇宙会

美は毎日の鍛錬によってこそ得られる。
ケトコナゾールにエピデュオ、ゼビアックスローションに日焼け止め。化粧とニキビ薬を念入りに重ね付けし、毎朝外出の2時間前には起きる。女とはそういう生き物だ。シミもしわもニキビも、なぜできるのだろう。進化の過程で鰓が消えたり、腕が生えたり、環境に適応してきたのならば、私たち女という生物は将来、吹き出物や老いという概念に苦しむことはないのかしら。そんなことを考えながら、お昼からの集会に備える。今日は私の担当だ。マーズ程ではないにしろ、独身貴族の私の家も程々に広さと綺麗さには自信がある。特にキッチンは、新品同様の輝きを保っている。いや、適切な表現ではない。この輝きは、私が入居した2年前からほとんど変わることがない。それは私が極度の綺麗好きとか、便利な道具を出してくれる21世紀の猫型ロボットがいるからとかでなく、単純に私が料理をしないからだ。

デパートで買ってきた高級めなフィナンシェを、結婚式で貰った、いつ使うか分からない豪華な皿に盛り付ける。大量のメイク道具と洋服にカバン、靴は自慢の広々としたクローゼットに押し込み準備は万端だ。今日は、皆んなに提案しよう。自身に決意表明をし、最近お気に入りの韓国ドラマを見始める。今日は、一つ提案をする。そう心に決めている。

定刻ぴったりに来たヴィーナスを最後に全員が集まった。4回目ともなると、それぞれのキャラクターが分かり、各々が雑談にも花を咲かせ始める。寡黙なマーキュリーと陽気なアースはまだイメージができるが、犬猿の仲かと思われたマーズとムーンまでもが話しているのには驚く。

「はい、本日の集会を始めます。会話をやめて姿勢を正して聞いてください。本来ならば、みんなの進捗をおうかがいするところなのですが…一つ皆さんに聞いてほしいことがあります」

空気がざわつくのを感じた。

「皆さん宇宙会が世間でどういう印象を持たれているか知っていますか?」

アースを指さし、何か話すよう促す。

「え、えーと。宗教ですかね」

「なるほど。では、次マーキュリー」

「ヤリサー?」

「そうですね、そうなんですよ!」

語気を強くし、言葉を放つ。

「悔しいと思いませんか?確かに、宇宙会ってネーミングセンスは怪しいけれど、そして宗教じみているのは認めるけれど、変な壺を買わされたり、乱交パーティーしたりなんて全くしてないじゃないですか?」

突然ぶっこまれた下ネタにメンバーが失笑する。

「健全な会であることを皆に知って欲しいんです。今も生きづらさを感じているどこかの誰かのために、宇宙会を広めたいんです」

ジュピターの圧倒的なパワーに、一瞬皆がドギマギしたが、すかさずムーンが声をあげる。

「気持ちは分かるし、皆もそう思ってると思うけど、一体どうやって?そもそも宇宙会の内容は他言無用じゃないの?」

「大丈夫。私に考えがある」

そう言って、スケッチブックを取り出し皆に見せる。

宇宙会広めよう計画。怪しい偏見にまみれたこの会のイメージを正そう!皆で本を執筆しませんか? ※宇宙会の内容や名前は適更変更

手書きで大きく書かれた文字を見て、皆が驚く中、ヴィーナスが言う。

「すごく素敵ですね!私は賛成です。広報活動にもなるじゃないですか」

同調するようにマーキュリーとアースも賛同する。

「良いですね。僕、絵を描くのが好きなので挿絵や表紙を書かせてもらえませんか?」

「楽しそうだね。昔はブログを書いていたこともあるので、腕がなりますわ」

あまり乗り気でないのか、上の空に見えるマーズとムーンにも問う。

「どうですか?折角出会えたのも何かの縁かなって思って。もちろん強制はしないですけど、よかったら」

「お、おう。俺も賛成です。それぞれの視点で書くと一層楽しいかなと」

「はい、私もよいと思います」

どこかひきつったみたいな顔でそう答えた。

「そうですね、では執筆と言っても各々の生活もあると思うんで、サボれないように3名ずつのグループに分かれましょうか」


ムーン

思い違いだろう。
何度考えてもそうとしか思えなかった。駅で会ったマーズは変質者よろしくという姿勢でヴィーナスを尾行していた。問い詰めると今日で2日目だという。彼女の行動が不自然で、胸がつかえ、昨日も家までついていったのだと。私からすると、あなたの行為の方が余程変だよと言ってやりたくなったが、すんでのところで留まった。私も彼女に思うところがあったからだ。初回と2回目、2回目と3回目では確かに彼女は一貫性に欠ける。その点は、概ね彼と認識に相違はない。とは言え、違和感は確信に変わることなく第4回集会が始まった。そんなときだった…

ヴィーナスは明るかった。2回目とも3回目とも少し違って、そこには楽観性さえ見え隠れしていた。彼女がジュピターの問いかけに答える姿は、今までになく快活で天真爛漫ささえ感じるものがあった。

恐ろしかった。鳥肌が立ち、身の毛がよだち、心拍数が増加し、息苦しさを覚え、ふらつき、吐き気を催すほどに。こんなことは、あまり人に使うべき言葉ではないけれど、奇妙ささえ感じた。彼女に一体、何があったのだろう。疑問が膨らむタイミングで、ジュピターから本の執筆の提案がある。絶好のチャンスと思い、彼女に提案する。

「マーズとヴィーナスと一緒にできる?」

腰低くお願いすると、ジュピターは快く受け入れる。一通り集会が終わり、私たちは解散した。動いたのは、やはりマーズだった。

「今から会いませんか?」

「はい、問題ないですよ。申し訳ないのですが、あまり今手持ちがなく、どなたかの家とかお邪魔できませんか?」

マーズの指示である。彼には本当に脱帽する。目的のためならば手段を選ばない。いつか彼がその気質のせいで失敗しないように願いながら、その点私と似通ったところがあると同調した。

「ごめん、俺の家は今日散らかっていて…ヴィーナスの家はどうかな?ほんの1時間くらいでおわるだろうから」

以外にも彼女は協力的だった。そうだと思う。まさか1か月弱宇宙会で定期的に顔を合わせる友人が、自分に疑いを持っているなんて、誰が想像するだろう。

ヴィーナスの家は、北千住にあった。やはり、私の家にほど近い。どうりで尾行中のマーズとバッタリ出くわすわけだ。家に着くや否や、彼女は大手を広げて私を歓迎した。

「早かったわね。マーズもさっき着いたところなの」

一人暮らしにしては十分すぎる長廊下を抜けると、8畳ほどの開けたリビングが見えた。背の高いテーブルに腰掛け、マーズは本の構成を練り考えあぐねていた。

「やぁ、ムーン。お疲れ様。遅いから先に始めてたぞ」

何分経っただろう。元々の意図を、目的を忘れかけたその時、ヴィーナスがトイレに立った。


マーズ

拭いきれない。消し去れない。
集会後にストーカーのように尾行をしてまで彼女を追ったものの、完全には疑念を消し去る事ができなかった。明日で最後と心に決め、2日目の夕方に幸か不幸か出会ったのはムーンだった。いや、きっと通報されなかったこと自体、不幸中の幸いと言ってしまって良いだろう。

普段テレビドラマや映画でさえあまり見ない俺にとって、こんな壮大な勘違いをすることは珍しい。自制心や理性をフル活用し、杞憂だったんだと思えていた矢先、疑念は確信に変わった。言われないと分からない程度なのかも知れないが(実際にジュピターやマーキュリー、アースは気づいていない)、俺にははっきりと彼女でない「何か」が透けて見えた。ただ、俺が見せたのは驚愕でなく、熱意の表情だ。ありえないと恐怖さえ感じ驚くムーンを横目に、俺はこの「何か」が一体「何なのか」暴きたいという欲求に駆られた。

ヴィーナスの家には物がなかった。何度か行ったセフレの家は、生活感が滲んでいたし、女友達の家でさえ、整頓はされていたものの、物自体が少ないということはなかった。彼女の家には、およそ物と呼べる物がなかった。ないものを列挙するより、あるものを数えた方が早いというくらいに。テレビも、観葉植物も、湯沸器も、カーペットも、電子レンジも、化粧道具も、wifiも、物干し竿も、本棚も、冷蔵庫さえ無かった。それはもはや生活感がないというレベルでなく、生活がないと言える。そんな引越し直後にしか見えない部屋に異質に鎮座する机と椅子に案内されるや否や腰掛ける。

ムーンがいない間、たった5分程なのに体感で30分に思えるほどの時間、ヴィーナスは話続けていた。「近所の子犬が」

そして最後に言う。

「どうだった?私の私生活は」

意味深な彼女の言葉に、尾行への気づきが含まれていたのかどうかは分からない。単に家を訪れた感想を聞かれているとも捉えられる質問に答える間もなく、彼女さムーンを出迎える。

何もかもバレている、そうとしか思えない。そう思った瞬間、居ても立っても居られない。率直に尋ねようと思い、ヴィーナスが席を立ったと同時にムーンに経緯を説明した。


臨時会


まさかテレビドラマや映画でしか聞いたことのない「お前は誰だ」という発言を自分がするとは思わなかった。しかし、彼女はまるで真犯人が暴かれた時のように、真剣な眼で、淡々と語り始める。

「お気づきの通り、私はヴィーナスではありません。いいえ厳密にいえば、この体はヴィーナス、もとい木南梨のものです。ただ、彼女の精神は今、一時的に睡眠状態にあります。その間、私が彼女の代わりに日常生活を送っているのです」

「は?つまり、お前はヴィーナス本人じゃないってことか?」

「だからそう言っているでしょう。人間は愚かですね」

「じゃあ、あなたはいったい誰なの?」

「実に良い質問です、ムーン。私はあなたたちが言うところの『宇宙人』と言ったところでしょうか」

俄かには信じがたい状況と、特に隠してもいない、聞かれなかったから今まで答えなかっただけのような、澱みないヴィーナスの言葉だけが室内に響く。

「大体、疑問はいくつもあったのではないですか?そもそも、宇宙会は何なのか?誰が何の目的で開催しているのか?選抜基準は何なのか?住所はなぜ知られているのか?そして、なぜ宇宙会では感情的になってしまうのか?」

にやっと、したり顔をするヴィーナスの表情が一層不気味に見えた。

「感じませんでしたか?違和感を。宇宙会では『なぜか』普段言わないような言動を、行動をとってしまいがちなのか。特に、二度目の集会で大きな言い争いをしたあなたたちなら。」

「それは」

言いかけたマーズに被せて、ヴィーナスが続ける。

「いいえ、とっくに気づいていたのではないですか?ただ、眼前の忙しさに下負けて目を逸らした。こんなことはよくあることだ。きっと気のせいだと、見て見ないふりをしていたのではないですか?」

シャーロックホームズの謎解きショーさながらの種明かしに驚愕しながら、「あぁ、こいつは私たちとは違う」。価値観の相違とか、方向性の不一致とか、意見の対立とかそんな程の良い言葉では片付けられないくらいに、宇宙人なんだと思った。

「どうしたんですか、ムーン」

「…」

「もしかして、理解しようとするのをやめたんですか。私が宇宙人だから。話の通じる相手じゃない、自分の理解できる範疇にないから。滑稽ですね。この会に参加するまで宇宙人だと思っていたのは、自分たちのはずだったのに」

そうだ、こいつの言っていることは概ね正しい。この1カ月、短い時間ながらもメンバーのことを見ていた。各々が問題を抱え、課題を通して学びを得た。

「私たちは、気持ちの大小さえあれど、自分たちを他の人とは違う存在だと『宇宙人』だと思い込むことで、自分かさえ分からない自分を定義づけようとした。もしかして、それが参加資格なの?」

「よく分かったね、ムーン。その通りだ。君たちは、そうして選ばれたんだよ。自分は他の人と違うと思っている人間ほど、扱いやすい者はいないからね」

「お前たちの目的は一体何なんだ?」

「人になることだよ。私たちは、地球に到着して約200年、水面下で人間の勉強をしてきた。奪い合い、傷つけ合い、殺し合う。嫉妬、妬み、憎悪、嫌悪。あなたたちが忌み嫌うゴキブリや蛆虫よりも、よっぽど醜い存在だ。ただ、同時に気づいたんだ。歓喜、励まし、助け合い、思いやり、挑戦、尊敬、絶望と対極にある希望の概念。人を人たらしめる『感情』の重要さ。それが君たちの強さ、進化の根源だと言うことに。人しか持たぬ『感情』を研究することこそが『宇宙会』の目的だ」

突然語られた壮大すぎる思惑に、マーズはたじろぎながら言葉を発する。

「そんな。まさか集会で気持ちが制御できなくなることと関係はあるのか?」

「催眠?」

「惜しい!さすがムーン。当たらずとも遠からずといったところだ。厳密には電波。特定の周波数において、人は理性というストッパーが効きにくくなる。これは私たちが長年発見してきたものでも大きな気づきでした。貴重なサンプル集めのため、議論の活性化のために少しばかり増強剤を加えたまでです」

「それでヴィーナスを洗脳したの?」

「いえいえ滅相もございません。何か勘違いされているようですが、私たちは別にあなたたちの体を乗っ取ろうだとか、世界中の人間を撲滅したいなんて、人間でいうところの崇高な目標は持ち合わせていませんよ。ヴィーナスは不幸だったと言うしかございません。薬と同じように、周波数は、体質によって効きやすさが異なります。彼女は、今までの参加者でもとりわけ耐性が低く、2度目の周回ではすでに元々の精神が壊れかかっていました。継続すると、廃人となる恐れがあったので、一時的な療養のため、私が彼女に成り代わって生活をしている次第です」

「つまりヴィーナスはいつか、戻ってくるんだな」

「はい、もちろんです。お返ししますとも」

気を抜いた瞬間、ムーンが頭から崩れ落ちるのが見えた。

「えぇ、お返ししますとも。何年先になるかは分かりませんがね」

薄れゆく意識の中で、そう呟くヴィーナスの声が聞こえた気がした……

第5回宇宙会

この数年間、違和感を持つものはいれど、真相にたどり着くものなんていなかった。人間に気づかれたのは初めてだし、種明かしをするなんて想像さえしていなかった。これは、私たちが目標に到達するといった予兆か、それとも単に気の持ちようか、それは断言できない。今までも、周波数が合わず、仕方なく「乗っ取り」を行った人間もいるにはいる。とは言えそれは、廃人にならないための、言わば緊急措置であり、悪意なんて毛頭ない。とは言え、私たちの存在を公にする段階にはまだ至っていないだろう。見つかるわけにはいかない。殺されるわけにもいかない。バレたからには隠さなければならない。そうしないと生き残れないのだから。

ムーンは、暗くてどんよりとした底の方で眠っている。もっとも、私が彼女を操っているとは言え、体は彼女のものなのだから、眠っているのは私と言ってしまっても良さそうだ。

彼女には悪いことをしたと思う。本来であれば周波数に耐性がなく、理性を保てなかったヴィーナスだけが「乗っ取り」の対象だった。マーズとムーンは勘が良かった。いや「乗っ取り」の被害にあっているわけなのだから、この場合悪かったと言った方が適切かもしれない。ただ、こんなことは今に始まったわけではないし、私たちが地球に着いてから何度かあったことだ。今更気にするほうが、過去の人間にとって冒涜と言うのではなかろうか。

今、私はムーンの中にいる。
彼女の顔で表情を作り、手や足で動き、目で見て、耳で聞き、声で話す。ヴィーナスを通してずっと見てきた。彼女の話し方、行動、考え、性格。大人びているが大人ではない彼女の思考や両親への過剰なまでの執着心。私は彼女に成り代わる。それが私にできる最善だ。いつか彼女が戻ってくる日を待ち焦がれ、彼女として生きることを決意する。

今日で長かった宇宙会も最後だ。
ヴィーナス、マーズ、ムーンはもういない。厳密にはここにいるが、もっと言えばここにはいない。ジュピターの提案通り、あれから私たちは本の執筆を進めている。各章で主人公が変わり、それによって目線の変わる作品。いつか、本当の5人で再び集まることはできるのだろうか。楽しさを分かち、孤独を埋め、悲しさを共有してきた同士は果たして再開できるのでしょうか。

希望を胸に、今にも完成間近の本を手に取る。
そこには「私は宇宙人」というタイトルが煌めいていた。

(完)

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