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『ラカンと哲学者たち』で無意識を考える

工藤顕太『ラカンと哲学者たち』亜紀書房 2022年

難解と言われるラカンを、他の大哲学者に関する言及から探っている書。

まずはフロイト

無意識:記憶の集積。=個人の物語的な広がりとしてとらえる。フロイトの発明。しかし無意識には直接アクセスできない。
抑圧:ネガティブな意識を心の奥底に押しこめてしまうこと。意識してそれを止めるのは難しい。これは「事後性」をもってずっと後になって、何かのきっかけで突如現れることがある。
構築:精神分析の専門家は触媒として、患者と無意識のあいだで抑圧と戦う。そのプロセスのこと。(p39)

構築=妄想?

妄想:患者が過去に意識の底に押しこめたものが、形を変えて意識に昇ってきたもの。妄想をたどれば、患者の深奥(「現実」)へたどり着ける可能性がある。(p42)

病者の妄想形成は私たちが分析治療で作り上げる構築の等価物であるように思える。それは説明と復元の試みなのだ。

ジークムント・フロイト「分析における構築」、渡邉俊之訳、『フロイト全集』第二十一巻

無意識は「仮定」

無意識とは、推論から導き出される「仮定」。(p50)
無意識は他者の意識に似ている。自分の中にある他者っぽいもの。
「仮定」は「過程」と言ってもいいかもしれない。分析家によって表層にあらわれ認知されてしまえば、無意識はある概念になってしまって本来の姿を消す。過程はかくして忘却される。
ラカンはフロイトの原義に立ち返り、独自の仕方で無意識を再定義する。「無意識とは存在でも非存在でもなく、現実化されていないものに属している」(p53、ラカン『精神分析の四基本概念』)。それは何かのきっかけで現前する「裂け目」のようなもの。
その先にある「内的な現実世界」をラカンは「現実界」と呼ぶ。(p125)

その欲望は誰の?

ラカンとって「主体」とはおもに「話す主体」のこと。言語という場に身を投じることで主体が現れてくる。その言語場のことを〈他者〉と呼ぶ。(p61)〈他者〉はラカンによる独特な呼称、要注意だ。
〈私〉の欲望は自分の中ではなく他所よそからやってくる、〈他者〉の欲望であるという。(p63) なんと恐ろしいことか。親の欲望、学校や会社の欲望、社会の欲望、道徳、マナー… 自分が選んでいる道は、じつは誰かに選ばされている道。それが社会的アイデンティティ。自由意志など存在しようがない。

主体は分裂する

言葉を発することは、私についての表明である。しかし言葉そのものの表現力には限界がある。話せば話すほど〈本来の私〉という存在が欠けていく。つまり主体は、意味(言葉の)と存在(私)に分裂する。(p77)
これを見逃しているから、たとえば「嘘つきのパラドクス」のような論理学的パラドクスが生じてしまう。「私は嘘をつく」の真偽を問うのに、言語を単なる記号としてとらえるから矛盾が生じる。ラカンはそれを一蹴する。清々しいほどに。そもそも主体は分裂しているのだ。

再度、欲望について

さらにラカンは話者の「欲望」という次元を考慮する。つまり嘘つきには「自分は嘘つきだ」と言いたい欲望がある。その欲望を汲みさえすればパラドクスは消える。
【余談】
この「欲望」の扱いは重要であると思う。対話において、相手が本当に言いたいことは平板な言語表現の背後に後退している。言語=齟齬という宿命。その斟酌しんしゃくなしに真摯なコミュニケーションは困難だろう。

分裂したままでいいのか?

〈他者〉の欲望に張り付いた主体を、全力で引き剥がさなくてはならない。このブログの冒頭に戻ろう。まさにそれは精神分析者の役割なのだ。患者の前に仮の他者として立ち、分析者を超えさせる、そういう役割を果たす人。病的なものとして治療が必要かそうでないかは、個人の事由による。程度や深刻さの違いであって、構造はそこにあり続けると言ってよいだろう。我々すべてにとっての問題なのだ。
求むるべきは、真の自己決定。だが、立ちはだかる「欠如」。

欠如と享楽

享楽とは、快原理というリミットの向こう側へと主体を誘う根源的な満足のことであり、欲望の真の原動力は快ではなく享楽である。

工藤顕太『ラカンと哲学者たち』p121

気持ちいいだけの快楽を超えて、緊張感や苦痛をも含む、強い牽引力を持った「享楽」が存在するという。人は自らの欠如を埋めるために享楽をなすのだが、そのとたん欠如は埋められないまま消失し、新たな欠如が生まれる。この不可能性の繰り返しで、人は生きていく。まるで水の上を歩くようだ。
しかし渇望があるからこそ、進めるし、何かが待っているし、世界は景色は変わっていくのではないだろうか。それを愚かと言って切り捨ててしまっては、虚空に身を浸すばかりであると思う。

(さらに深掘り)

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