そして福祉を受ける人が報われなかった社会
2016年7月、悲しいことに神奈川県相模原市の障害者支援施設で、入居者19人が殺傷され死亡、26人が負傷する事件が起きました。
当然、マスメディアでも連日報道されました。4年弱経ちながらもまだ記憶に新しいかと思います。
すぐに捕まられたのが、そこの元職員26才の男性でした。
ニュースでは、クビになったから犯行に及んだと供述していたようですが、警察の調査では実際は、自己退職だったようです。
この事件は職員には危害を加えず重度障害者のみを狙った犯行でした。
誰を狙うとか関係なしでも、罪のない人を殺すことなど、当然許される話ではありません。
しかし、当時このニュースを見ていてふと当時思ったことがありました。
ニュースやその評論家は一斉に施設の警備体制の不備を指摘していたことです。
要は「警備員を増やしたり防犯体制をしっかりしておればこのような事件は防げたのではないか」という論調一色だったことを今でも覚えています。
それは、ごもっともな確かな話で、警備類を万全にしておけば絶対とは言わずともかなりの確率で防げたのは間違いないかと思います。
では、この施設は、なぜ警備防犯体制をまったく整えていなかったのかという本質的な、そこを誰も論点にしていないこと、それ日本社会の盲点じゃないかと思いました。防犯体制をしっかりしとけばよかったという評論は正直僕でもできる。
なぜ、このなにも無い防犯設備はどういう理由でなにも無かったのか、そこが一番重要になってくるじゃないかと正直思いました。
なぜなら、その防犯体制云々の話はどのような施設学校でも同じこと、いわゆる一般論だと思ったからです。
ニュースでも言われているので知っている人も多いかと思いますが、今の福祉施設での最大の問題点は、人材不足が語られます。
低賃金で重労働、完全な人材不足です。これもなぜ人材不足で低賃金で重労働なのかを考える必要があると思います。
当たり前ですが、施設にお金があれば、防犯設備も整え、警備員も配置でき、職員は豊富な数を高給与にて採用、よって重労働もなくなる。
施設にお金が無い、これがすべての原因の根本にくる問題だと認識できます。
実際、従業員の給与は時給換算にて国が定める最低賃金と同額、近所のコンビニのバイトのほうが遥かに高いという状態です。
福祉施設で働いている人が他人から、そんなに辛いのなら、「だったら辞めればいいじゃないか」ということをよく言われるそうです。
それではなぜあの人達は、給与も低く、労働環境が悪い福祉施設で働いているのか。
それは、自らが福祉の現場で働かないと弱者が救われないという気持ち、そして、もし自分だけが辞めたら他の職員がさらに重労働になってしまうのではないかという心配。
やはり、一番気にするのは、福祉を受けている方々のその福祉の質、人として扱いが更にひどくなるのではないか、と葛藤して働き続けていることはよく知っています。
日本はすべて資本主義の考え方で働いている人だけではないのです。
カッコいい世界で生きている人だけでないのです。そして、1日も早く普通の生活に戻ることができるように頑張っている人も沢山おられるのです。
但し、今回の事件において罪もまったくない重度障害者ばかりを狙った犯行は絶対に許されません。
しかし、その犯行に至った犯人の思想には、福祉業界で働くことでの低賃金や労働環境の悪さから来てしまった側面も大きくあるかと思います。
福祉施設の中は基本的に見えません。どのような世界でどのように大勢の障害者の方が大勢集団で生活されているかはわかりません、想像もできるはずのない世界かと思います。
せいぜい本かマスコミの眼を通してしかわからない世界です。
「そんな世界で働くこの苦労は社会から認めてもらえないといった悔しさ」もこの犯行に至った要因ではないかと分析されています。
見える所だけが世界ではなく、見えない所に血がにじむ世界もあり、世の中皆が要領よく生きていけるすべてがやりたいことができるカッコいい世界でもありません。
できることができる程、羨ましいことはない、みんなそう思っていると思います。
やりたいことや、好きなことができているということは当たり前かもしれないですが、心の底からそのようなができるようにと訓練している人もたくさんいます。決して叶えられるかどうかはわからなくても。
だから、そこにも施設での暴力がその夢の経緯かどうかもわからない見えざる世界の中で。
福祉の世界は、「人の命を預かる」という重要な責務を抱える職業でもあります。
にもかかわらず、最低賃金で職員を募集するしか方法論がないのが日本の福祉業界であり、障害者支援福祉施策を支える環境なのです。
このような事件を二度と起こさない為に日本政府を挙げた処遇改善策及び、過酷な労働で心身ともに疲労困憊している職員のメンタルケアを再優先課題にすべきだと思います。
すでに警備員を増やしたり、防犯設備を増設する予算に回せない、その予算があれば、人材確保の為に回さなければ、福祉施設が運営できない、という事実があります。
この犯人は障害者と接することで、潜在的に重度障害者に差別的思想を持った経緯があるようです。そして殺人者になってしまった。
なぜ殺人者にまで変わってしまうほど人格が崩れたか、その答えの一つに今現在大きな問題となっている「福祉施設職員のあまりにも過酷な労働環境」が一つの原因ではなかろうかと私は想定できます。
追って、この事件を調べていくと、設立から50年経ち、現在夜勤で1人の職員が30人の介助(排泄、おむつ交換等)を行っています。
ここだけが悪質ではなく、この数値は一般的な数値です
この施設では隠していたのかはまったく見えないのですが、介護される側への日常茶飯事の暴力、気に食わなければ殴って言うことをきかせる、そのような話はよく聞きますが、都合が悪いのか理由はわかりませんが、報道をしない権利を行使しているのか、ほとんど行使されていません。
このように事件があって、初めて顕在化されている気がしてなりません。
世の中の闇は、見えません。なにかあって、その表面が表れてくるぐらいだと思っています。同質の要素を持った別のなにかでも起こるかもしれません。
人間の知恵を絞り、まだ見えぬ同じ要素が重なって起きる事件が出ぬよう、調査と研究、そして、国民が感情に頼って走らないよう冷静に判断ができることを祈ります。心理的隔離がまた発生するからです。
このような事件は表面的な警備体制が云々ではなく、そのようになってしまっている、それが日常となり、職員が暴力的に走ってしまう体質に変わることがないよう、そして、二度と事件が起こらない優しい社会に向かうように。
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