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相米慎二『夏の庭』(2021/6/9ゼミ)

家、庭

現代は、自分の「すまい」を自分の手でどうメンテナンスするか、どうケアするかを考えず、その技術も知らないまま、外部委託で済ませてしまう時代になっているようです。

一方、映画『夏の庭』では、子供たちが自ら、家、庭のメンテナンス、ケアをおこなっていきます。その過程で、障子の張り替えや、ガラスの交換など、日本家屋のメンテ、ケアに必要な技術を知ります。

スイカを切るのに魚屋の息子が包丁研ぎの道具を持ってくる場面がありますね。これも、家庭で使われなくなってしまった技術に、子供たちが気づくポイントです。

こうしてみると、子供たちによる家や庭の整備は、その技術や工夫を継承する無意識のおこないなのかもしれません。障子を張り替えるときのノリひとつ取ってみてもそうですが、具体的な経験を通して、子供たちは家屋に用いられる素材や古い道具の「歴史」を学びます。

ひいては、おじいさん自身が「歴史」そのものなのだとも言いたくなります。子供たちはおじいさんとの交流、古い家の整備を通して、具体的な経験を積み、「歴史」に触れているのです。

最近では動画投稿サイトなどにインテリアやDIYの工夫を凝らした家の整備、ガーデニングの動画が溢れています。けれども、「歴史」と結びついている動画はあまりなさそうです。100円ショップでこれだけできる、みたいなものが多いでしょうか。

しかし『夏の庭』に照らして考えると、歴史を伝えるのは記録だけではなくて、「モノ」や「人」でもある、というべきかもしれません。

老人から若者への「継承」を扱った映画としては、クリント・イーストウッド監督の『グラン・トリノ』も秀逸です。

死はこのお話の重要なモチーフで、子供たち3人とも、「死」を身近に経験します。メガネの子は、映画の冒頭で欄干の上を歩きます。「関取」と呼ばれる子は、おばあさんを亡くし、プールで溺れかけます。もう1人の子は、おじいさんの行方を追って病院の霊安室に迷い込みます。

ゼミの発表では、コスモスの花はキク科で、死の象徴かもしれないと説明されていましたが、子供たちは台風の夜、そのコスモスが心配で、おじいさんの家に集まります。そこへ、一羽の蝶がやってくる。その蝶を見ておじいさんは、亡くなった戦友のことを思い出していなかったでしょうか。コスモスがなかったら、蝶はやって来なかったかもしれないと思うと、全てが「死」で繋がっているようです。

おじいさんが亡くなった後、子供たちは井戸を覗き込み、蝶やほたるやトンボを目にして、「おじいさんや」と言うわけですが、これは台風の夜、蝶を見たおじいさんが戦友を思い出したのと同じ構図です。(また、この映画では、庭に生息するカタツムリやミミズ、ヘビなどのショットが挿入されていましたが、こうした生き物たちのショットの意味も気になるところです。)

おじいさんとの交流は、子供たちが「死」を受け入れるための通過儀礼のようなものだったのかもしれません。家と庭は、通過儀礼の役目を終えたので、最後、廃墟に戻ったのでしょう。

記憶

ヤヨイさんは娘さんによると「ボケてしまった」とのことでした。けれども、火葬される直前に対面したおじいさんのことを、思い出したようです。これは認知記憶が回復したというよりも、感覚的な反応・反射に近いようにみえます。

戦争の経験は頭で記憶されるほか、精神のトラウマになります。五感への傷として刻まれる面もあるのかもしれません。この映画の真骨頂は、戦争について道徳的な判断を下すのではなく、戦争で負った精神や身体の傷を感覚的に伝えるところです。

最後の場面、家が廃墟に戻り、コスモスが枯れていくのに合わせ、戦場の音がオーバーラップしていたと思います。これも痛みを感覚的に伝える表現の工夫でしょうか。

私の母は7歳の時、仙台で空襲にあい、その話をよくしていました。いわく「足が遅かったのでぎゅうぎゅうの防空壕に一番最後に入り、扉のゴツゴツした石の部分に頬が擦れて痛かった」とか、「戦後になっても炉端で秋刀魚を焼く匂いがすると、空襲で焼けた死体の匂いを思い出すので、秋刀魚をしばらく食べられなかった」、あるいは「大人になって上京してからも飛行機の音がするたびに耳を塞いでいた」など、全て五感で覚えているんですね。実感を伴った記憶は、その衝撃の大きさを物語ります。

近年、戦争の記憶を実感をもって語れる人が少なくなってきました。戦争に対するアレルギーを持たない人も増えてきたなかで、映画『夏の庭』から、知識でも道徳でもない「実感」を「継承」していくにはどうしたら良いかが課題として見えてきます。

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