見出し画像

The Egg / Andy Weir (さるばなな訳)

本作品は、2009年8月15日にアメリカ人作家Andy Weir氏のウェブサイト”Galactanet”上で公開された短編小説”The Egg”を、筆者が日本語訳(意訳)したものです。


あなたは家に帰る途中、事故で死んだ。

なんてことない交通事故だった。
しかし、あなたは運悪く車から弾き出され、致命傷を負ったのだった。


痛みは感じなかった。
救急隊は必死に救おうとしてくれたが、全身にひどい衝撃を受けたあなたの身体は、目も当てられない程ずたずただった。病院に着いてしばらくすると、妻と子どもたちが駆けつけた。彼女たちは懸命な治療を施されるあなたを載せた血まみれのストレッチャーにしがみつき、祈るように涙を流した。しかし、救急医もあなたの家族も、そしてそれをすぐ近くで眺めていたあなた自身も、もう助からないとわかっていた。
あなたも、それでいいと思っていた。

さまざまな管や機械が、あなたの身体から外された。
あなたはしばらくの間、ひどい有様の自分の死体と、慟哭する家族の様子を眺めていた。

ここは急患が来ますから、と看護師に引き剥がされた家族は、深夜の誰もいない病院の総合受付の前の椅子に座り途方に暮れた。あなたは子どもたちが過呼吸になるほど泣きじゃくるのを見ていられなくなって、自分の死体を運ぶ看護師たちについていくことにした。

いやに長い廊下を、ストレッチャーはからからと音を立てて進んだ。
廊下の果てに近づくにつれて、あなたはあたりがどんどん暗くなっているのに気づいた。照明が落とされているのか、自分の目が見えないのか、あなたにはわからない。ついに、あたりは暗闇に包まれた。






そして、あなたは私に出会った。


「俺は…死んだのか?」

あなたは尋ねた。

「そう、あなたは死んだ」

私は答えた。

「車から投げ出されたあと、たぶんトラックに轢かれて…」
「そう」私は答えた。
「やっぱり、死んだんだな」
「そうだ。だが大したことはない。人は必ずいつか死ぬ」

あなたは慌てて周囲を見渡した。
しかし、ここには何もない。
ここにいるのは、あなたと私だけだ。

「ここは……どこだ?」
あなたは私に尋ねた。

「死後の、世界?」

「まあ、そんなところだ」
私は答えた。

「じゃああなたは、神……?」

「そう、私は神だ」
私は、あなたのいう”神”という言葉を繰り返した。

「妻と子どもがいるんだ、彼女たちは…大丈夫なのか?」

「いま死んだばかりというのに、家族の心配とは」

「大丈夫、なのか…?」

あなたは私を見つめた。
まるで、私が神だなんて信じれらないというように。あなたにとって私は、せいぜいうだつの上がらない会社員とか、保険のセールスマン程度にしか見えないのだろう。何となく偉そうなこの話し方も、あなたには神というよりむしろ学校の先生みたいに聞こえたのかもしれない。

「心配はいらない」と私は答えた。
「彼らは大丈夫。子どもたちはあなたのことを、完璧なと父親して記憶するだろう。なにしろ憎く思えるほどの時間を一緒に過ごせていないのだ。奥さんは表向きには泣いているが、実のところ、内心は密かにホッとしている。なんといっても、あなたたちの関係は崩れかけていたのだから。そして、気休めになるかわからないが、彼女はそんなホッとしている自分に、いくらかの罪悪感を感じている」

「少しは、わかってもらえたか?」

あなたは少し間を置いて、残念そうな顔で言った。

「そう…ですか…」
あなたは俯いて少し考え、そして先ほどまで感じていた心配や懸念を消化したようだった。

「ところで、俺はこれからはどっちに行くんです?天国とか、地獄とか」

「どちらでもない。あなたは生まれ変わる」
私は言った。

輪廻転生か、とあなたは呟いた。
「じゃあ、ヒンドゥー教が正しかったのか」

「まあ、人の考えにはそれなり正しいところがある」と私は答えた。

少し歩こう、と私はあなたを散歩に誘った。
「どこへ行くんです?」とあなたは少し不満そうに尋ねた。
「どこへも行かない。歩きながら話すほうが、緊張しないだろう?」
私たちは、二人で虚空の中を歩きはじめた。


「意味はあるんですか?」
あなたは唐突に私に尋ねた。

「どうせ生まれ変わったら何も覚えちゃいないんだ。昔の俺みたいにただ空っぽな赤ん坊になるんなら、今あんたと何を話したって、この体じゃ意味ないじゃないか」
あなたは少し苛立っていた。

「いや、そんなことない」
私ははっきりと答えた。

「あなたの中には、今まで得た経験と知識がすべて残っている。ただ、今は思い出せないだけだ」


私は立ち止まり、あなたの肩に手を乗せた。
「あなたの魂は、あなたが想像も出来ないほど壮大で美しくて、巨大なのだ。あなたの一度の人生には、その魂のほんの一部しか収まらない。例えるなら、水の温度をはかるために、コップに指先を入れるようなものだ。指先という、自分のほんの一部分しか水に入れられなかったとしても、指先を取り出すときには水の感触を全身で経験することができる」

「あなたはここ48年間ずっと人間の身体のなかにいたから、意識を広げてその壮大さを感じ取る機会がなかったのだ。しばらくここにいれば少しずつ思い出してくるはずだがね。だが、毎度毎度の人生の間にそれをする必要はない」

「じゃあ、俺はあと何回生まれ変わるんです?」

「何度も、何度もだ。これまでも数えきれないほど生きて、これからも数えきれないほど、色々な人生を生きることになる。次は確か……、あなたが知っているところの中世時代あたり、中国の農村で生まれることになる」


えっ?


「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
あなたはひどく驚いた様子で言った。

「俺は、過去に飛ばされるのか?」

「まあ、そう言われるとそうかもしれない。というのも、あなたの言う”時間”なんてものは、私が元々いた場所には存在しない。あなたの世界でしか意味を持たないのだ」

「元々いた場所?」
「私にも、家はある」
私は冗談を交えて答えてみたが、あなたは笑わない。

私だってずっとここにいたわけではない、と私は続けた。
「あなたに会うために、別の場所から来た。そして、私のような存在も他にいる。その場所の話をもっと聞きたいというあなたの気持ちはわかるが、説明しても、今のあなたには理解出来ない話だ」

「そうか」とあなたは残念そうに言った。
「でも、時間がばらばらで生まれ変わるなら、ひょっとしたら、俺が別の俺と出会ったこともあるかもしれないよな?」

「まさにそうだ。だが、互いに自分の人生のことしか認識していないから、それに気づくことはない」

「じゃあ、いったい何のために、俺は何度も人生を生かされるんですか?」


私は、あなたの瞳をじっと見つめた。

あなたは、私の答えを今かと待っていた。



「成熟、するためだ」

私は、いつもと同じようにあなたにそう告げた。



「あなたの人生唯一の意味、そして私がこの世界を作った理由。それは、あなたにあらゆる人生を経験させて、成熟させるためだ」

「人類のことか?人間に成長してほしいと?」

「いや、あなただけだ」
私はあなたの目を見て、はっきりと言った。

「私はこの世界のすべてを、“あなた一人のため”に創った。人生を重ね、経験を重ねることであなたは成熟し、少しずつ壮大で完璧な知性となっていく」

「俺だけ?ほかのやつらはどうなる?」

他はいない、と私は答えた。

「この世界には、あなたと私の二人しか存在しない」

「俺しかいないって…。世界には何十億人の人々がいるじゃないか!」

「その人々は、すべてあなただ。全員、あなたの生まれ変わり」

「……全人類が、俺だということか?」

「やっとわかってきたようだ」
私はあなたの前で初めて微笑んでみた。

「今まで生きてきた人間が皆、俺…?」

「そう、そしてこれから生まれてくる人々も、皆だ」

「じゃあ、俺の妻も俺で、子どもたちも俺ということか?」

「そう」

「俺が徳川家康で……」

「豊臣秀吉でもある」私は言った。

「ヒトラーも…、俺?」
あなたは動揺を隠さず私に訊いた。

「そう。そして彼が殺した数百万人の人々だ」

「イエス・キリストも?」

「そして、彼に従う全ての人々でもある」


終に、あなたは言葉を失った。


「あなたが誰かを犠牲にするとき、それは自分を犠牲にすることになる。あなたが人に親切をするとき、それは自分への親切となる。今まで経験された、そしてこれから全人類に経験されることとなるうれしい思い、悲しい思い、これを全てあなた一人が経験し、成熟していくのだ」


私がそう言うと、あなたは長い間考え込んだ。


どうして、とあなたは私に問う。いつものことだ。
「どうして、あなたはこんなことをするのですか?」

「あなたも、いずれ私のような存在になるからだ。あなたはそういう存在。あなたは我々と同じ。あなたは、私の子どもなのだ」

「そんな……」
あなたは暫しの沈黙のあと、はっとして私に尋ねた。

「じゃあ、俺も神…なのか?」

今はまだ違う、と私は否定した。

「あなたは胎児。まだ成長をしている途中なのだ。全人類全ての人生を経験した後、あなたは十分に成熟し、ようやく生まれることができる」

「じゃあ、この世界というのは……」







「“卵”なのだ、あなたのための」





さあ、次の人生を始める時間だ。


私は、あなたを見送った。



"The Egg"
Andy Weir / 15th August 2009 / Galactanet / USA
Creative Weitings of Andy Weir
Individual standalone stories

Translation : Salubanana(2024)
From Japan, with respect


この記事が参加している募集

#眠れない夜に

68,815件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?