第4幕 第3場 竹取の翁の家
(PDFファイルにより縦書きでも読めます)
暗転の間、読経が続く。ゆっくりと天へと向かう月。
中天に達すると、青白い光が舞台に満ちる。
庭の侍達、家の中の帝、翁、媼、静寂のうちに眠り込んでいる。
フクロウの声。
中臣、登場。
中臣 ( 舞台を見回して)面白い芝居が見られるというのでこうして来てみれば、何のことはない。役者どもがアホ面並べて居眠りときている。これじゃ月の奴らにすすんで協力しているも同じ。てんで物語(ハナシ)になりゃしない。
どら、ここは一つ。
首よりぶら下げたホラ貝を吹く。
一同、目を覚ます。
翁 これはいっかな。ついウトウトしてしまった。
媼 私もです。竹のささやきに耳を傾けているうちに、なにやらボーッとなってしまって・・・。
帝 ( ハッとして)姫は? かぐや姫は?
翁、媼あわてて奥へと飛んでいく。
侍達は体勢を整え直す。屋の奥からは咳払いと共に読経が起こる。
それにかぶさって琴の音が聴こえてくる。
中臣、満足そうにうなづき、袖に置かれた椅子に腰掛ける。
翁 ( 戻ってきて)ご安心くだされ。かぐやは無事ですじゃ。お聞きの通り、琴を弾くよう申しつけました。ともにいる女どもも皆うつ伏しておりました。おそらく、ここ数日の緊張の糸が緩んだのでありましょう。あやういところでした。家内には娘のそばにいるよう申しました。
帝 うむ。魔の刻(とき)であった。
翁、帝よりやや離れて座る。
しばらく琴の音のみが舞台を領している。
翁 陛下。眠気覚ましというわけではござりませんが、爺の昔話をひとくさりお許し願えませぬか。どうしたことか、今宵は昔のことが思い出されて仕様ないのです。かぐやを見つける以前の私どもの生活(くらし)が、記憶の底から浮かび上がってくるのでござります。
帝 ほう。話してみよ。
翁 ありがとうござりまする。
( 咳払いし)私と家内が一緒になりましてかれこれ四十年にもなりましょう。実は私どもには息子が一人おりました。一緒になってすぐにできた子で、名を竹男と申しました。子供というものは、親にとって生きる力でござります。竹林から疲れて帰ってきたときも、家内の腕の中で寝ている竹男の顔を見れば、疲れが失せ、夜っぴて細工仕事に打ち込めたものでした。歩くようになると都に連れてゆき、商いを見習わせ、帰りは疲れた竹男を籠に入れて背負い、山道をたどったものです。竹男は病一つせず、すくすくと育ち、たくましい朗らかな男に成長いたしました。誰にでも愛想良く、親思いで、働き者で・・・。あの子は竹取の仕事に誇りを持ってくれました。( ふと話を止め、聞き耳を立てる)
帝 どうかしたか?
翁 いいえ、何でも。申しわけござりませぬ。
竹男が十八を数えた秋のことです。その夏よりはた目にも様子がおかしく、そわそわしたりふさぎ込んだり。問いつめてみますと、村に好きになった娘がいるというのです。家内ともども驚くやら喜ぶやら。さっそくその娘を嫁に迎える支度を始めました。
竹男は、幸せの限りにおりました。朝から晩まで陽気に歌い、会う人ごとに笑顔を振りまいては冗談を飛ばしておりました。むろん、私どもの嬉しくないわけがござりませぬ。親というものは己の幸せより子供の幸せを第一に願うものでござります。子供の笑う声を聞けば己はどうあっても生きていける、そう思うもので——
( 話を止め聞き耳を立てる)
帝 どうしたのだ?
翁 なにやら妙な音が・・・。
帝 ( 聞き耳を立てる)いや。何も聴こえぬ。琴の音よりほかは。
翁 どうやら空耳のようです。年のせいでござりましょう。お許しくだされ。
帝 気が高ぶっておるのだろう。無理もない。
翁 はい。( 目の前の椀に口を付ける)
なにもかも幸福に見えたさなかにそれは起こったのでござります。
ある日都に出かけた息子は、戻ってきてややもすると寝込むようになりました。女房となる娘に何か珍しいものを買うてやるのだと市に出かけ、人混みの中で良からぬ病をもらったらしいのです。はじめのうちは、風邪の類いであろうと当人も私どもも高をくくっておりました。じゃが、急に熱が高うなり、赤い粒のようなものが体中に現れました。食も減り、日を追うにつれ衰弱する一方。あれほど丈夫だった竹男が今や指一本動かすこともできなくなってしまったのです。看病のかいなく、あれよあれよという間に息絶えてしまいました。
私どもには一体何が起きたのやら皆目分かりませぬ。子が親を置いて死ぬなど、そんな理不尽があってよいものでしょうか。心のどこかが麻痺して涙すら出ないのです。
限りがあるので弔わなくてはなりませぬ。竹林の中こそが竹男にとって一番の安らぎの地。私は竹男のなきがらを背負い、山の奥へと入り込み、一本(ひともと)の竹の根方に息子を埋めてきたのでござります。
それが、ちょうど二十年前の今宵。
帝 二十年前の・・・。
翁 はい。十五夜のことでござります。
それからというもの・・・・。
この世に子に先立たれた親くらい哀れな者はござりますまい。息子に死なれたというどうしようもない事実。その事実の前にはいくらあがいても、せんかたないのです。忘れることができたなら、忘れて新たな生活(くらし)を始めることができたなら、どんなに楽じゃろう。
胸をえぐる悲しみは日がたつにつれて深まる一方。心の中に悲しみという虎を飼い慣らしていくよりないのですじゃ。
私ども二人、毎日毎日をたんたんと送りました。悲しみに閉じこもって、ただむなしゅう時が過ぎるのを眺めているばかり。訪ねてくる人とてなく、花の色、鳥の声、月の光、雪の音に季節の移り変わりをかろうじて知る。生きていても死人(しびと)と変わりない生活(くらし)を送っていたのでござります。ただ命があるから永らえていたのでござります。(間)
そんな生活(くらし)がどれくらい続いたのでしょうか。娘の申すことが本当なら十三年が過ぎていた勘定になりますが、あるいはそのくらいは経っていたのかもしれませぬ。死人(しびと)は歳月(とし)を数える必要がござりませぬ。
帝 そうして七年前に、かぐやを見つけたのだな?
琴の音、止む。
翁 ( 明るい顔つきで)はい。私にはどうしても十八年前としか思えぬのです。奇しくも竹男を弔ったと同じ満月の晩、墓に参ろうと入り込んだ竹林で、あの子を見つけたのですじゃ。女の子なれど死んだ竹男の生まれ変わりと思えました。神様が、生きる希望を持たぬ私どもを憐れんで授けてくれたのだと思いました。家に抱いて帰ると家内も大喜びで。あれの笑い声を聞いたは久しぶりでござりました。
それから私どもの生活(くらし)に光が射し始めました。娘こそが光の源。かぐやを中心に私どもの生活(くらし)は賑やかになってゆきました。不思議なことに、かぐやを見つけましたあと、竹林に行き竹を刈るごとに、節の中から黄金(こがね)があふれ出てくるのでした。私どもは長者と呼ばれるようになりました。じゃが、私どもの心を満たしたのは黄金ではござりませぬ。日に日に美しく育っていく娘を見る、それだけが生きがいに——
帝 待て。何か聴こえる。
二人、耳を澄ます。
侍達、騒ぎ出す。
侍A 何の音だ、これは?
侍B 竹やぶだ! 竹やぶからだ!
侍C 一体、何が始まったのだ?
侍D おいっ! 見ろ、あれを!( 竹林を指さす)
侍達、竹林を見つめる。
侍D 花が・・・竹に花が咲いている!
大将 竹の花だと!
帝、翁、立ち上がり縁に出る。
翁 ( 呆然と)そうじゃった・・・。これはまさしく竹の花の開く音。幼い頃に一度聞いたことがあった。よう思い出せなんだ。
帝 竹の花・・・竹林が花で埋まるとき・・・
翁 ( ハッと気づいて)陛下。
侍A おい、大変だ! 月が、月が攻めてくる!
一同、天を見上げる。月の光はいや増しに増し、ふくれあがる。
舞台はいったん皓々たる光に包まれ、次の瞬間、真っ暗になる。
客席背後の扉の一つが開き、一条の強い光がサッーと舞台まで到達する。その光の通路(みち)を天女達おごそかに登場する。
帝 ( ハッとして)何をしている! 矢だ。矢を射るのだ!
大将 ( ハッとして)兵(もの)ども! 矢をしかけよ!
舞台上と客席の侍達、一斉に矢をつがえるが、弓を引くことができない。
侍達 ( 口々に)ダメです、大将。力が入りません。腕が痺れて効きません。なんてことだ。体中の力が抜けていく。眩しくて目が潰れそうだ。
侍達、次々とへたばっていく。
大将 ええい、なんて様だ! それでも百戦錬磨の兵(つわもの)か!( 弓を引いて)畜生。腕が震えてかなわん。東国の虎、軍場(いくさば)の鬼と恐れられたこの俺が、恐怖に腕を震わせているとは。いいや、これは武者震い。でなければ、魔だ。人知を超えた魔の仕業だ。( 矢を放つ)おおっ!
矢はあらぬ方向へ飛んでいく。大将、地面にくずおれる。
天女達が舞台に到達すると、光の通路(みち)消える。
しばし間。
天女の王 ( 高圧的に)竹取の翁、讃岐の造(みやつこ)。
翁 ( 地面に這いつくばる)は、はい。
王 汝、おさなき者よ。かぐや姫をしばし汝に預けしは、竹を愛でる汝が心ゆえ。竹は月の都に生うる唯一の草、神秘と清浄の象徴なれば。かぐや姫は親なる者のいささかの罪を作りしがため、赤子の姿してこの地に送られた。
汝、造麻呂(みやつこまろ)。七年前の今宵の約束、よも忘れてはおるまい。
今ぞ時満てり。汝に預けしお方を早う連れて参れ。
翁 お、恐れながら、この爺めには何を仰られているのやら、とんと分かりませぬ。かぐや姫とか、七年前の約束だとか、ただ今初めて耳にしたことばかりで、まったく合点がゆきませぬ。家には今年十八になった娘が一人いるばかりで、これは家内が腹を痛めて生んだ実の子でござります。お探しになっておられるかぐや姫とやらは、どこか別の所にいる娘でござりましょう。
王 隠しても無駄なこと。宿命(さだめ)には叶わぬ。
三人の天女達、家の中に入ろうとする。
翁、パッと飛び起きて、通せんぼうする。
翁 これより先は行かせぬ。どうあってもと言うなら、このわしを殺してからいくがいい。
天女達、高らかに笑いながら、衣のたもとで代わる代わる翁を打つ。
翁、全身の力を失い、くずおれる。
翁 ( 屋の奥に向かって)夢円殿! お助けくだされ。怪しげな女どもが、かぐやを連れていこうとしよります。どうか成敗してくだされ。
夢円、奥より現れる。天女達、立ち止まる。
双方、しばし睨み合う。
夢円 ( 天女の王に)おまえが長(おさ)か。黙しているところを見るとそうらしいな。( あたりを見回して)おまえ達がただならぬ力を有していることは、この有り様を見れば分かる。武力に恃んでのいかなるあらがいも役には立つまい。だが、いかがなものか。強引な振る舞いは天上の者に似つかわしくあるまい。ここはしばしそれがしの話に耳を傾けてもらおうか。
王 ( 冷淡に)話すことなどありません。
夢円 そちらにはなくとも、こちらにはあるのだ。おまえ達は七年前、この地にかぐや姫を送った。ここにおられる竹取の翁殿と媼殿に一人の赤子を預けた。竹林が花に埋まるまでという約束で。
翁 約束などしておらん!
夢円 そうだ。約束ではない。一方的な取り決めに過ぎない。おまえ達は老夫婦を利用したのだ。一人息子を亡くし慰めを必要としていた二人の心につけ込んだのだ。郭公(かっこう)が己の雛をよその鳥の巣に預けるように、かぐや姫を善良な二人に託した。そうして、二人が我が子同然に慈しみ育て上げたかぐや姫を、今では二人の心の拠り所であるかぐや姫を、期限が満ちたからと言って連れ去ろうというのだ。がんぜない子供から玩具を取り上げるように。これがむごい仕打ちとは思わぬのか。
王 むごい? むごいとはいかような言葉ぞ。
夢円 おまえの話にしたがえば、かぐや姫には親なる人がいるとのこと。ならば、月の都にも家族の絆、親子の情は存在するのであろう。子を思う親の心の丈を多少なりとも知っているのなら、子に生き別れする親の嘆きの海より深いことも察しのつくはず。まして、翁殿も媼殿も、実の親でもこうはゆかぬほどに、かぐや姫を丹精してこられたのだ。人の心を持たぬおまえ達だとて、親心がいかなるものかは分かるであろう?
王 これは笑止。家族の絆、親子の愛情など幻想に過ぎない。人間(ひと)の抱くあらゆる愛欲はただ妄想のなせる業。そう説いてきたは汝ではなかったか。
天女1 我らが国では親子も他人同様。生まれた子は月の子供として洗礼を受け、七年で成人する。それまでは、定められた養育人(やしないびと)の手に託されるのです。
天女2 かぐや姫の親なる者はそれを拒み、己の手で姫を育てようとした。ゆえに罰を受け、親子は引き離されたのです。
天女3 親子とは生む者と生まれる者とのつながりに過ぎぬ。たまたま一つの命が生まれるのに、宿りとなる母体を必要とするだけのこと。そこに意味を見いだすこそ不自然のわざ。
夢円 そこまで言われるのなら話は早い。そうだ。親子の情愛とは人の意識が生み出した幻想にほかならない。だがな、たとえそれが幻と分かっていても、人は愛無くして生きられぬのだ。親が子を思い、子が親を慕う心が、己が寂しさに端を発する利己的な感情であるとしても、そのように他人を求める欲望は肯定されねばならぬ。なぜなら、人間は弱い生き物だからだ。
もしおまえ達に慈悲があるのなら、人の弱さに憐れみをかけてはくれまいか。親心に同情できぬと言うのなら、人類そのものに同情してはくれまいか。
王 いかにも慈悲はある。なれど、慈悲は同情にあらず。真実をもって相手を諭すことこそ本当の慈悲。夢円、それは汝も分かっていようはず。真実の言葉を突きつけて、幾多(あまた)の者を親兄弟から引き離し、出家へと導いたは汝ではなかったか。
夢円 ・・・・・。
王 かぐや姫はこの世の人間とは違う。死ぬることもなければ、これより年を取ることもない。我らは不老不死。とうてい人とは相容れぬ。人は限りある命に満足しておればよい。月の都に生まれし者は、月の都に還るが道理。天界の宿命(さだめ)なのだ。
夢円 仰るとおり。かぐや姫は月に帰らなければならない。
翁 夢円殿、何を言われる!
夢円 ただし! 人の心を持て遊ぶ権利は誰にもない。今おまえ達が強引に姫を連れていけば、残された者は心に深い傷を負うことになる。年老いて残される翁殿と媼殿のことを考えてみよ。七年前の惨めな生活(くらし)に戻れというのか。一時(いっとき)良い夢を見させておいて、再び不幸のどん底に突き落とすつもりか。そんな残酷な仕打ちが一体に許されるものか。
王 我らのあずかり知らぬこと。人の心を癒すためには、夢円、汝がいるではないか。
夢円 ・・・・・一体、永遠の命を持つおまえ達にとって、七年とはどれほどの長さを持った時なのだ? 我々の感覚からすれば、半日か、半時か、それともまばたきするに等しい長さか。おまえ達にとって待つことなぞ何の労苦ではあるまい。
どうだ。かぐや姫を連れていくのを今しばらく待ってはくれまいか。いつかは帰るのが本道であるとしても、せめてあと数年、そうだ、ここにいる翁殿と媼殿が死を迎えるときまで、引き延ばしてはくれまいか。
翁 ( 土下座して)お願いいたしまする。わしらの命なぞ、もってあと五、六年でござりましょう。どちらかが死ねば、残る方もほどなくあとを追うに違いありませぬ。どうか今しばらくかぐやをとどめるよう、お計らいくだされ。わしらが死んだあとは、どうなろうとかまいませぬ。この邸(やしき)も財産もすべてご自由にご処分なさって結構でござります。
帝 私からも頼む。今しばらくの猶予を!
王 ならぬ。
夢円 畏れ多いことだ。帝のたってのお頼みを無下にしようというのか。
王 かぐや姫は今宵連れて帰る。誰にも邪魔だてできません。
夢円 ( 怒って)人非人め! ならば好きにするがよい。ただし、帰る道はないと思え。おまえ達の飛ぶ秘密はその羽衣にあると聞く。その衣、ずたずたに引き裂いてくれる!
呪文を唱えながら両腕を広げ、印を結ぶ。数珠を揺らし、両手を前に尽き出して
喝ッ!
とたんに数珠が四方に飛び散り、うめき声とともに地面にくずおれる。
翁 夢円殿!( 走り寄って夢円を抱き起こす)
王 ( 屋の奥に向かって)いざ、かぐや。いでたまへ!
ゆっくりと錠のはずれる音。
重い扉の開く音。
幾つもの戸がパタパタと開く音。
それが止んで、かぐや奥より現れる。
しずしずと、部屋の中央まで歩み、しばし客席と対峙する。
媼、転ぶように後から出てくる。
媼 おまえさま!( 翁のもとに駆け寄る)
王 かぐや姫よ。約束通り迎えにきました。さあ、こちらへ。
かぐや、極度に感情を押し殺した重々しさで、王のもとへ進む。
王 ( 傍らの天女より壺を受け取る)下界のきたなき物を召し上がったことゆえ、さぞ胸心地悪いことでしょう。この壺の薬をお嘗めなさい。
天女1 その薬は月の都を流れる川より汲みし霊水。
天女2 いっさいの不浄を取り除き、永遠の命と永遠の美をもたらす我らがエナジーの源。
天女3 人間どもが古来より不老不死の薬として、ひたすらに求め続けてきたものです。
かぐや、壺を受け取り、少し飲む。
壺をそばにいる天女に渡す。
別の天女、羽衣を王に手渡す。
王 さあ、あなたの羽衣です。これを身につけて天に還るのです。
かぐや お待ちください。
王 どうしたというのです。
かぐや この羽衣をまとうた者は、人の心を失うと聞きます。いかなる物思いも一瞬にして消え失せ、澄んだ水のごとき心を得ると聞きます。
王 そうです。それこそ月の者の心。
かぐや ならば、羽衣をまとう前に言い残しておきたいことがあります。
( 翁・媼の方を向き)おとうさま。おかあさま。
翁 ( 泣いて)かぐや・・・。
かぐや 人の世の別れがこのようにつらいものだとは知りませんでした。物心ついてよりこのかた、身の回りで浮かれ騒ぐ人々の姿を見ましては、不思議に思うてまいりました。人々がなぜあのように笑い嘆き怒り苦しむのか。なぜ一つことに命をかえりみぬまでに執着し、互いを滅ぼすまで憎み合い、また愛し合うのか。なぜ自分はそのような激しい感情を持たぬのか。不思議に思う一方でまた、そのような振る舞いを見苦しいものと見てまいりました。私を妻にと求めてくださる声にも心の動かされることはなく、世間では情け知らずの女、氷の心と噂されました。
どうしたことでしょう。
我が身の正体を知り、生まれた郷(くに)へ還らなければならない今になって、この心は張り裂けんばかりです。七年という短い間ではありながら、身を捨てて慈しんでくださったお二人の心の深さが今さらに思いやられるのです。宿命(さだめ)とはいえ、何一つお返しもできず去っていく身勝手さをたまらなく思うのです。
ああ。おとうさま。おかあさま。そのように嘆かれる姿を目にしましても、これから昇っていく空からも落ちてしまいそうな気がします。
媼 ( 泣きながら)かぐや、行かないでおくれ。
王 かぐや、あなたは少し地上にいすぎたようです。よもや、ものにとらわれやすい罪人(とがびと)の血のためではありますまい。
翁 かぐや。わが娘(こ)よ。答えておくれ。おまえはわしらが共に暮らした十八年を幻と言った。実際は七年しか経っていないと言った。ならば、わしらが心の内にある思い出もみな、幻だというのか。
幼いおまえがはじめて二本の足で立った喜びも、泣きやまぬおまえを背負ってかかさまが竹林の中を唄って歩いた月夜の晩も、はじめて「ととさま、かかさま」と回らぬ舌で呼んでくれた驚きも、かかさまは夕餉の支度、わしは箕作りをしているかたわらで、わしの作った竹ひご細工を小さな指でいじくっていたあの夕べも、三人で籠を下げてホオズキを摘みに行った夏の朝も、はじめて男から文を貰ったおまえの素っ気なさを諫めながらも、心の内では絶対におまえを渡すものかと息巻いた雪の午後も、みな幻に過ぎぬと言うのか。みな作りごとだったと言うのか。
媼 かぐや、私達は親子じゃなかったの? おまえは私達といて幸せじゃなかったの?
かぐや 幸せでした。おかあさま。とてもとても幸せでした。私ほど幸せな娘はこの世におりません。おとうさま、すべての思い出は真実です。心に残るものだけが真実の名に値するのです。
翁 どうしても行かなくてはならぬのか。
媼 いっそこの命、止めてくりゃれ!( 大泣きする)
かぐや、天女から壺を取る。
かぐや ( 壺を覗いて)一人分、二人分。さほど残ってはおりません。
おとうさま。おかあさま。この壺の薬を置いてゆきます。今の悲しみに耐えられない、来たるべき生の終わりを受け入れたくないと思われましたら、この薬を召し上がってください。飲めば永遠の若さを得、あらゆる憂いから解き放たれます。私を失った悲しみもすぐに忘れることでしょう。
天女1 かぐや、それは許されません。
天女2 人間にはもったいない。
天女3 人間にはまだ早い。
王 ほうっておきなさい。好きにするがよい。
かぐや、泣き続ける老夫婦の前に壺を置く。
ゆっくりと向きを変えて、帝に対面する。
かぐや 陛下。
帝 ・・・・・。
かぐや お別れの秋(とき)がまいりました。
何を申し上げたらよいのでしょう・・・。ただ、このような煩わしい身の程ゆえ、陛下の思し召しに添えなかったことばかりは、お分かり戴きとう存じます。
帝 ( 王に)月の都とはいかなる所か。
王 おまえたち人間の言う極楽浄土に近かろう。
天女1 そこには怒りも争いも嫉妬も恨みもありません。
天女2 憂いも嘆きも不安も後悔もありません。
天女3 永遠の美と永遠の浄福とが支配するところ。
帝 人の行けぬ処なのか?
王 人である限り。
天女1 人は煩悩の塊なれば。
天女2 人は死すべき運命にあれば。
天女3 仏にすがって極楽浄土を目指すがよかろう。
帝 もし私が・・・私も・・・。
中臣、ゆうらりと立ち上がる。
かぐや 陛下。私は陛下をお慕い申し上げておりました。人が人を愛するように、およそ人の女が人の男を愛するのと寸分変わりなく、お慕いしております。そうやって愛することが一体何のためになるのか見当もつかない心のすべてで。
帝 ・・・・・かぐや。
かぐや 月の都には嫉妬も争いも憂いもございません。けれどもまた、愛も優しさも希望も存在しないのです。愛はあるやもしれません。でも、それは人の世にあるような愛ではございません。幾夜も恋しさに身を焦がし、文が来るたびに胸が高鳴り、姿を見ては嬉しさと切なさとで胸が詰まって何も言えなくなるような、そんな愛ではございません。
帝 なるほど。煩悩のない処には、別れの悲しみもないかわりに愛の喜びもないということか。
中臣、再び腰を落とす。
帝 かぐや、あなたは一体何者なのだ?
いや天女たちよ。なぜかぐや姫を人間の世界によこしたのだ。彼女(かれ)が現れなければ私は平静でいられたものを。こうして、竹取の翁と媼を、私の二人の弟を、沢山の男と女の運命を絶対の美の下に組み敷き、翻弄することに何の意味があるのだ。一時(いっとき)の至福のうちに我を喪わせ、永遠に手が届こうかと思う瞬間、こちらの足をすくう。そんなむごい仕打ちをなぜ我々に与えるのだ。
王 それを望んだのはおまえ達自身である。
帝 我々が望んだと言うのか。
王 しかり。おまえ達が望んだ結果なのだ。モータルなおまえが。
帝 私が・・・私自身が・・・( 自分の手を見つめる) では、それならば、なぜ人は欲望するのだ。こうして我を無くして何かに心を傾けることが一体何の役に立つのだ。
夢円 ( ひとり言のように)宿命(さだめ)にござります。絶対を欲し絶対に依るのは人の常。自らは決して絶対足り得ない人の性分なのでございます。
王 人は死すべき運命にあるもの。我を忘れているときにのみ死の恐怖から自由になる。
帝 だが人は夢を見続けるわけには行かぬ。夢はいつかは覚めるもの、愛はいつかは終わるもの、美は遠からず滅びてゆく。あとに残るは幻に取り囲まれていた己の姿。幻を幻と知り、信ずるすべてを失った者の前には無の地平が広がるばかり。そうしたときに、一体何が我々を虚しさの獄やから守るのだ。
夢円 宗教でございます、陛下。すがるすべてを失った者が最後にたどりつく港。生きるむなしさを知った心の闇に救いの糸のように垂れてくる一筋の白い光。それが宗教なのです。
帝 しかし神とは・・・( ためらって)神もまた幻ではないか。救いを求める人の心のつくった・・・。
夢円 その通りです。神は存在しません。阿弥陀如来にいくら頭を下げたところで願い事は成就しません。
帝 では、なぜ、おまえ達は来世を説く? なぜ、神や仏があたかも存在しているかのように因果応報や最後の審判を説いて、純朴な人の心をおびえさせる?
夢円 答えはその中にございます。神や仏を信じる者、極楽浄土を願い、地獄の鬼におびえる者、こういった人々は悪を行う心配がございません。たとえ、この世で不幸が打ち続き、己の運命のきびしさを嘆こうとも、来世を信じ神仏にすがることで心の平安が得られるのでございます。自らの心の鬼と闘い、悪を退けるだけの力を得るのでございます。
帝 世の平和のために、神仏という方便が必要というのか。
夢円 はい。それも宗教の一つの役目には違いありませぬゆえ。
しかし神も仏も本来は、絶対を求める人の心の生み出した幻。民衆がそれを望んだからこそ出現し得たのです。釈尊は神の実在をお説きになりませんでした。それもことわり。釈尊の拓かれた道は「我々の回りには何一つ確かなものはない」という認識を出発点としていたのですから。それがどうでしょう? 今や人々は神を祀るが如くに仏を祀り、この世に何億何万体あるか知れぬ仏像に、日々経を捧げ供え物をし、ご利益を願っている有り様です。本地垂迹、神仏習合など釈尊の教えに対する謀反もいいところ。神を廃したところに仏教はあるのですから。
かように人は何にも心を寄せず、己の心の内だけを見つめ続けることに耐えられないのです。何かしら依るべきものを自らの外側に作り出さずにはいられないのです。
帝 人がどうあっても絶対に依らなければ生きていかれぬものならば、それが人間の持つ性分であるならば、何故宗教こそが最後の拠り所であらねばならないのだ?
夢円 己の野心・希望・夢を拠り所として生きている者がいます。世間の慣習や既成の価値の上にあぐらをかき、それを後ろ楯として生きている者がいます。愛欲を糧として、あるいは戦いを生きがいとして生きている者がいます。人はみな一つの、あるいは複数の「物語」を信じ、自らをその主人公と思いなすことで生きているのです。
帝 物語?
夢円 さようです。男という物語、女という物語、親という物語、子という物語、愛という物語、青春(わかさ)という物語、成功という物語、挫折という物語、闘いという物語、成熟という物語、人生という物語、美という物語・・・。物語は無数にあります。人の抱く幻想の数だけ、人の欲する絶対の数だけ、物語は存在するのです。そして、宗教という物語がこれらほかの物語と異なるのは、それが死を——万人にひとしなみに訪れる絶対の覇者である死を、物語の中心に据えているところなのです。人は必ず死にます。これはどうしようもない事実です。どんな人間もいつかは死を強く意識します。死について考えるとは、とりもなおさず、死後の世界について思いを巡らすことです。彼岸に思いを馳せる、これはすでに宗教の領分なのでございます。
世に氾濫するいかなる物語をも自分のものとして信じられなくなった者は、生きることのむなしさ、あてどなさを痛感すればするだけ、宗教へと歩み寄っていくのです。
帝 だが宗教もまた物語に過ぎぬではないか。
夢円 はい。ただ宗教という物語は最後まで信じることの可能な物語でございます。死の正体は、当人が息を引き取るまで、あるいは息を引き取った後も分からないのですから。宗教という、人間にとって最後の頼みの綱である物語を退けてしまったら、もはや道は一つしか残されておりません。
間。
夢円 陛下。先ほど申し上げましたとおり、神と仏とは全くの別物でございます。宗教には二つの道があるのです。
民衆は神という絶対を信じて、ただひたすら心の拠り所を求める気持ちから信者となります。それはそれで構わぬのです。いずれかの物語を選ばずには生きてはゆかれぬものならば、宗教は他人に害を及ぼさずに心の安らぎの得られるもっとも安全な、もっとも長続きする物語です。世の秩序のためにも役立ちましょう。当人が行いを正しゅうして日々精進し、身も心も清らかに保っていれば、いつしか宗教の第二の道に気づくやも知れません。
帝 第二の道・・・。
夢円 仏の道のことです。そこには神はおりません。地獄も極楽もありません。この世のすべてが幻であるという認識を出発とし、「無」を前提として万物と共に生きる道を模索する。その時人は菩薩となるのです。あらゆる物語から、宗教からも、死の恐怖からも解放され、真の心の自由を得るのです。悟りはその時ひらけるのです。
帝 分からぬ。人が生きるということに何の意味もないのならば、真の心の自由を得ることにどれほどの意味があるのか。悟りに達することにどれだけの価値があるのか。自己満足としか思われぬ。それに、悟りきった人間ばかりの住む世の中ほど味気ないものがあろうか。
天女たちよ。そなたたちには煩悩がないのであろう?
王 その言葉すら持ちません。
帝 そなたたちは幸福なのか?
天女達、一斉に嗤う。
王 おまえは野に咲く花に幸福を問うか。空行く鳥に幸福を問うか。
再び天女達、嗤う。
王 そこなる坊主の言を用いれば、幸福もまた一つの幻ではないか。一つの物語ではないか。
さあ、かぐや姫。これ以上の長居は無用です。
王、かたわらの天女に羽衣を渡す。
帝 かぐや・・・。
かぐや 一時(いっとき)の陶酔に我を忘れることこそ人間の本質と承りました。陛下はお強いお方です。誰よりも賢く、誰よりもお強いお方です。孤独も絶望もむなしさも、陛下の手のうちで、美しく磨き抜かれた三つの宝となりましょう。
孤独は瑪瑙(めのう)をつないだ勾玉。闇にくれ惑う人々をつややかな光をもって導きましょう。絶望は虚空に突き立つ白銀の剣(つるぎ)。破邪の力して人々の迷いを凪ぎ払いましょう。むなしさは空を映す湖(うみ)にも似たくもりのない広大な鏡。移りゆく世のありさまが手にとるように見えましょう。
三つの宝を身にまとい、この国にただ一人の王である陛下は万人の上に燦然とお立ち遊ばします。生きとし生けるすべてのものに分け隔てない光を投げかける月のように。しなやかに風を受け力強く根を張る竹のように。すべての民は陛下をこそ、まったき人間の姿としてあがめ仰ぎましょう。
唐衣を脱ぎ捨てる。
かぐや 今はとて 天の羽衣 着るをりぞ 君をあはれと 思いいでける
脱いでいく着物を形見としてご覧いただきとうございます。
かぐや、天女のたすけをかりて羽衣を身につける。
翁・媼 かぐや!
かぐや、ふりむかず。
王 ( 客席に向かって)いざ!
王が片手を上げると、再び光の通路(みち)が現れる。
一同の見守る中を、天女達に囲まれたかぐやは、客席の間を抜け、後方の扉より昇天する。
扉が閉ざされる。
永い——間。
帝 中臣。中臣はあるか。
中臣 ( 進み出る)御前に。
帝 私は・・・私は・・・。
中臣 陛下は陛下でございます。日の本にただ一人の主にございます。
帝、ゆっくりと周囲を見る。
呆然としている侍達。
合掌している夢円。
抱き合って泣いている翁と媼。
帝、かぐやの残した衣を手に取り、老夫婦の肩にかける。傍らの壺に気づき、手に取る。
中臣 陛下?
帝 この壺の薬を一口飲めば、永遠の命が得られると聞いた。あらゆる憂いが消え去ると聞いた。かぐやという女のことも、別れの苦しみ悲しみも、たちどころに忘れよう。翁よ。媼よ。そちたちのために、かぐやが残していったものだ。( と壺を差し出す)
翁 永遠の命が何でござりましょう。老い衰えていくこの身がどうだというのでしょう。かぐやのいないこの世界にこれ以上生き永らえたいとは思いませなんだ。
媼 娘の面影を胸に死ぬることだけが今はたった一つの願いです。
翁 どうか陛下のお好きなようにご処分くだされ。
帝 ( しばらく壺を見つめて、独白)永遠の命、永遠の若さ。そんなものを願うたこともある。いや、こうしている今ですら、過ぎゆく時の前に何も為さない焦りばかりがつのってゆく。私の手はみずみずしさを失い、私の髪は日毎抜け落ち、私の顔は憂愁の深い皺に刻まれる。青春の頂きに斃(たお)れた弟達の輝きをよそに、私の体は世俗の塵に汚れ、心はすさみ枯れていく。
かぐやは、私の青春の最後の輝きであった。今となってそれが分かる。我を忘れることこそ人間の本質。私はかぐやの出現を前に認識という辛気くさい殻を脱ぎ捨て、一時(いっとき)の至福を、若さのくれる躍動感を味わった。一つの物語に身をゆだね、物語を生きたのだ。それはかぐやであり、かぐやでなかった。かぐやを求める心のあるところに、かぐやは現れるのだ。
この薬を飲めば、永遠のかぐやが手に入る。去りゆく時の後ろ姿に心乱されることもなく、己の若い力と美しさだけをたのみとして生きていかれる。すべての苦しみから自由になれる。
伝令が登場。帝の前に膝まづく。
帝 何だ。
伝令 申し上げます。関白殿の邸(やかた)より参上いたしました。関白左大臣石上清麻呂殿、さきほどご自邸にて身罷(みまか)られましてございます。
一同、驚いて帝を見る。
帝 関白が亡くなった? 爺(じじ)殿が?
なるほど、これより先は修羅か。
帝、壺を高く差し上げる。
夢円 陛下。
大将 陛下。
中臣 ( 立ち上がって)ダンナあ!
帝 ( 永い間ののち)これ、おまえ。
伝令 はっ。
帝 この壺を携えてすぐに都に戻れ。即刻早馬を仕立てて東へと向かうのだ。駿河なる富士の山の頂きに昇り、壺ごと焼き捨ててくるのだ。
よいか。大層危険な、この世にあってはならない毒薬。おさおさ注意怠りなく、七日と七晩のうちに始末して参れ。褒美は私よりじかに取らそう。
伝令 はっ。かしこまりましてございます。
伝令、壺を受け取り、急ぎ退場する。
帝 ( 客席に向かって)今宵、沢山の人が一時(いっとき)の忘我を求めてここに集った。なにかしら物語を期待し、自らもまた物語を生きようと心弾ませて——。母親の胎内にも似た暗がりの中、その瞳はまだ見ぬ物語への期待と不安に揺れ動き、その唇は語り尽くされたセリフを飽きることなく形づくらんと蠢(うごめ)いている。
人はみな、物語とともに生まれ、物語を傍らに育ち、物語に憧(あくが)れ、物語を生き、物語に裏切られ、物語のうちに死んでゆく。
私は生きてみせる。無の中で、何物にも頼ることなしに生きてみせる。それをこそ私に課せられた使命としよう。この国でただ一人の王たる者の。ただ一人の絶対である私の——。
かぐや姫。これもまた一つの物語に過ぎぬ。
目に見えて明るさを増していく空。
帝、その青さにハッと魅入られるかのごとき。
中臣ほか一同、深々と頭を下げるうちに。
—幕—
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