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屈したMr.Children、屈さなかったBUMP OF CHICKEN

かなり久しぶりに執筆しております。


2017年の2月1日。地元のTSUTAYAでBUMP OF CHICKENのベストアルバムとアルバム「RAY」をレンタルした。元々「オンリーロンリーグローリー」と「ray」に少しハマっていた僕が、思い切って借りた人生初のBUMP OF CHICKEN。あの日から僕のBUMP人生は始まった。あの日から僕は「音楽」が大好きになった。

その約一年後、2018年の2月2日。前と同じTSUTAYAで今度はMr.Childrenのベストアルバムをレンタルした。とあるプロ野球の動画にBGMとして使われていたからというキッカケで好きになったBUMPとは違い、何も情報がないところから唐突に好きになったミスチル。興味本位というよりは、得体の知れぬ衝動のままCDを手に取っていた状態だった。あの日から僕のミスチル人生は始まった。

そして、この文章を執筆し始めた今が2020年の2月3日。あれから2年が経ち、好きなアーティストはみるみる増えていき、ついには軽音楽部として自らが音楽を演奏する立場にもなった。そんな僕の人生において、音楽という彩りを与えたくれた瞬間。それはまさにあの日のBUMP OF CHICKENの体験とMr.Childrenの衝動だろう。


ここで改めて、Mr.ChildrenとBUMP OF CHICKENの"共通点"について、真剣に考えてみたい。もちろんどちらとも他の追随を許さない唯一無二のアーティストであるが、僕の中で特別な存在である両者をふと重ね合わせて見てみたとき、少なからず共通点を見いだすことが出来た。
そこから更に浮き彫りになった、それぞれの凄さ、魅力について、綴っていこうと思う。


Mr.ChildrenとBUMP OF CHICKEN。まず目に見える共通点を挙げるとすると、どちらも同級生四人からなるロックバンド。ギターボーカル、ギター、ベース、ドラムスという構成も同じ。
更に、言い方が悪くなって申し訳ないが、両者ともボーカルがほぼすべての曲の作詞作曲をしており、他メンバーも突出した技量や知名度がないために"ワンマンチーム"というような文言で揶揄されることも少なくない。しかし、本当にワンマンチームではないというのは、ファンのみが一番知っている事実である。
更にはレーベルもトイズファクトリーで一緒だったりするのだが、それといった関わりはない。桜井和寿がBUMPを敬愛している以外は、両者の口からからそれぞれのバンド名、個人名が出されることはまずない。両バンドのファンとしては、少しばかり寂しい気もする。


そして、一番の共通点。
ロックバンドとして新風を巻き起こし、若くして一気に日本のトップに躍り出たという点。そこから、金や周りの環境に振り回され社会の荒波に揉まれていった点。

時代背景や具体的なセールスなどで大きな差異はあるが、デビュー2年目にして「CROSS ROAD」がロングヒット、更にその後の「innocent world」、「Tommorow never knows」で一躍社会現象を巻き起こしたミスチル。デビュー二作目の「天体観測」で徐々に人気に火が付き、ロキノン系というジャンルをも確立させたBUMP。その後の活躍は言うまでもなく、まさに国民的アーティストの名が相応しい程である。

ただ、この爆発的人気を生んだその後の両者のすがたを見ると、真逆の音楽生活を送っていったことが分かる。


デビューから2年目にして日本で一番売れたアーティストとなったミスチルは、音楽の売り方や周りがミスチルを見る目に疑問を抱くようになった。ボーカル桜井和寿は、音楽番組やライブで浴びることが多かった黄色い声援を嫌った。更には桜井の不倫騒動で世間を騒がせてしまい、どんどんと塞ぎ込むようになっていく。最終的に自殺しかねないほどの精神状態に、彼は陥っていた。やむなく、デビュー5年目にして活動を休止した。周りの圧力に、屈したと言い換えることもできよう。

しかし、彼らはただただ屈したわけではない。思い描いた音楽人生を歩めない苛立ちや社会への不信感を燃料に、作品へと昇華させた。その結果、「深海」というロック界、邦楽界に歴史を刻む問題作であり最高傑作を産み出した。活動再開後も、ハードロックに、バラードに、王道ポップスに、あらゆる名作を世に出し続けた。そして今も新曲をアクティブに創り出している。
殴れば殴るほど硬くなる拳のように、ミスチルは、痛め付けられることで強くなっていった。周りに屈したことで進化していった。ミスチルには、そんな凄さがある。


対してBUMP OF CHICKEN。天体観測のブレークがあったのち、地上波のテレビには全く出演しなかった。BUMPの活動はCD発売とライブだけという、我道を貫いた。プロモーションやタイアップを行えば、更に人気を獲得できていた。音楽ももっと売れていただろう。しかしそれを嫌った。これはプロデューサーの力も大きかったのかもしれないが、何より彼らは、周りの力に屈さなかった。
またフロントマンの藤原基央は、アルバム「ユグドラシル」期には"曲の求めるすがた"を追求し、技術的に劣っていたメンバーの増川をレコーディングから外すなどした。ライブでは、「ブラウン管の前で評価されたくない」と言い放ち、金の匂いを嗅ぎ付けるテレビやマスコミをとことん寄せ付けなかった。ベストアルバムやカップリングアルバム、ライブDVDも発売しなかった。
その愚直な姿に多くの若者やロックファンが釘付けになり、今でも若年層からの手厚い支持が絶えることない。今でこそ音楽番組に稀に姿を現し、ベストアルバムもカップリングアルバムもライブDVDもリリースしている彼らだが、若手時代に周りの圧力に屈さなかった強さが、今の人気を支えているに違いない。


日本でトップの地位まで登り詰め、音楽家としての地位と名声を手にした後の苦悩と困難。それは、何十年と第一線で生き残るための、通過儀礼なのかもしれない。Mr.ChildrenとBUMP OF CHICKEN。大きな苦難を乗り越えた彼らから貰う、歌という名の勇気は、並大抵の圧力で屈することはない。




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