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"ギブアンドテイク" しなくてもいいですか?

もらったからには、かえさなきゃ。

でも、わたしが返せるものなんてないから、受け取りを拒否したい。

返さないと、「とんでもない奴だ」と思われる。

それは嫌だから、わたしはなにも受け取りません。

好意はいりません。


そうして、わたしはひとりぼっちになった。

*

「こころ動いたから、返したい」

それはこころの自然な動きで、丁寧にエネルギーが循環する。


社会の"何か"から教えられたギブアンドテイクを意識すると、

自然さがなくなり、エネルギーが止まる。


「こころは動いていない」

「わたしから何かをもらいたいから、あの人はこれを渡しただけだ」

見え透いているけれど、社会的に迫害されたくないから、

わたしも見た目上、"ギブ"する。

「こんなの、もういやだ」

*

そうやって引きこもっていたわたしは、最近、外に出はじめた。

いろいろな人を観察する。

何人かの方と、言葉をやり取りするようになった。

とても自然で、ここちよく、長年エネルギーが止まっていたわたしのからだの中が、循環し始めた。

様々なことを知った。


「すべてが繋がっている。だから、"もらった人"に返さなくていいんだ」

「"他の誰か"に、わたしができることを、渡せばいいんだ」


わたしはエスパーではないから、あなたが欲しいものが分からない。

あなたも、わたしが欲しいもの、わからないでしょ?


ギブアンドテイクは、こころを放ったらかしにしている感じ、がする。

テニスのラリーのように、ラケットでボールを打ち合うような、「外してはいけない」という緊張感がある。

わたしはプロではないから、外してしまう時もある。

そしたら、にらまれる。

ごめんなさい。悪気はないの。


世界は、あなたとわたしだけ、でできていない。

あなたからもらって、こころ動いたなら、できれば、あなたにお返ししたい。

(もし、わたしの力不足で、ボールを外したらごめんなさい…)

でも、あなたにあげられるものがない時がある。

その時は、この世界を見回して。

わたしの手作りを受け取ってくれそうな、他の人を探してみる。


これでも、いいですか?

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