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『関心領域』を観る前に。

 ネタバレなしで書こうにも、ほんと、フライヤーだの公式サイトだのに書かれている言葉がそのままなんで、そういう映画ですとしか言えず。正直、何を書いたらいいのかまったくわからないし、何を話したらよいのかもわからない。じゃあ、どうレビューするのか?とりあえず、やってみますか。

 まずは監督のジョナサン・グレイザー。音楽ファンには

 なんかでお馴染みのはず。ほかにマッシブ・アタック、ブラー、リチャード・アシュクロフトなんかも。ある世代には直球で突き刺さる面子を手掛けているんですね。で、もしかしたら、”えっ、映画監督として活躍してたの?”なんて思った音楽ファンもいるのでは?

 映画監督としては

 なんかで知られているわけです。

 というわけで、情報を完全シャットアウトして映画を楽しみたいというあなた。この先にネタバレはない(はず)だけれど、ネタバレを危惧しているあなた。何が起きるかはわかりません。それ、知りたくなかった!なんてことを僕が書いてしまっている可能性もあるわけです。残念ではありますが、ここでさよならすることにしましょう。観た後にまたお会いできることを楽しみにしています。それではその時まで。アディオス!

 この先はそれでも読みたいと思ったあなたに向けて贈ります。

 さて、この『関心領域』はというと、フライヤーの言葉を借りれば、「アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた」というお話。ほんと、それが淡々と描かれていくのです。

 そこで描かれる家族は実に和やかで幸せそうな家族。この映画の設定で考えれば、きっと裕福な家庭になるのでしょう。大きな家、プールがある広い庭、家庭菜園。ただ、その家の壁を越えればそこにはアウシュビッツ収容所。そして、この家族はアウシュビッツ収容所所長の家族。

 この映画を語るとき、その ”音(音響)” で語る人が多いと思います(というか、ほぼそれでしょう)。 実際、アカデミー賞で音響賞も受賞しましたし。でも、ほんとに狂気じみています。その音を体感するとすごいとしか言えないはず。だけど、非常に静かな映画です。静かすぎるくらいです。だからこそ気づかされるのです。
 
 「音」に

 それがわかると描かれる家族の幸せな姿を ”音” がブーストし、映画そのものに恐怖しか感じなくなっているはずです。この “音” を単調とか凡庸に感じる人もいるようですが、それはもしかしたらすでに麻痺している証拠なのかもしれません(つまり、それは映画の中の家族に溶け込んでしまっているともいえます)。

 もちろん構築されまくっている画、その世界観(配色など)も見事なわけで。幸せな姿が描かれているのに、感じさせる空気感は不穏そのもの。そして、それを増幅させるつくりが全編にわたって続いていく(冒頭から鈍器で頭を殴られるような感じ)。それに映画の視点のほとんどが第三者目線(というか主観ではない、防犯カメラを見ているよう)なところもまた何とも言えぬ不穏な空気を醸し出します。そう。この家族をピックアップしたドキュメンタリーにも思えてきたり(わかりやすくいえばNHKの100カメをみているような、違うか?)。家族の中で起きていることがただただ映し出されていく。そんな感じなのです。

想像してみましょう

 では、関心ある領域というものを思い浮かべてみてください。それはあなたにとって何ですか? 家族、友達、恋人、仕事、音楽、映画、本、アニメ、アート、ファッション、車、料理、お酒、男の子、女の子、なんでもいいんです。それに向き合っているときのあなたには何が見えますか? 何を感じていますか? 何を思っていますか? 何かに無我夢中になっているとき、あなたはどんな状態ですか?

 それでは電車でスマホをいじっているとしましょう。スマホでYouTubeをイヤホンしながら観ているとしましょう。そして、あなたはそのスマホに映し出されているものに集中しているとします。その時、あなたの周りで何が起きているか見えていますか? 気づいていますか? 電車の中で何かに夢中になりすぎて乗り過ごしてしまった、そんな経験はありませんか? それがつまりどういうことかって?  何も見えなくなってしまっているわけです。

 今度は電車での出来事を例えにしてみましょう。怒鳴り声が聞こえてきました。どうやら学生とサラリーマンが何やら言い争いをしているようです。その時、あなたは何をしますか? 気付いているけど何もできない。いや、何もしない。起きていることはわかっている。けど、スマホでゲームをする。ニュースを読む。動画を見る。いや、起きていることに声を上げ止めに行く。
 でもきっと、多くの人はその争いに触れることはないでしょう。もしかしたら、その現場を撮影し、SNSに投稿しているかもしれません。

 それってどういうことかって? そう。そこで起きていることは結局他人事であるわけです。

 『関心領域』 これはそんな映画なのです。

 ナチス台頭の時代、アウシュビッツ収容所のその隣の家で暮らす家族を描いているものの、結局は今起きていることと見事にリンクしていくのです。関心のある領域にしか目が向かない。つまり、それは無関心という形にもなっていく。それをひたすらにスクリーン越しにぶつけてくる映画なのです。そこで重要なものが ”音”。”音” にすべてが集約されているのです。

 この映画において、関心あるものは普通の生活。マイホームを手にした家族と幸せな生活。その家族にとってはそれが当然の姿であると感じているはず。見ている世界だってそう。今の自分たちの生活こそが現実なのです。壁の向こうにある現実(そこで起きていること)は結局、別世界で起きているもの、自分の世界とは別のものなわけです。たとえ家族がそこに携わっていようとも。そういうものなのです。

 この映画のラストでは観る者にとんでもない鉄槌を振りかざしてきます。そして、エンドクレジットでは、この映画に注いできた時間に生まれた気持ちを必要以上にかきむしられるような感覚を覚えるはずです。そして、観終わった後に思うことでしょう。恐ろしい映画だと。それは映画の内容が恐ろしいとかだけでなく、この映画の存在そのものが恐ろしいと。

 そう。いま世界で起きていること(現在進行形の戦争だってあるわけです)。自分の身の回りで起きていること(日本という国の中でも色々と起きています)。そのすべてに当てはまるのです。つまり、自分の身の回りに置き換えることがいくらでも出来る映画なのです。
 この映画で描かれている家族というのは、今この現在において、誰にでも当てはまる、つまり、誰でもあの家族になりえる(すでになっている)ということなのです。
 そして、当たり前のことも痛感させるのです。それはアウシュビッツ収容所の恐ろしさも一緒に。

 『関心領域』 この映画はあなたがどんな人間なのか試される、どんな人間なのかを知らされる映画かもしれません。

 公開は5月25日から。劇場で観ることをおすすめします。映画館という場所でないとこの映画の本当の恐ろしさは体感できないはず。ちなみに僕はエンドクレジットが終わってしばらくの間茫然自失となり、立つことが出来ませんでした。

 ただ、この映画観るときは飲食NGにした方が良いと思うのは私だけでしょうか?ポップコーンひとつで映画の世界観が壊れてしまうくらいの映画なんですよ。ほんと。静寂。大事。


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