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無関心を越える方法 【映像制作会社focalnaut代表 辻卓馬さん(3/3) 】

映像制作会社focalnaut代表の辻卓馬さんへのインタビュー。
3回シリーズの最後となる今回は、伝えたいと思う人が直面しがちな「無関心」の壁を越えることについて。
フィリピンでのカルチャーショック、今の映像のお仕事から、おばあさんの戦争体験のお話に。一見ばらばらに見えることが、最後には全部つながります。

日常も仕事も地続きだ

前回は「伝える」ことについてのお話でした。「伝える」こととの向き合い方について、映像のお仕事をされるなかで、変化していったところはありますか?
昔は伝わらないとき、伝えたことを捉えられない受け手が悪いんだと思っていました。受け手の問題だって。
それが徐々に、伝わらないのは伝え方が悪いんだろうなという考えにはなってきましたね。

-なにか変わったきっかけみたいなものはあったのでしょうか?
小さな話かもしれないけれど、働きはじめたころは異常にプライドが高かったんですよね。ミスしたりして怒られると、「でも、それは……」って言うやつだったんです。それであるとき「お前はすぐ言い訳するな」って先輩に言われて。
たしかになと思って、まず最初に「ごめんなさい」って謝ってから、怒っている理由を考えて、わからなければ聞いて、さらにそのうえで伝えたいことがあったら、伝えるようになったんです。

-映像をつくるなかでというより、日常のコミュニケーションのなかでの気付きだったんですね。ちょっと意外です。
そうですね。もちろんテクニカルなことで習得したことも、いろいろあります。伝える順番とか。どうズームしていくかとか。
でも、そういうテクニカルなことも、日常生活を参考にしているところはあります。
聞いていても面白くない偉い人の話とか、飲み会でどれだけ聞いても興味持てない人の話とかを分析しますね。なぜ、興味がもてないのか、つまらないのだろうかと(笑)

-それはちょっとこわいです(笑)でも、日常も映像制作も地続きなのが、面白いですね。
地続き、そうですね。昔から一緒に仕事をしているプロデューサーが、「時間にオンオフもないだろう。なんでわけて考えるんだ」って言ってて、すごく納得したんです。
だから、スケジュールを立てるときは、仕事も遊びも基本的には全部同列で、先約を優先しています。プライベートの予定が先にあったら、仕事も断るし。仕事を理由に遊べないとか飲めないって、自分次第じゃんって思うわけですよ。よほどのことがないかぎり。
何をするにも「誰と」時間を使うのかが基本なので、そういう意味でも相手を仕事かプライベートかで順番つけるのはおかしいなと。

-私たちふくめ、自分を省みちゃう人が多そうな話ですね(笑)
ははは。でも、そういう予定の立て方にしてもなんにしても、自分の判断次第だなと思っていて。
未来の予定だけじゃなくて、過去を無駄にするかどうかも。どの道を選んでも、損しないんだろうなと、最近感じます。
このインタビューでも話しているフィリピンに行ったときのこととか、通ってきた道は、全部必要だったなと思います。結果、スペイン語一生懸命勉強しなくてよかったなとか(笑)

平和って日常

-そう言われると、はじめのスペイン語の話と、今のお仕事の話だけ聞くと、なぜ?と思いそうですよね(笑)でも、順を追って、フィリピンで感じたことを聞いていると、今辻さんが映像をしているというのは、とても納得します。
そうそう、今までつくられた映像で、「平和」をテーマにしたものもあるじゃないですか。それをつくるのには、どんな経緯があったのでしょうか。
以前、「日本をどうにかするんだ」っていうクリエイターの集まりに、参加していたことがあったんです。けっこう有名な人もいるような活動で。
そこで政治的な意味での「平和」の話になったんですね。それを聞いていて、言いたいこともわかるけど、なんだか違和感があったんです。ちょっと次元が上過ぎるというか。

-「平和」の語り方に違和感、ですか。
結局この人たちは、現体制に反対してるだけじゃないかって思ったときがあったんです。熱くやってるんだけど、なんか自分とは違う気がするって。
それでその活動から離れて、自分なりに「平和」について考えた映像をつくったんです。
それがうちのおばあちゃんのインタビュー動画。戦争時代の話を楽しそうに、けたけたしゃべるおばあちゃん。僕はこれが平和だと思ったんです。

-アンチテーゼだけで平和になるんだっけ?というのは、私もそういう活動を見ていてよく気になってしまうところです。だから辻さんの作品が、おばあさんの話というのは、素敵だなと思いました。
ありがとうございます。なんかでも、それぐらいの方が、人には理解してもらえるんじゃないかなと思うんですよね。
戦争の悲惨さだけを語り尽くして、だから平和は大事だって言われて、それだけでいいのかなって。

-前回「本質に焦点を当てたい」って、おっしゃっていたじゃないですか。この動画もそういうことですか?
僕にとっての本質に焦点をあてた、という感じです。
女学校時代に「先生、今日はもう授業やめましょ」って言ってみんなでサボって映画館に行ったらその先生もいた、みたいな話とか(笑)すごく楽しそうだなって。
なんか、そういう時代あったんだねっていう。悲惨なだけじゃないし、生活がにおったんですよね。戦争時代の。
誰が死んだとかじゃなくて、こういうことをやってる時代があったんだっていうのは、案外聞いたことないなと思って。そして今聞いても、その情景がイメージできる。

-たしかに、できますね。
共感できる日常なのがいいのかなと思って。その対極にあるのが、おそらく戦争行為なんだろうなと思ったんです。
「平和」って言葉は、ちょっとおおげさに聞こえちゃうから。「日常」なんじゃないかな。

-さっきちょうどSalmonsの活動について、外部向けのプレゼンを作っていて、「大きく考えたら、平和目指してます」みたいなことを書いてみたら、すごい違和感があるねっていう話をしたところだったんです(笑)
平和を願ってるのは嘘じゃないんだけど、なんかもっと違う言葉があるんだろうなって。
ははは。そうそう、思い出した。当時の日本人を否定する人は、嫌いです。
えーと、戦争行為はダメですけど、あの時の日本人の心理状態って、今理解できる「通常」ではないですよね。天皇陛下万歳って死んでいく時代。
でも、紛れもなく、我々のおじいちゃんおばあちゃんの世代の日本人がした行為だし、それを盲目的に「戦争したから」って否定するのはないなと思うわけですよ。
それを受け入れざるえない状況で、受け入れながらやっていたっていうのを、今の僕らが否定する権利はないなって。

で、フィリピンの話に戻ると、生まれた時からあの生活レベルで生きている人たちだから、「幸せ」って言うんです。我々が、今の日本の生活レベルから出向いて、勝手に不幸だと思ってるだけで。
最初からあそこにいる人たちにとってみたら、すごく幸せになるか、ちょっと幸せになるかの違いでしかないっていうところで、価値観の押し付けはしちゃダメなんだなって思いました。

なんでこういう話、できないんでしょうね?

フィリピンの話とつながるんですね。
そうですね。フィリピンで感じたこともあるから、相手の意見とか価値観を尊重しようとは、いつも思っています。
「ともあれGod bless you」って言ってくれる人たちがいるのに、宗教がきっかけで戦争するのって、なんなんだろうって思います。なにが不満なんだろうなぁ。許せないのか。

-うーん。
政治と宗教と野球の話は、酒の席ではするなって言われるじゃないですか。もっとするべきだと思うんですよね。野球はともかく(笑)

-実感を持ってしゃべれないかんじがするんですよね。「日常」じゃなくて「平和」って思うから、遠く感じてしまっているのかもしれません。
そういう距離感がある人は、やっぱり多い気がします。私もそうですけど。

うーん、そうだなぁ。今素面なのに、こんなに平和についてしゃべってるの不思議ですけど(笑)それはもったいないですよね。

-たしかに、こういう話をできる相手って限られていますよね。それで、こういう話できる人と話すときと、それ以外の人と話すときの、内容のギャップがすごい(笑)
くだらん話はくだらん話で楽しいんですけどね。

-そうなんです。それも好きなんですよ。でも私たちの活動って、もともとはじめたのって、その壁とかギャップみたいなのが、なんで生まれるのかなっていう疑問があったからなんです。
自分の本当にまわりのことだけ考える人と、きもちわるいくらい社会に対して関心を持ってやろうとしいている人の差って、どこで生まれるんだろう?それをつなげたいねって、いろいろやってきてみてはいるんですけど。いまだこの謎は解けていないんです(笑)

謎かぁ。たぶん考える余裕と興味があるかどうかじゃないですかね。あとは愛。「愛」の反対って「無関心」って言うじゃないですか。昨日も映画を一緒に作った監督と話してて。彼との現場はいつもすごく大変なんです。予算も時間もものすごく限られるから。
それをしんどいって 言ったら「辻さん、愛だよ、愛」って。それあんたが言う?って思いながら聞いてましたけど(笑)
でも、最終的には愛だよねって。その人がなにをやりたいかって聞いて、いいねって共感できるのも、なんかどこまでやってあげようかっていうのも、愛だよねって。

-愛ですか。それって誰かのための愛をいっぱい持ってるってことですかね?
いやでも、最終的には、自分のための愛じゃないかと思いますよ。
そしてそれ、言い切っていい気がしてて。国際協力もそうなんですけど、自分が幸せになってもないのに、誰を幸せにできるのかってレベルで考えたときに、まず自分の幸せを考える自己中さがあっていいんじゃないかと思います。
「これやってる俺、最高」って思ったら、そこに余裕が生まれて、「あなたもやってみない?こういうことあるよ、楽しいよ」ってなるんじゃないかな。そこで興味を持つとか、余裕って出てくるというか。

-そこで余裕と興味が。
興味を持てないときって、自分の存在とか、今やっていることの意義とか喜びとか、見つけられていないことが多いような気がします。
いつも愚痴言ってるけど、会社は辞めないとか(笑)起業してからは、辞めたってたぶん死なないよって、特に思うんですけど。
さっきのスケジュールとかの話と同じで、自分で決めて、意義とか喜びを見出せたら、余裕と興味が生まれるんじゃないかと思います。

-あ、ちょっと謎解けました。
解けました?(笑)

一見、関係なさそうなことが、今の自分をつくっている。
異なるものも、遠く思えるものも、過去も未来も、今の日常とつながっている。
カルチャーショックと向き合った先には、違うことと無理なくつながれたり、自然と興味が生まれたりする世界があるのかもしれない。
そんなことを感じるお話でした。辻さん、ありがとうございました!

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