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1年であらゆる仕事を渡り歩いた仕事放浪記[前編]

学生じゃなくなったら、仕事だ。

食ってくしかないし働いていくしか選択肢がない、と思っていた。
(体調を崩していたのだから、もう少しのんびりしてても良かった気がすると今なら思う)


大学を辞めた一年前の9月。
それ以降私はありとあらゆるルートで仕事を探し、彷徨ってきた。
スマホの履歴やスケジュール帳を見ながら、どんな仕事をしてきたか、なぜ続かなかったのかを考えていきたい。


1、コンビニ

コンビニの仕事は好きだった。高校生の時もバイトをしていて、スピーディーにこなす感覚と適度なレジ発声(結構混雑する店舗で声が通らなかった)が、レジハイのような状態にさせてくれた。

なぜ続けなかったのかというと、体力だ。

うつ病の診断を受けてからというもの、苦でもなんでもない作業(特に、そんなに多忙でない時間帯の業務)に耐えられなくなってきた。

バタバタ動いているほうが色々変なことを考えずに済むし、時間も過ぎる。
でもその時期は日々寝込んでいたせいで、レジに立っている体力がなかったのと、一度トイレ休憩に行くと1時間近く出られなくなってしまうような、何に対してかいまいちわからない恐怖が常にあった。

好きだったコンビニ業務で、周囲の人に迷惑と心配をかけながら辞めてしまったこと。かなり堪えたし未だに引きずっている。


2、巫女

これは知り合いの神主に駆り出されて酉の市のアレ(ご祈祷みたいなやつ)に参加してきた。

小学生の頃巫女舞をやっていたことは特に役立たず、延々とお札とお守りと謎の紙を売った。

巫女さんは首元が寒い。脚はスパッツ履けばどうにかなる。あと場所によっては黒髪で縛れる長さがないとダメなこともある。

たまに大きい神社で巫女の正社員を募集しているところもあるが、古風な考えが強いところだとなかなか苦労するようだ(長期バイトをしていた友人談)。

服は勝手に写真を撮ってはダメな気がする。
どうしても写真撮りたいんだ〜〜そのために巫女さんやりたいんだ〜〜〜ってひとは、ひっそり誰もいないところで、自分だけの観賞用で撮りましょう。

巫女は年末年始限定で今後もやるかもしれない。嫌な思い出は今のところない。


3、ドッグスクール

これはまず、なんで雇ってもらえたかもわからない。
イッヌは好きだけど、うちで以前飼っていたイッヌは外飼いだったので、あまり躾けた覚えはない。
ドッグスクールとはイッヌの躾や訓練を請け負うサービスだ。日帰りのほか、併設のドッグホテルを利用して数週間のスクールに通わせる飼い主もいる。

というわけで、業界どころかイッヌの知識も皆無の小娘が、謎の重さを引き連れてやってきた。
重さとは、はじめての引っ越しや一人暮らし、そしてパート生計だ。


半日研修ののち週4〜5勤務のシフトが完成し、アパートの内見もした。家もほぼ決まった。

でも無理だった。

イッヌの躾というのは、主従関係がかなり厳しい。
勉強不足でよくわからないが、ヌコちゃんとの躾(しつけることはあるのか?)では全然想像ができないと思う。
飼い主とは主従関係で結ばれていて、飼い主が偉い。だから散歩でも飼い主の前を歩かないと躾けられているイッヌは割と多い。

その主従関係を教えるスクールだから、人間(こっち)の立場が上だとまずわからせなければならない。
叱る、引っ張る(もちろん怪我しないようにはする)、怒鳴る、叱る、上手くできたら褒める。

常にシンプルで刺々しい怒声が響いていて、心神耗弱の私は耐えられなかった。
うまく叱れずに上司から怒られるのもつらい。


また、「叱るのが仕事」という職種に就いたのがはじめてで、叱る=罪悪感 の今までの発想を全てひっくり返して(もう内面改革せにゃあかんくらいの)仕事をするのは、その時の自分にはあまりにもキャパオーバーで出来なかった。

辞める一ヶ月前には申請をしなきゃいけないのに、絶望の淵のような状態で話をしに行ったら、「来るの無理なんなら辞めてもいい」と言われた。
申し訳なかったし、契約違反だからということで微々たる出勤日数の給料は出なかった。
不動産屋にも謝った。本当に情けなかった。


4、メイド喫茶

『プロフェッショナル 仕事の流儀』でメイドカフェの店員さん放送回があって、衝撃を受けた。
私はメイド喫茶で働きたいのだとわかった。

機会がないのと自信がないので今まで応募できなかった。だが、フリーターになったことと10kg痩せたことで、まあダメ元で応募してみようかなと思い立った。

女性客が半数という、クラシカルな雰囲気のメイド喫茶に受かった。タイミングが良かったというか、私の自宅の近くにこれから使い始めるイベントスペースがあり、そこのメインキャストで働いて欲しいとのことだった。

続かなかった理由は、自分が見られる立場になることに慣れなかったからだと思う。
自撮りやプリクラなど、可愛く見られるための写真撮影が得意じゃなく、いままで親しんでこなかった。
おしゃれをするのが好きでも、自分が満足かそうでないかしか考えてこなかった。だから、誰かに見られるための衣装や仕草というのが極端に出来なかった。


また、フリーターとして食べていくには給与が足りなかった。
昼夜の交代シフトで、時給も最低賃金並み。コロナ禍での時短営業もあったし、もし営業自粛になれば収入はゼロだ。

ベテランのキャストもたくさんいたが、皆プライドや志を持って仕事を楽しんでいるようだった。私にはそこまでの志はなかった。
遠くまで通勤する電車賃や手間。最終的には買い取りをすると言われていた数万の衣装代も、日割りで計算するととんでもない出費だった。


素敵なお店だったし、頑張りたいと思ったが、様々な整理がつかないままお店を休み、最終的に辞めてしまった。
いつか客として行きたかったメイド喫茶に、素直な気持ちで行けなくなってしまったのだと後悔した。


最後までお読みいただきありがとうございました!もう少し続きます!


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