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2022.3.1 日本とロシアの意外な関係

日本とロシアの最初の関係は、『漂流民が漂着する』といった形からでした。

18世紀末、津太夫つだゆうという人物が、船で石巻から江戸に向かう途中で遭難、漂流してしまい、アリューシャン列島に流れ着きます。

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この津太夫を伴って1804年、ロシア帝国の外交官レザノフが長崎にやってきます。

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このとき、津太夫ら漂流者が伝えた話を、杉田玄白と前野良沢の弟子である蘭学者の大槻玄沢おおつきげんたくが、仙台藩でまとめた書が『|環海異聞《かんかいいぶん》』です。

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このように、主に漂流民を媒介としたつながりの中で、いくつかの記録史料が残されていますが、それらには一貫した“共通性”があります。

それは、日本が常にロシアを“脅威”と感じていたことです。

過酷な自然環境から、少しでも豊かな土地を得ようとする本能、あるいは衝動がロシアにはあって、南の地に進出しようとする“侵略性”を日本の人々はいち早く感じ取っていたということでしょう。

これは、ロシアという国家レベルでは、はっきりとした『南下政策』となりました。

この南下政策は日本へまともに影響し、歴史を刻むことになります。

アメリカのペリー提督の浦賀来航に対応するように、ロシア使節のプチャーチンが3隻の艦隊で長崎に来たのが、南下政策の明確な表れと言えるでしょう。

艦隊による威嚇を背景に、1854年『日露和親条約』が結ばれましたが、ロシアの“侵略意図”は明確で、最初から領土の帰属は重要な問題となりました。

1875年、ロシアの要求によって、『樺太・千島交換条約』が結ばれます。

千島列島全部を日本領とし、樺太(サハリン)全島をロシア領とすることが定められました。

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現在、日本とロシアの間には北方四島の領土問題が横たわっていますが、その根拠となるのがこの条約です。

条約からいえば、千島列島全部を日本領とするのが筋です。

皆さんに一番知ってほしいことは、『四島のみの返還』というのは、ロシアに対し日本が大きく譲った要求であることを知っておいてほしいのです。

近代になって以後、ロシアの南下政策があって、日本とロシアの関係は軍事的な面のみが露呈することになります。

その端的な現れが、1904年の『日露戦争』でした。

日露戦争の意義については、申し上げるまでもないでしょう。

そして、その前提として『日清戦争』を知っておくことは必要です。

日清戦争に勝利した日本は、遼東半島の割譲を受けました。

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しかし、ロシアが主導してドイツとフランスと共に『三国干渉』を行い、日本が割譲した遼東半島を清国に返還させました。

さらに、ロシアは清国と密約を結んで施設権を獲得するなど、両国が結んで日本に対抗する行動を起こします。

このことは、日本のロシアに対する敵愾心てきがいしんを煽るのに十分でした。

日露戦争には、こういう背景があったことも知っておかなければいけません。

革命が起きて、ロシアは『ソビエト連邦』という社会主義国家になりましたが、南に膨張しようとする南下政策は変わりませんでした。

それどころか、単に領土を侵略するといったことだけでなく、ソ連の南下政策は、日本そのものを“社会主義化”しようとする形をとっていきます。

戦前、国際共産主義運動のコミンテルンがその方針を打ち立て、日本共産党がその指令を受けて働いたことは紛れもない事実です。

このため、押し寄せる共産主義の防御戦として、『満洲国』の建国は不可欠でした。

もちろん、ソ連は満洲国を承認しませんでしたが、日本を守るための生命線として、日本が満洲国の最大の後ろ盾になったのは当然のことです。

歴史に「もし」はタブーですが、もし、ソ連の南下政策がなかったとしたら…、とえて考えると、ひょっとしたら日本の満洲国建国は発想自体なかったかもしれません。

政治の問題はさておいて文化の面を考えると、ロシアは不思議な存在です。

ユーラシア大陸の真ん中を占めてシルクロードを支配。

アジアとヨーロッパを結んだのは、かつては『モンゴル帝国』でした。

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そのモンゴルの下でモスクワは造られています。

そして、モンゴルが没落すると、東と西を結ぶ役割はロシアが取って代わることになります。

この一事を見ても、ヨーロッパでもなくアジアでもないロシアの性格が浮かび上がってきます。

そして、このことは、日本の文化に影響を与えました。

中でも影響が大きかったのは『文学』です。

ドストエフスキー
トルストイ
ツルゲーネフ
チェーホフ
等々…

明治から大正・昭和初期にかけて活躍した日本の作家で、ロシア文学の影響を受けなかった作家を探すのは難しいほどです。

日本の近代文学の確立に、ロシア文学の影響を欠かすことはできません。

戦争と平和の概念や人間の原罪意識といったヨーロッパの思想を、日本はロシアを通して吸収していったのです。

東と西を結ぶ大きな文化的役割をロシアが負っていることは、忘れてはならないことだと思います。

現在のロシアの動きを看過しないわけにはいきませんが、今回は日本とロシアの関係について書き綴らせて頂きました。

最後までお読み頂きまして、有り難うございました。

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