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2023.8.3 幕末・明治維新と米英戦争

日本だけが植民地にされなかった驚愕の理由

アジアの歴史は植民地化の歴史です。

当時、世界の4分の1を植民地として支配するほど繁栄したイギリス。

隣の清国は、その魔の手に掛かっていましたが、日本は、その植民地支配を受けませんでした。

なぜ日本は欧米列強からの圧力に屈し植民地になることなく、たった数十年で近代化を果たし、強国と肩を並べるまでに至ったのでしょうか。

そこには、たった一人の外交官による苦悩と努力があったのです…。

阻まれるイギリスの植民地化の魔の手

19世紀、イギリスの植民地化の毒牙は遂に、アジアへと向きました。
世界各地を植民地化したイギリスの常套手段は、『自由貿易』と『アヘン密輸』でした。

関税率を低く設定させ、自国の製品を大量に売りつける…。

その上でアヘンも一緒に輸出することで、国そのものを麻薬漬けにし、半永久的に利益が上がり続ける仕組みを築き上げる…、正にお隣の清国は、まんまとこの策略に落ち、イギリスの半植民地化と化していました。

この頃の日本は、アメリカに開国したばかり。
隣国にまで迫ったイギリスの魔の手が、いつ日本に伸びてきてもおかしくありませんでした。

しかし…、結果的に、アヘンが日本に入ってくることは殆どありませんでした。

イギリスは清に対して、年間2400tもの量を密輸していたにもかかわらず、なぜか日本には殆ど輸出しなかったのです。

しかも、もう一つの常套手段であった『自由貿易』もことごとく通じませんでした…。

まるでイギリスの手口を熟知していたかのように、日本の関税率は極めて高く設定されていたのです…。

イギリスの植民地作戦は日本に全く通用せず、貴方もご存知のように日本が植民地になることはありませんでした。

では、一体なぜイギリスの常套手段は日本に通用しなかったのでしょうか?
これは、ただの幸運だったのでしょうか?

イギリスから日本を守った“不平等条約”

イギリスの植民地化の手段が日本に通じなかった理由…。

イギリスの魔の手を防ぎ、日本を守ってくれたもの…。

それは意外にも、教科書で必ず習う、あの“不平等条約”でした。
一体どういうことなのか…。

少し遡り、開国直後の日本で起こっていた出来事を見ていきましょう。

1858年、イギリスが清国を植民地化し、今まさに日本に手を伸ばそうとしていた時、アメリカから一人の外交官がやってきました。

彼は、日米の貿易をスタートさせるというミッションの下、日本に派遣されてきたのでした。

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