2022.4.23 世界が称賛した明治日本の英雄の意外な末路
この人物が誰だか分かるでしょうか?
明治天皇の教育係である『侍講』を務め、西南戦争で敗れた西郷隆盛が日本の未来を託す遺言状の宛先に選ぶほど、幕末維新期~明治初期の多くの英傑から全幅の信頼を受ける学識と人柄を持っており、書家としても“蒼海”という名前で卓越した作品をいくつも残しており、『佐賀新聞』の題字を書いた人物…。
彼の名は副島種臣…。
「何をした人なのかほとんど知らない」
という皆さんにこそ、この話を知ってほしいと思い、今回記事に書き綴っていこうと思いました。
なぜなら、副島種臣こそ、国際デビューしたばかりの明治日本を
「他の有色人種の国とはちがう」
と、欧米列強に認めさせた最初の人物だからです…。
副島の名前を知らしめるきっかけとなった事件は、『マリア・ルス号事件』といいます…。
そして、明治政府で突出した活躍を見せた副島は、意外な悲しい結末を迎えることになります…。
この一連の事件を紐解くと、これまで教科書で教えられてきたものとは全く異なる、明治日本の新たな絵柄が見えてきます…。
世界が認めたアジアの外務卿
ここから先は
6,505字
/
2画像
¥ 210
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?