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2022.7.14 日本が陥った『必敗の論理』

私は、ここで記事を書かせて頂く上で、時間があれば本を読んでいます。
色々な本を読んでいますが、10年前から今年にかけては、戦前に書かれた本が戦後、GHQによって焚書の憂き目に遭い、最近になり復刻されたものと、“なぜ、日本は第二次大戦で負けたのか?”という関連書籍をよく読んでいます。

なぜかというと、日本では未だに“敗戦原因がしっかり分析されていない”と感じるからです。

自虐史観の人は、ただ単に学校で習った歴史教科書や偏ったテレビの影響を受けて、
「日本が悪いから負けた」
と言います。

一方で、脱自虐史観の人は、日本に原子爆弾を落とした
「アメリカが悪いから負けた」
などと言います。

これは、どちらにしても解決策にはなっていません。

「日本は、どうすれば勝てたのか?次は、どうすれば勝てるのか?」
という疑問には答えることができないからです。

そこで、私は長期・短期の敗戦原因をしばしば考えます。

目的は、熱い戦争、冷たい戦争問わず、“次に負けない方法を”を知ること。

興亜の大業

さて、私は最近、焚書から復刻された松岡洋右の『興亜の大業』という本を読みました。

松岡は、日本が国際連盟を脱退した時の全権代表だったことで知られています。

そして、1940年7月~1941年7月まで外務大臣を務めました。

彼が外務大臣の時代、日本は1940年9月、ナチスドイツの軍事同盟国になるという歴史的なミスを犯します。

さらに、1941年4月には、『日ソ中立条約』が締結されます。

歴史的ミスがある中で、松岡の説が“正しかったかもしれない”と思えるも
のもあります。

日本政府は当時、『南進論』か『北進論』で悩んでいました。
結局、『南進論』が採用されたわけですが…。

しかし、この決定は、ソ連のスパイだったゾルゲや近衛首相の最側近だった尾崎秀実ほつみの働きかけで実現したと言われています。

つまり、結果として“ソ連を守る”ことになったわけです。

一方、松岡はソ連を攻める『北進論』を主張していました。

仮に、こちらが実現していたら、どうなっていたのでしょうか?

ソ連は西からドイツ、東から日本に攻められて戦力を二分する必要があります。
それによって、日独軍が戦力を集中できなくなったソ連に勝てた可能性があります。

これは、私が持論で言っているのではなく、リアリズムの神様と言われるアメリカの政治学者ミアシャイマー氏が自著『大国政治の悲劇』で書いています。

日独がソ連に勝てば、ドイツは欧州全土とソ連の西半分を支配。

日本は中国と満洲、朝鮮半島、そしてソ連の東半分を支配。

これを恐れたアメリカは、真珠湾攻撃前に参戦を決めたとミアシャイマー氏は書いています。

だから、松岡はソ連ではなく、どちらかというとナチスドイツの意向に沿って動いていたことが分かります。

松岡洋右の問題意識

松岡は『東亜の大業』でこう書いています。

<外国依存から自主独立へ>
<属国根性、外国依存、欧米崇拝を排撃し、真の日本精神に目覚め、独立独行、自己の信じる処を敢然として断交すると謂う国民的態度が出て来たことは確かである。>

この部分を読んで、
「私と同じような考えを持っていたんだな」
と正直思いました。

私は、過去の記事でも何度か書いた記憶がありますが、
「日本は自立国家になるべきだ」
と、主張しています。

生前、松岡の『問題意識』は、きっと正しかったのでしょう。

ところが、日本は戦争で負けてしまったため、彼が目指した『自主独立』は、“果たせぬ夢”となってしまいました。

それどころか、日本はアメリカに占領され、戦前よりも更に酷い『属国』と化してしまいました。

松岡の問題意識の正しさと結果の悲惨さは、私たちに何を教えてくれているのか?

松岡が教えたかったことは、
「負けたらダメ」
「勝たなければ自主独立はない」
ということだと思います。

松岡が描いた夢は、
「未だ果たせず…」
です。

私たちは戦略観、大局観を持ち、理想を目指すリアリストとして、先人の夢を叶えていくべきではないでしょうか。

もちろん、戦前戦中と全く同じものとしてではなく、今この現代に適った『違う道』『勝利する道』を進むことで。

「負けた方法をもう一度やれば、今度は勝てる!」
というのは、『必敗の論理』を証明するだけです。

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