見出し画像

2022.3.22 東京裁判で無実となった大罪人の矛盾

画像1

皆さんは、歴史上最悪の裁判だった“東京裁判”において、大罪をなすり付けられたのに、無罪となった牟田口廉也むたぐちれんやという日本人をご存知でしょうか?
この摩訶不思議な無罪の裏には、ある戦勝国の卑劣極まりない陰謀が隠されていました…。

東京裁判は皆さんもご存知の通り、第二次世界大戦で日本が犯した罪を、計11ヶ国の戦勝国が裁いていくというもの。
戦争に負けた日本相手に、戦争に勝った11もの国が裁くわけですから不条理極まりなく、その実態は酷いものでした…。

例えば、

画像2

対米戦争を回避しようと尽力したのに、当時、内閣総理大臣だったというだけで絞首刑にされた東條英機。

画像3

近衛文麿このえふみまろが先に自殺をしたからと、平和主義者の文官なのに、その分の罪を被らされた広田弘毅こうき

画像4

日本の陸軍次官の政治的権限は大きいと勘違いされ、役職だけで絞首刑にされた木村兵太郎。

・・・このように、こじつけや誤解、調査不足など、もはや戦勝国側のやりたい放題だったこの裁判ですが、そんな中、牟田口廉也は、この逆の処遇を受けたのです。

つまり、“罪を被る必要がないのに罰を与えられた”のではなく、“裁かれるべきだったのに罪に問われなかった”ということです。

おかしくはないでしょうか・・・?

戦勝国の都合を考えれば、有罪にしたい理由はあっても無罪にする理由は無いはず。むしろ、裁くべき理由があるなら逃したりしないはずです…。

それなのに、なぜたったこれだけで・・・、という人が次々と有罪にされていく中、大罪人である牟田口廉也は無罪となったのでしょうか?

実は、この不可解な矛盾には、“ある国”が関与していました。
最初に言っておきますが、この国は、何も親切で牟田口を無罪にしてあげたわけではありませんし、牟田口が実際に無罪に相応しいといった事実があったわけでもありません。
しかしそれでも、この国には、牟田口を無罪にしなくてはならない“ある理由”があったのです。

これからこの記事では、牟田口廉也が一体何をしたのか?
ある国とはどこなのか?
そして、なぜその国は大罪人の牟田口廉也を無罪にしたのか?
を紹介していきます。
最後まで読んで頂ければ、この不可解な矛盾がなぜ起きたのかを知ることができます。

そして、この“ある国”の本質を知ることができるのですが…、今から数分後、もしかすると皆さんの中には、
「聞かなければ良かった…」
と思う方がいるかもしれません…。

なぜなら、
日本は“ある国”によって都合よく騙されていた」
という真実を暴露するものだからです。
覚悟ができた人だけ自己責任でお読み下さい。

まずは、無罪となった大罪人、牟田口廉也について、なぜこの人物が大罪人と呼ばれているのかを紹介します。

牟田口廉也「大東亜戦争は俺が起こした」

画像6

「大東亜戦争は俺が起こした」
このような言葉が、牟田口が実際に発言したとして終戦後、多数引用されています。

例えば、1953年、戦時中はビルマ方面軍に編入された第33軍の安倍光男少尉が書いた『参謀』という本には、
<大東亜戦争を今日まで持ってきたのはつまり俺の責任だ。俺が盧溝橋で大一発を撃ったのが戦争の発端だ>
と、牟田口の発言として引用されています。

画像5

また、中国の評論家である立誠りっせい氏の『日本はもう中国に謝罪しなくていい』という本では、
<1944年、つまり昭和19年の盧溝橋の時に日本軍の連隊長だった牟田口廉也は『盧溝橋で最初の弾を撃ち、戦争を起こしたのは自分である。したがって、これに対して自分が責任を負わねばならないと思う』と証言している>
と書かれています。

もしも、これが本当ならば、日本人から見ても彼は世紀の大罪人に違いない。
つまり、国内から無罪の強い要望があったりしたわけでもないだろうし、もちろん、あの大戦争を起こしたのが彼なら、国外にだって無罪にする理由は一つもない。

しかし、最初に言った通り、牟田口は、なぜか起訴されず無罪となったのです。
日本を守ろうと必死だった数々の先人が、不当な罰を受けたにもかかわらず、戦争を引き起こした本当の大戦犯が、戦争後ものうのうと暮らしていたということになります。

・・・この矛盾を説く手掛かりとなる国が中国でした。

牟田口無罪に隠された中国の陰謀

さて、こんな大戦争を引き起こした日本人を無罪にして、一体何のメリットが中国にはあったのでしょうか?
実は、中国は東京裁判における情報を収集するうちに、あることに気付いてしまったのです。

それは、盧溝橋事件の最初の一発を撃ったのは中国側だったということ。

牟田口が亡くなってから30年後、あるテープが解禁されました。
1963(昭和38)年、国会図書館にて、山本有三との会話を録音したものです。
このテープの中には、次のような会話が録音されていました。
「・・・それから3度目にまた向こうがもういっぺん射撃して、初めてこちら側がやりまして・・・」
・・・つまり、牟田口の発言は、
「先に打った中国に対し、反撃の第一発を撃ったのは自分の部隊が最初だった」
という意味でした。

しかし、戦時中の同様の発言が、噂として独り歩きするうちに形を変えたのか、
「牟田口が最初に撃った」
と、誤解されたまま広まってしまったのです。

この勘違いを中国は利用しました。
「このまま勘違いさせておけば、中国は戦争責任を問われることはない。かといって、牟田口を裁判にかけ証言台に立たせてしまうと、いずれボロが出て、この事実がバレてしまう」
そう思った中国は、この勘違いを事実のままにしておくべく、牟田口を無罪放免として口を封じ、思いのままに日本を悪者に仕立て上げたのです…。

当時の日本は、この事実にたどり着くことができませんでした。
なぜなら、このあくどい中国の思考を読み解くための情報が、あまりにもなかったからです。
当たり前ですが、敗戦国日本には、そんな余裕はありませんでした。
防衛一方の弱い立場にあるため、真実を知らない日本を中国は裏で笑っていたわけです。

つまり、中国にとって、日本の誰が有罪か無罪かなどはどうでもよく、日本に罪を擦り付けるために嘘を平気で通し、躊躇なく歴史の隠蔽を行なっていたというわけです。

語り継がれるウソまみれの歴史

皆さんは、この話を知ってどう思われたでしょうか?

一般的に東京裁判は、一連の大戦争の発端となった日本の戦争責任を裁くためのものとされており、まるで、全責任があるというような不当な評価と処罰を受けてしまいました。
その1番の理由となったのが、
「日本が侵略戦争を始めたから」
というものです。

しかし、実際は最初に攻撃を仕掛けたのは中国…。
もしかしたら、あの時、この事実さえ表沙汰になれば、結果は180度変わっていたかもしれません。
しかも、この事実を当時どころか、今でもほとんどと言っていいほど誰も知らないのです。

なぜなら、日本のほとんどの歴史解釈は、自国からの視点でしか描かれていないからです。
しかし、中国側の視点で覗いてみるとどうでしょうか。
日本が完全に悪者というわけではなかった、と言えるのではないでしょうか?

東京裁判を一つとってみても、歴史をひっくり返すほどの隠蔽を中国は平気でするということです…。
それは、この『盧溝橋事件勃発のきっかけ』に限ったことではありません。
日本人大虐殺事件やトラウトマン工作の失敗なども、中国の視点で覗くことで、全く違った歴史の真実が浮かび上がってきます。

ですが、こういった真実は、教科書やニュースから学ぶことはできません…。

なぜなら、今伝わっている歴史は、東京裁判での判決を前提として作られているからです。
つまり、中国が東京裁判で隠し通した事実は、無かったものとして扱われているのです。

しかもその上、GHQが戦後、占領期間中に自分たちにとって都合の悪い歴史を全て消し去り、捻じ曲げ、改変してしまいました。
占領期間が終わっても、それらのウソの歴史は変わることなく、真実へと形を変え、現在まで伝わってしまったのです。

今使われている教科書も、メディアが紹介しているニュースも、偽りの歴史を基にして作られているため、政治家や史学者などでさえ、過去の戦勝国やGHQに振り回されているのが現状なのです。

中国の思考を知らないと、本当の日中戦争勃発の経緯が分かりませんし、先人たちがどんな思いで戦っていたのかを知らず、悪人と決めつけてしまいます。
東京裁判での判決を事実として受け入れてしまっているため、誇れるべき歴史に気付いていないのです。

このままだと、日本が戦争を拡大させたという言説が、自分たちの子供や孫の世代まで語り継がれることになってしまい、自分の子供や次世代の人たちに胸を張って、日本が素晴らしい国だと伝えることもできないでしょう…。

今回は、中国の思考を読み解くことで、そんなウソで塗り固められた歴史から脱却してほしいという想いから書き綴りました。

今回も最後までお読み頂きまして、有り難うございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?