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2022.3.26 プーチン=現代の戦争犯罪人、????=日本の戦争犯罪人

「プーチンは戦争犯罪人だ」

アメリカのバイデン大統領は3月16日、初めてロシアのプーチン大統領のことを名指しで戦争犯罪人だと非難しました。

また、イギリスのジョンソン首相も
「戦争犯罪」
だと非難している。

戦争犯罪という言葉は非常に重い言葉であり、国際社会ではほとんど使われることはありません。

ですが、77年前の日本でもプーチン大統領と同じく、『戦争犯罪人』と呼ばれた人物がいます。

今回は、未だ9割以上の日本人が知らないですが、日米対戦を読み解く際に欠かすことのできない『国際連盟脱退』と長年騙され続けてきた先の戦争の真実、そして、その人物を舞台に書き綴っていこうと思います。

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「全ての罪を松岡へ」

この言葉は、東京裁判の法廷で裁きを受けていたA級戦犯たちの暗黙の合言葉だった。

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これは、戦前の外務大臣だった松岡洋右を猛烈に非難する意味が含まれており、彼はA級戦犯とされて処刑されている。

だが、なぜ、彼はこのように『極悪人』と呼ばれるほど、忌み嫌われていたのか?

それは、1933年、彼が、
『第一次世界大戦というこの世の地獄を繰り返さないために』
というスローガンで作られた国際連盟を脱退し、1939年、ドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を結ぶという平和をぶち壊す2つのことを行なった中心人物だと言われているからである。

松岡洋右もプーチンと同じように、戦争犯罪人だと語られているのである。

このように、戦後の教科書等では、A級戦犯だった『極悪人』という風に語られているが、松岡洋右を中心に当時の史料を基に歴史を読み解いていくと、私たちが教えられてきたこととは全く逆の歴史が明らかになるのである。

実は、松岡洋右は、平和を破って日本を戦争に突っ込ませた悪人ではなく、日本を必死で守ろうとした人物だったのである。

私たちが教えられた歴史とは真逆の歴史とは一体何なのか?
そもそも松岡洋右とは、一体どういう人物だったのか?
なぜ、我々は松岡洋右のことを極悪人だと教えられたのか?
その裏はあるのか?
教科書では語られない日本が戦争を選んだ本当の理由とは?

松岡洋右が原因とされる国際連盟脱退の真実を読み解くことで、これらの真実が見えてくるでしょう。

日本に突き付けられた絶望的な二択

時は遡ること、約90年前。

日本は絶望的な2つの道を突き付けられていました。

1つの道は、当時、日本の国防と経済の要であった満洲国を何のメリットもないままに、国際連盟と山分けする道…。

2つ目は、満州は日本の管理下のままだが、国際連盟の各国と対立して世界的に孤立する道…。

この2つの道は、どちらを選んでも当時の日本にとっては大ダメージでした。
なぜなら…、

もし、日本が満州を国際連盟に譲るのならば、今まで日本がソ連と戦った功績として満州という国防に最も必要な土地を手に入れたのに、それを手放すことになりますし、国民から顰蹙ひんしゅくを買うのも火を見るより明らかです。

それに、もし満州が無くなれば、またロシアが南下してアジア全土が植民地支配に怯える毎日が来るかもしれません。

一方、もし、日本が国際連盟からの交渉に応じないならば、日本は国際連盟からの脱退を余儀なく迫られ、国際平和の秩序のレールから外れ、孤立の道へ突き進むことになります。

現在で例えると、ウクライナ侵攻しているロシアみたいなようになり、世界から孤立するようなものです。

国際連盟という力を失った日本に、アメリカを始めとする西欧列強がより高圧的な外交を仕掛けてくるかもしれませんし、日本のジリ貧は免れないことでしょう…。

しかし、なぜ日本はこのような絶望的な二択を突き付けられる羽目になったのか?

それは、国際連盟の身勝手な金儲けのためでした。

よいうのも、国際連盟は、当時の中国から権益を得ており、日本が満洲国を管理するとなると、その得られる権益が減るかもしれないと不安を抱いていました。

だから、国際連盟は日本が満州を管理すると聞いた時、日本が莫大な額を投じて管理している満州の利益にあやかろうと、
「国連の指導の下における列国の共同管理であるならば、満洲国を認める」
と日本に言ってきたのです。

つまり、どこまでいっても日本からしてみれば不条理なものでしたが、当時の日本には2つの道から1つを選ぶこと以外に選択肢はありませんでした…。

ピンチを救ったヒーロー:松岡洋右

この絶望的な状況にメスを入れようと現れたのが、後にA級戦犯として語られる『松岡洋右』の存在でした。

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松岡は当時の政治家であった西園寺公望きんもちに、
「日本がなんとか連盟に残ることができるよう、全力を尽くして上手くまとめてみます」
と、いち早く日本の危機的状況と回避手段を伝え、西園寺も、
「日本が国際連盟から脱退するなんてことは、断じてあってはならない。そんなことは私が日本政府にさせない。国内の背後の守りは自分がしっかり固めるから、君は安心してジュネーブで全力を尽くしてきてくれ」
と激励して、松岡を国際連盟があるジュネーブへ送り出しました。

ここでの松岡の使命はただ1つ。

国際連盟から脱退することもなく、満州の建国を国際連盟に認めてもらう第3の道を切り開く工作を行うことです。

1932年11月18日。

早速。松岡はジュネーブに到着したその日から、外国特派員を集めて記者会見を行い、パンフレットを発行して日本の立場を訴えました。

同時に、同行した日本の記者団を総動員して日本の情報を発信し続けました。

つまり、松岡は大衆の心理をつかんで世論を形成することが、外交にとって最も重要であることを見抜いた工作を行なっていたのです。

それだけではありません。

松岡は国際連盟の各国の代表と個人的な個別会談を頻繁に行い、説得に説得を重ねて、まるでオセロのように各国の主要人を仲間へと引き入れていきました。

しかし…、

松岡はこのように工作活動を続けていくうちに、国際連盟の裏の思惑に気付いてしまいました。
それは、国際連盟を構成している国々の中で、大国と呼ばれる列強諸国は日本の国連の脱退を望んでおらず、日本を国際連盟に引き留めるためなら譲歩しても良いと裏では思っていたことです。

では、なぜ国際連盟は譲歩できるのに、日本に絶望的な二択を迫ったのか?

それはまず、日本は国際連盟創設以来、世界五大国の一つとして常任理事国になり、国際レールを最も忠実に守る優等生という評価を受けていました。

ただ、そんな日本はルールを守る優等生だからこそ、圧力をかければ満州の利益にあやかれるかもしれないと踏んで、国際連盟は先述したような二択を日本に突き付けたのです。

つまり、日本は国際連盟に舐められていたということなのですが…、松岡が日本の立場の正当性と存在価値を国連に主張し続けるうちに、国際連盟の列強諸国の各国代表たちは、日本に脱退をされてしまったら、国際連盟の威信は揺らぎ、有名無実となってしまうことを恐れ始めました。

そして、そんな日本を侵略国として排除してしまったら、彼ら列強諸国の植民地支配に対して、国際連盟内の弱小国たちが一斉に非難の声を上げ始める可能性が出てくると、大きく不安を募らせていったのです。

明さんも既にご存知のように、当時のアジアの弱小だった国々は、欧米列強諸国に植民地支配されていました。

例えば、オランダがインドネシアを植民地にしていた時、インドネシアでは、田畑の5分の1をコーヒーや茶などオランダ向けの生産物の強制栽培に変えさせられ、400万人がタダ同然で働かされ、餓死者が続出し、平均寿命は35歳にまで下がりました。

1850年には、ある村の人口は33万6000人から12万人に、また別の村では、人口8万9500人が9000人に減少し、さらにオランダは自分たちが支配しやすくするために、インドネシア人にたくさんの混血児を産ませました。

このように、欧米列強諸国がアジアの弱小国に酷いことをしていたのは当時の各国の共通認識でした。

そんな状況で、アジアで唯一、日露戦争でロシアを倒し、世界から強さを認められ、欧米列強と共に対等に話し合うことができた日本は、まさにアジアの救世主です。

このような背景を巧みに汲み取り、国際連盟の思惑に気付いた松岡は最後の工作に取り掛かりました。

それは、松岡がジュネーブに到着してから、約1ヶ月後…。

12月8日に国際連盟総会で各国の代表に日本の現状の立場を主張した、『十字架上の日本』という演説です。
これはまさしくトドメとも言えるような鋭い演説で、国際連盟の各代表の心を鷲掴みにしました。
その内容は欧米人に分かりやすいようにキリストの譬えを用いて、日本の正当性を国際社会に向けて主張し、祖国を思う愛国心を前面に押し出した内容でした。

そして、演説が終わり…、

途端に、盛大な拍手が沸き起こり、世界各国の代表者は松岡に駆け寄って、次々に松岡へ握手を求めました。
「素晴らしい!これほどの感動的な演説を聞いたのは初めてだ。これは国際連盟の演説史に残る歴史的な大雄弁である!」
こういった言葉も添えられ、松岡は国際連盟の各国代表の心を鷲掴みにし、遂には、日本が国際連盟から脱退せずに満州を認めてもらうという第3の道を日本は手に入れたのでした。

つまり、松岡は日本の危機を回避するために、たった1人で世界を動かす大役を成し遂げたのです。

日本を破滅に導いた黒幕の正体

しかし、史実を振り返ると…、

皆さんもご存知のように日本は国際連盟を脱退しています。

一体、何が起きたのでしょうか?

それは、松岡がジュネーブで工作を成功させる一方…、日本国内では、新聞・マスコミが『国際連盟即時脱退!』を絶叫し続けたために、世論も国際連盟から最初に突き付けられた二択への怒りが鎮まらずにいました。

つまり、国際連盟脱退の空気は、もはや押し留めることのできない状況になり、日本全土を覆ってしまったのです。
そして遂に、日本政府は閣議で国際連盟の脱退を決議し、松岡に伝えました。

「なぜ、脱退が決まったのか?!」
この時、松岡は西園寺公望に約束を破られことに対し怒りを露わにしました。
そして、松岡を国際連盟脱退を回避するために送り出した張本人である西園寺が世論の空気に煽られて、国際連盟の脱退にGOサインを出してしまったことを知ったのです。
こうした西園寺の裏切りによって、松岡は国際連盟の総会で国際連盟の脱退を宣言し、席を蹴って退場していったのでした…。

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…松岡の視点だからこそ浮かび上がる歴史の真実。

戦後に当たられている松岡洋右が国連を勝手に脱退して、世界と対立したという話とは随分と乖離していないでしょうか?

確かに、松岡は主席全権代表でしたが、国際連盟の脱退といった重大な国策を彼の独断でできるわけがありません。

むしろ、
日本が国際連盟を脱退しないよう…、
満州も失わぬよう…、
世界に対してたった1つの体で立ち向かって、見事に成功させていたのです。

ですが、日本は西園寺公望の裏切りによって、国際連盟から脱退し、松岡は責任者という肩書きだけを利用されて、『国際連盟を脱退させた罪人』という烙印を戦後押されただけに過ぎなかったのです。

そんな松岡は紛れもなく、戦犯者ではなく英雄でした。

そして、この事実からもう1つ見えてくることがあります。

それは、
満州統治の責任者であり…、
外交官であり…、
主席全権代表であり…、
常に日本人の先頭で各国と直接交渉を繰り広げてきた松岡の視点から歴史を見ることで、
満州事変の真実…、
国際連盟脱退の真実…、
日独伊三国同盟の真実…、
など大東亜戦争へ至る経緯が鮮明に浮かび上がるということです。

確かに、当時の新聞や政府の記録や国民の証言など、日本が大東亜戦争へ至る経緯を知る術が数多くあります。
ですが、常に教科書で習う各出来事の当事者である松岡洋右の記録に勝るものは無いのではないでしょうか?

その証拠に、終戦後…、GHQは松岡洋右を当時存在しない罪で裁き、A級戦犯として拘束し、死に追いやりました。
さらに、松岡が書いた書籍が焚書として全て日本中から没収され、私たちの国民の目の届かないところへ、歴史の真実を葬ったのです。

つまり、松岡があまりにも真実を知り過ぎていたために、日本を統治するGHQにとっては都合が悪かったと言えます。
だから、私たちは、松岡洋右のことをよく知りません。
松岡洋右が日本のために命を懸けたことも、日本が国連を脱退したくなかったことも、世界から日本が認められていたことも全てです…。

その代わりに、戦後GHQによって書き変えられた現在の日本では、
「松岡がいかに日本を戦争に導いたのか」
「アジアに迷惑をかけた日本が悪い」
といった事ばかりが教えられています。

しかし、このままでは、私たち、そして私たちの子供世代、孫世代である日本人が、まともな歴史の真実を知れず、戦争に対して反省を繰り返すだけの民族に成り下がってしまいます。

例えば、現在のロシアがウクライナに侵攻している状況を見ても、現在の政府はロシアに対して経済制裁っぽいことを行なっているだけであり、国防について対岸の火事で、問題の『憲法9条』や『尖閣諸島』などについては全く議論が行われていません。

Twitterやネットの掲示板を見ても、
<憲法9条がロシアにもあれば戦争が起きなかった>
など、的外れな言論ばかりが飛び交っています。

どこまでいっても日本の中にはGHQが植え付けた戦争に対する反省の色が残っているのです。

なので、まずは私たちが日本の正しい歴史を取り戻し、それを語り継いでいく必要があると思わないでしょうか?

今回は、皆さんが少しでもその考えに賛同してくれるならと思い記事にしました。

〔編集後記〕1933年収録 国連脱退の瞬間映像

大東亜戦争が起きる89年前の映像が、YouTubeに上がっています。

しかも、その映像は、松岡洋右が国際連盟を脱退した瞬間の貴重な映像でした。

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そして、もしかしたら、この映像にはGHQが知られたくなかった日本が中国に侵略をしていなかった話や満州のことについての内容を含んでいるので、長い間、公開されることがなかったのかもしれません…。

ですが、2020年になって、ようやく公開されていました。

この動画を見た人は、このようなコメントをしています。

「この脱退の裏では、この松岡洋右自身も脱退を何とか阻止すべく奮闘していた。歴史は表だけみるのとその裏を見るのとで全然印象が変わる。」

「本人は帰国したら非難の嵐だろうと覚悟して帰ったら英雄扱いだったので目を疑ったっていう話好き」

「歴史教科書だと画像1枚張り付けて国連脱退〜で終わりだけど、一人の人間の演説を動画でみると、やっぱり生きてる生の人間が歴史を紡いできたんだなぁって感傷的な気持ちになる」

「日本の過去の是非はともかくとして、誇りのある日本人の姿が見れてうれしい。今の多くの人に欠けてしまっているものが、この時代の人々にはあったのだろう。」

このようなコメントが書かれています。

GHQは、国際連盟脱退の真実を知られたくなかったのではないでしょうか?

見ていない方は、今すぐ国連脱退の瞬間をその目でご覧ください。
動画はこちらから

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