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2022.6.9 日本が第二次大戦に負けた真の理由

今年は、日米大戦のきっかけとなった真珠湾攻撃から81年目に当たりますが、今、この真珠湾攻撃に関して2つの論調が出ています。

それが、
「日本は真珠湾攻撃で米国に卑怯な騙し討ちを行なった」

もしくは反対に、
「実は日本は悪くなかった。アメリカの陰謀にまんまと騙された」

という正反対の論調…。

あなたはこの2つのどちらが正しいと思いますか?

実際のところ、どちらが真実なのでしょうか?

今年は、GHQによって焚書された1冊の本によって、漸くこの論調に終止符が打たれそうです。

さて今回は、『日本が第二次大戦に負けた真の理由』について、少し書いていこうと思います。

もし、“日本は悪かった”という考えをお持ちであれば、読み終えた後、その考えが変わるかも知れません…。


日本は戦後、GHQに自虐史観を植えつけられました。
それで、いろいろ困ったことが起こりました。

例えば、“日本が第二次大戦に負けた真の理由を分析することができなくなったこと”。

なぜか?
『自虐史観』というのは、要するに
・日本は悪い国です
・日本人は悪い民族です
ということ。

それで、“日本が負けた理由”は、
「日本が悪いことをしたから」
で終わらされてしまいました。

しかし、日本は、史上最悪非道の独裁者スターリンが率いたソ連より悪いことをしたでしょうか?
原爆を投下したアメリカより悪いことをしたでしょうか?
大英帝国より広大な植民地を作ったでしょうか?

冷静に考えれば、
「日本は悪い国だから、日本人は悪い民族だから、日本は悪いことをしたから負けた」
というのが、“全く論理的でない”ことに気づきます。

では、なぜ日本は負けたのでしょうか?

日本が負けた理由

私はこのnoteでも、よく記事を書き、長い期間、“日本が負けた本当の理由”について勉強してきました。

そこで、いろいろ分かったことがあります。

例えば、
・日本敗戦の遠因は、日露戦争後の対応にあったこと。

・日露戦争時、日本に多額の財政支援を行ったアメリカは、戦後南満州鉄道の共同経営を望んだこと。

しかし、日本は、共同経営の提案を拒否したため、日米関係は悪化しました。

・第一次大戦時、当時日本の同盟国だったイギリスは、日本に陸軍派遣を要請したこと。

しかし、日本はこれを拒否し、一兵も送ることはありませんでした。
このことにイギリスは幻滅し、戦後、日英同盟は破棄されました。

・日本が1932年、満州国を建国したことに中国は反発。
国際連盟は『リットン調査団』を派遣した。

昭和天皇は、『リットン調査団』の勧告を支持しましたが、これを日本政府が反対。

結果、日本は国際連盟内で孤立し、全権代表の松岡洋右が各国に対し賢明な説得行い賛同を得るも、脱退することになりました。
しかし、当時の総理大臣だった西園寺公望が、世論に対し弱腰でさえなければ、脱退する必要はありませんでした。

・国際連盟を脱退した全権代表の松岡洋祐は、国際連盟脱退を喜んでいた日本国民から帰国時、皮肉にも『英雄』として熱狂的歓迎を受けた。

・1939年、第二次世界大戦が勃発。
この年、日本はまだ、ナチスドイツの同盟国ではなかった。

しかし、1940年、日本は正式にドイツの軍事同盟国になりました。

・1941年8月、アメリカは、日本への原油輸出を停止。
日本は石油の90%以上を輸入、そのうちの8割をアメリカに頼っていたため危機に陥る。

結果、やむなく『真珠湾攻撃』を決断。

しかし、実をいうと真珠湾を攻撃する必要性はありませんでした。
すでに、本国のオランダはドイツに降伏していたため、当時オランダ領であったインドネシアの油田を確保していれば、石油問題は解決しました。

オランダ領の植民地を攻めたとしても、日本がアメリカ領の支配地を攻撃さえしなければ、『不戦』を公約に掲げていたルーズベルトは、大義なく日米戦争を開始できなかったでしょう。

等々、ざっくり書きましたが、敗戦の原因は山ほどあります。

こう書くと、見方を変えれば、私のことを
「言葉巧みに言ってるが、やはり虐史観者だ」
と思われる方もいるでしょう。
しかし、そうではありません。

私が書いていることは、
「日本が、どう負けにつながる行動をとったか」
かという話であって、
「日本が道徳的に悪かった」
という話ではありません。

日本が負けた理由は色々ありますが、一つひとつの“負けにつながる行動”のベースにある『見方』があります。

それは何か?

それは、日本の見方が、“近視眼的だった”ということ。
別の言葉で、“戦術的だった”ということ。

例えば、例に挙げたアメリカと南満州鉄道を共同経営するという話。

日本政府が、『戦略的視点』を持っていたら、どういう決定を下したでしょうか?

当時、日本最大の仮想敵は、いうまでもなくロシア帝国です。
日本が最も恐れていたのはロシアの『南下政策』です。

これを防ぐための『緩衝地帯』として朝鮮半島、満洲に進出しました。
では、ここでアメリカを南満州鉄道に入れていたらどうなるでしょう。

たとえロシアが南下してきて、同国のスパイが多く入り込んでいたアメリカであっても、権益を守るために戦ってくれたでしょう。
そうなれば、どれほど日本は楽になったことかと思います。

残念ながら、こういった『戦略的視点』が、当時の日本にはありませんでした。

アサヒビール名誉顧問の中條高徳氏は、名著『おじいちゃん戦争のことを教えて~孫娘からの質問状』の中で、こう書いています。

<日本にはもっと賢明な選択肢があったのかもしれない。
たとえば、満鉄を共同経営しようというアメリカの鉄道王ハリマンの提案をそのまま受け入れていたら、昭和の歴史は大きく変わっていたのではないかとおじいちゃんには思えてならない。>

日本人は概して、優しくて、勤勉で、誠実です。
しかし、概して広い視点(戦略的視点)は持っておらず、指導者たちがしばしば『致命的失敗』を犯します。

そして、戦後75年以上経った現代でも同じことが言えるように、自らの目で見て確かめようとしない日本国民全般にも、そういう傾向があるといえるでしょう。
10年パスポートの取得数を見ても明らかですが、事実、今も日本人の中で、自らの目で世界を見ている人は、人口の僅か1割程度しかいません。

『戦術的視点』で短期の利益を得ることはできます。
しかし、長期的に勝ち続けることはできません。

『戦略的視点』は、短期の利益を犠牲にしても長期的勝利、成功、繁栄を手にすることを可能にします。

戦術的、戦略的といった言葉は戦争を連想してしまうでしょうが、これは何も軍事に限ったことではありません。
特に今は経済情勢が非常に厳しく、未だ影響の残るコロナ禍、ロシアによるウクライナ問題、そして日本国内でのエネルギー資源と物価の高騰、サプライチェーン問題…。
また、今後起こりうる可能性のある食糧危機、インフレによる日本円価値と所得の問題など、出来る限り皆さんが、ご自身の目で情勢を見極めて、是非『戦略的視点』を学び、身に付けていって下さい。

最後までお読み下さいまして有り難うございました。

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