様々なスピードで
今日も二胡の練習は終わり。だいたい1回で4〜7曲を5回練習します。曲にもよるけど100回くらいするとだいたい弾けるようになってきます。
今やっているところは既に100回を越えているものがほとんどですが、最初はゆっくり丁寧に。そして少し速く、さらに速く、不可能なほど速く、最後はスピードを考えず心のままに。
こうやって様々なスピードでやっていくと、今まで知らなかった事、感じなかった事がわかってきます。まるである旋律が何かの鍵であるかのように、そうか!となります。
一つの練習曲にしても楽曲にしても、そうやって繰り返してやっていくうちに、音なのにまるで模様みたいな形のような色のようなものに見えてくることがあります。なんだか言葉にするのは難しいのですが一つの曲に毎日向き合っているとそう感じることがあって、多分私のように感じている人はこの世の中にもいるはずです。そして彼らはそれらを言葉にする事はないだろうと、私もその一人ですから。たまたまnoteを書く事で言葉にする機会に恵まれました。
どんな物の中も、一つの音でさえも、ずっとそれと向き合っていると私たち人間と同様に宇宙の法則の中にいることを感じます。
不協和音、綺麗でない音、旋律から外れた音、いかにも洗練されていない音、それらはコントロールされた旋律の中にも存在していて実に美しいハーモニーをかもします。
一つのことに向き合うメリットは、流されない、確固たるものが自分の中で芽生えることです。ある人や物の価値に対して、素晴らしいと称賛される事とくだらないと罵られることはほぼ同じです。
音楽をやっていると世の中の浮き沈みなどの動きを言葉以外のもので捉え感じます。私がそれを音で表現できるのかどうかまだわかりませんけど、少なくとも歌詞の書けない私に旋律は言葉(歌詞)を指し示してくれます。これから考えれば逆にトランスレーションすれば法則を音にできるはずです。トランスレーションができればの話ですが。
曲の見方について、あらゆるスピードでやってみる事でなにが自然であるのか感じとることができます。
これは曲のみならず、どんな問題にも言えることで自然の摂理は同じ、老子の「上善は水の如し」自然の法則を知って生きることができれば心地よい。
情報や賢人の知恵をたくさん持つことも素晴らしいですが、何か興味を持った物に対し自分で考え実行して失敗や成功の中でいつくもの発見をしていく事、これらがどんなに些細な事でもその人に根付いていき活力になっていくのだと思います。
Photo by John Peters on Unsplash
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