見出し画像

やってみたいことが薄らっと

楽しいことって本当にいいものだなぁ
そんな当たり前のことを最近やっと腹オチした気がします。


以前ちょろっとnoteでも書かせていただいたのですが
楽しむことにどこか「罪悪感」を持っていた節がある私です。


楽しいとか、幸せ!などなど
感じていい、人間なのだろうか。
常になにか「喉に小骨が引っかかっている」状態でした。


その小骨…
他者から「素敵な言葉」から端を発したものだという事に気が付きます。
それも長年関わっている人から。

素敵な言葉は「一種の呪い」になり
ああ、こんな私が楽しかったり、幸せだなんて感じちゃいけないんだと。

何もできない
こんな私なのに
もっと「やることがある」のに!


はい、それダウトー


小骨がスポーンととれた、気がします。


私の近しい人、でも「素敵な言葉」を使わない人が多い。
そんな事実に気が付きます。
つーか、私は逆に「素敵な言葉」をその人にあまりかけません。
あり?なんでかな?と思うと

やられたら、嫌なことを、しちゃいかん。


代々続く(?)我が家の家訓。
あ、いやだったのね。私という事にも気が付くわけです。


そう、この「素敵な言葉」は全く違う意味で使っています。


ああ、ずいぶん振り回されてしまったなと、遠い目。


どんな自分でも
楽しんでいいんだという事。
そしてその楽しみが「実は親しい人の新たな楽しみ」に繋がっていっているという事が最近嬉しいのです。


まだ「自分が幸せである」という状態にしておくことには
良いのか…?とまだ受け入れられないところはありますが


楽しい、ということと同じであったのならば
私がこりゃえらい幸せだ。とおもえれば
親しい人たちが「幸せである」という状況につながるのでは?


確かに自分が幸せでなければ、他者を幸せにできない。
という話を聞いていますし「知っています」


知っていただけなのでこれが腹落ちできれば
腹落ちが行動に繋がれば。
本当にいいことばかりなのでは?と少々ノー天気マインド。


・・・実際「そうする」ことが一番難しいんですけどね。


ただ「近い将来そうしたいなぁ」と珍しくイメージできたので
少々戸惑いながらわくわくもしております。
むふふ、どうしてくれようかなぁ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?