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自分の好奇心を追い求めていった先にたどり着いた「日々の暮らしや料理と精神性。」

料理やテーブルを取り囲む空気が
とても好きなんだと気づいたのは、

パンデミックの中で渡ったモロッコで
思いがけず始まった現地の人との生活でした。

とりわけ、家で食べる食事というものは、
子どものときから、大人になった今になっても、
どこの国にいても、格別なものだと感じます。

私は物心ついたときから食べることが大好きで
根っからの食いしん坊。

でもかといって、
高級でおしゃれなレストランを探すことにそこまで興味はなく
穴場みないなB級グルメ的なお店へ行くことが好きでした。

家で食べる感覚に近かったからなのか
なんかほっとするからなのか
「空間のプラスアルファ」なしでご飯と向き合いたかったかなのか…笑

話は戻り、

ツアーのプランナーとして提供の下見も兼ね
現地の様子を見に行こうと渡ったモロッコでは
あまりに観光の空気がどこかへ消え去ってしまっていました。

そして、

そんなモロッコで、想像以上にやることがなくなってしまった私が
自然と毎日やっていたのが、料理をすることでした。

ドサーーッと大量の小麦粉を出しては全身でこね、
ホブズを作ることから始まる1日。

現地のローカルマーケットに通っては、
新鮮な野菜や果物に出会ったり、
命をいただいていることを実感しながらお肉を買う体験をしたり…

ただの日常だと思っていたことが、
私の毎日にたくさんの彩りをもたらしてくれました。

一緒に食卓を囲みながら、
彼らと同じものを食べる生活。

モロッコ人々は遠い異国から突然やってきた私のことを、
家族の一員として受け入れてくれました。

スパイスの香りが漂い、
人が集まり、自然の恵みに感謝しながら食べるモロッコ料理。

今となっては私にとって
欠かせないエネルギー源となっています。

モロッコの人々の温かさや、
自然豊か風土から生まれる食材の美味しさはもちろんのこと、

モロッコでの多くの料理のほとんどは
塩とスパイスとオリーブオイルだけで成り立っているということに
とても感銘を受けた体験でもありました。

モロッコでの生活で培った、火の通し方やシンプルな調理方、
生活の中での料理のあり方、食の時間を人と分かち合う姿勢。

様々なことが、私の料理や日常の空間をぐんと広げてくれたのです。

そんな、モロッコでの生活で学んだ

「無駄なものを削り、あるものを掛け合わせ、本質を引き出す。」

という調理法。

それは、自分自身を見失っていた時

そっくりそのまま
自分の生き方にも必要だったプロセスでした。

生きていると、つい当たり前のことに目を向けるのを忘れて、

「何か楽しいことはないか」
「何か新しいことはないか」
「何かもっと成長しないと」

そんな風に

「”何か”が欠けているような気持ち」になりがちでした。

私自身、もともと好奇心が旺盛な性格も影響してか
特に日本で生活している期間は

「当たり前の日常だけでは物足りない・・。」
「ただ生活しているだけでは誰の役にも立てない・・。」

と、未だにソワソワしてしまうこともあります。

そんな時はホッとミントティーを片手に

「今日は何を食べようかな?」

と考える。

食べたことのない料理を作ることや食べることに
想像を膨らませる楽しみったら、それはもう、つきません。

そして

「あぁ、美味しい」とできた料理の味わいを感じている時

その瞬間は、

「何かが欠けているような気持ち」なんて入る余地すらない。

ということに気がついたりします。

これはきっと、
死ぬまでやり続けるであろう私の些細な日常なのでしょう!笑

また、

“これをつくるためにあれを揃えよう”と考えるのではなく、
“これがあるからあれをつくろう”、

’’不要なものを引き算し、本来の素材を活かそう。

そうやって意識して日々の料理を成り立たせることほど
豊かな時間はないし、

それが
「自分にすでに備わっているものやあるものを活かして生きる」
というあり方に直結するのではないか。

そんな風にも感じるようにもなりました。

人は、自分自身の第五感が受け取った情報を
自身の脳で処理することで
事物や現象などの外側の世界に投影し
あらゆるものを認識しています。

見たり、聞いたり、触ったり、
嗅いだり、味わったり。

そんな日常で展開される些細な体験が
後の自分の世界を創っていく。

ということは、

私たちが今目にしているこの世界は
そういった「あらゆる情報」だけで
築かれている「空間」とも言えます。

今の目の間に起きている

自分の望まない現実も
願ってやまなかった現実も

自分がこれまで生きてきた得た情報によって
創り出されているのです。

つまり、この仕組みがわかると
自分の人生や世界を創造していくことができあす。

そうはいっても、

いきなり日々の中で
そんな考えを取り入れることって
簡単じゃないですし
実態感がないと理解するのも難しい。

’’意識をしても’’、すぐに忘れてしまう。

それなら、誰にでも平等に与えられた、
日々の暮らしや、最も身近な創造的な行為である料理や食の時間を
スモールステップとして自覚的に楽しんでみる。

食べることや美味しい時間のためだけに作るのではなく
料理のプロセスでの五感や思考に意識を向けてみる。

ちょっとした’’自分仕様’の’暮らしの工夫で
「今ここ」を味わってみる。

そうした日々のなんてことない意識の変化が
目の前の空間をぐんと広げてくれるのではないでしょうか。

暮らしや料理、生き方や精神性?

一見すると何も関係ないようにも思えるし
発信者としてジャンルがよくわからなくなるのも避けたいな…
という頭の声はありましたが、
自分の好奇心を追い求めていった先にたどり着いたのは日々の暮らしや料理と精神性。

そんな、私独自の視点での話を伝えていけたらと思っています。

そして、それが誰かの生き方やあり方にもつながれば
そんなに嬉しいことはありません。

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