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読書メモ10 レジリエンスの時代ジェレミー・リフキン著 第5章

第5章「究極の強奪
地球のさまざまな圏と遺伝子プールと電磁スペクトルの商品化」

については、ジョン・ロック、エホバとアダムの約束、について語る必要がある。

切り口を変えて、
「出発点、前提、公理、本質、核心」という辺りから、考えたい。
デカルトの「我思う、故に我あり」を例にとる。
普通、この命題の真偽、意味が問われる。けれど、意味も真偽も、無いのだろう。

意味の在所(ありか)は、命題から派生したデカルトの体系と社会(外界、環境)とのせめぎ合い(相互作用)の中だけに在る、のではないだろうか?
それが、何を齎(もたら)したか、の中だけに。

こんどは、「宗教」。宗教の意味は、教学の中には無い。教学の純粋性、論理整合性の中ではなく、その宗教の、社会的機能性の中だけに在る。

また、生物の「走性」。量子の「性質」...

機能の全体性の中にだけ意味がある。そして、全体性がどう発展するかは、事前に予測できない

西欧発の近代主義は、近似として、部分に於いて、極めて有効だった。
東洋思想は、全体性について、意味を持つ。
両者をどう扱うのか、継ぎはぎする訳にはいかない。

さて、第5章に帰る。
教会の権威により、神から、王、領主、平民、農奴へと連なる上下の階層性を、水平に切り裂くロックの主張は、あらゆるものの私物化、囲い込みを齎(もたら)すことになる。

「過去一世紀間にテイラー主義が途方もない影響を広範に及ぼしたことは疑いようがない。地球のさまぎまな複雑系を形作る、ほぼすべての作用主体が、効率化と利益追求のために、収奪され、商品化され、生命維持装置につながれた。今や、「効率化という福音」は、私たちが知るようになった資本主義システムの内部崩壊にさえつながりつつある。次は、その最終幕を見てみることにしよう。」(p.154)

          光

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