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演劇小説に必要なのは女優と演出家と、そして(眠りながら考えた(10))

演劇小説あるあるは、リアル演劇では異世界転生レベルのファンタジー。

いつか、演劇の舞台裏を題材にした小説を書いてみたいと思っている。いわゆるバックステージものだ。笑いあり涙あり、苦労話てんこ盛り。
私なんぞは自腹を切ってやったごく小さな自主公演しか経験はないが、じつは演劇の場合、かなりの老舗劇団であっても内実はそんなに変わらない。ぶっちゃけ、みんな同じくらいぴーぴーなんである(言っちゃったよ)。
あんがい興味を持ってくれる読者に出会えそうな気がしている。

と言うのも、あんがい、「演劇小説」って少ないのかなと思うからだ。
マンガの分野では金字塔『ガラスの仮面』を筆頭にいろいろある。と思う。
が、小説の分野でヒットしたものって、私が不勉強なせいか(たぶんそう)、次の二つくらいしか思い浮かばない。

 恩田陸『チョコレートコスモス』(2004~2005年)
 有川浩『シアター!』(2009年)『シアター!2』(2011年)

惜しいことにどちらも、三部作のはずだったのに、二巻までしか書かれていない。
恩田先生にいたっては第二巻『ダンデライオン』が雑誌連載の途中で止まって、単行本化もされていない。残念。

で、どちらも読んで驚いたのは、登場人物として、俳優と演出家(と脚本家)しか出てこないことだった。
「スポットライトが当たる」
当たるのではない。スポットライトはお日さまやお月さまやお星さまではない。誰かが当ててくれているのだ。
その人たちがキャラクターとして登場することは、ない。
『ガラスの仮面』もそうだ。

考えたら当然のことだった。だって恩田先生や有川先生がお書きになりたく、そしておそらくたいていの読者が読みたいのは、
役者と役者が火花を散らしあう、熾烈な闘いの物語
なのだから。

いまこの文章を読んでくださっている貴方をがっかりさせて本当に申し訳ないが、正直言って、それってほぼほぼ異世界転生レベルのファンタジーに私には思える。
少なくとも、脚本・演出・主宰をいくばくかやってみた私のとぼしい経験から言うと、
演出家の最大のミッションは
俳優どうしに火花を散らさせないこと
なのだ。
俳優だけではない。スタッフにも火花を散らさせてはいけない。
いつもバケツに水張って持ってる気分だ。なだめ役だ。調整役だ。気に入らないやつに灰皿を投げつけるなんてどこの銀河系の演出家だよという話だ。

だってそうでしょう。
みんな同じ宇宙船地球号の、ちがった、同じ座組[ざぐみ]という名の船の乗組員なんですよ。一致団結と行かないまでも、協力して船を進めなきゃいけないんである。火花なんか散らしててどうするよ。
演劇には上演日というものがある。上演時刻というものがある。
そのときに各自が最高のパフォーマンスを発揮できるよう、皆で持っていかなくてはならない。
チームなのだ。

もちろん、あまりべたべたと仲がいいのも私は苦手だ。さっぱりしているほうがいい。とくに一部の人たちだけが他より仲がいいと、ろくなことにならない。
「ゴミ出しして、戸締りして行きますから」
なんて言いつくろって、残った者どうしで誰かの、というか私の悪口を言いあうなんて最悪だ。みょうに具体的だなと思われるでしょう。じっさいにやられたんですよ。
なぜそれを私が知っているかというと、二人のうち一人がうっかり、相手に送るはずの悪口メールを間違って私当てに送信してしまったからだ。
天網恢恢[てんもうかいかい]、疎にして漏らさずってやつですね。

私がどうしたかというと、本人に、
「どうする?」
と訊いて、彼女が辞めますと言うから、そう、いままでありがとうと言って引きとめなかった。
怒っているひまはない。そんな無駄づかいするエネルギーがあったらすべて、残ってくれている信頼できるキャストとスタッフに注がなくてはならない。
こんなのは序の口。
こういう苦労にくらべたら、どういう演技や演出にするかという苦心なんてほんと屁のような、
いや! 失礼。
シャボン玉みたいなものだ。

逆ギレされやすい症候群。

ここだけの話、役者に降板されるのは、じつはそれほど痛手ではない。こういう言いかたも申し訳ないのだが、わりと替えがきくものなのだ。最悪、台本を書き換えてしまえばいい。
きついのはスタッフに離反されることだ。照明家。舞台監督。ミュージシャン。
なぜ? と叫ぶこともできないほど大量の煮え湯を飲まされ、浴びせられてきた。誓って言う、私のほうから彼らに理不尽を強いたことはただの一度もない。
いつも同じパターン。
逆恨み
というやつだ。

相手が仕事をしない。手抜きのときもあるが、たいていはこちらの話を聞いていない。自分のミッションを理解していない。
頼んだ役割を果たしてもらわないと困るから、まずはやんわりと指摘する。
そういう人に限って指摘されていることに気づかない。自覚がない。
やんわりと言っているうちに気づいてくれないから、辛抱づよくくりかえす。最後にはっきり言う。どなりはしない。

さっき書いた話の女優は、他の男優が苦心して慣れないダンスステップに挑戦しているのを「下手くそ」とさんざんからかっておきながら、自分はある小道具を扱うよう私に演出されると、へらへら笑いながら言ったものだ。
「できませーん」
「やってください」と私。

周囲は凍りついた。
私はふだん「もっとビシッと言ってください」と言われるくらい、声を荒らげることがない。このときも荒らげはしなかった。
「やってください」と二度言った。
 
くだんの女優がゴミ出しにかこつけて、なかよしの女優に陰口を垂れはじめたのはそれからだ。そして天網カイカイ事件へと続く。

ほぼこのパターン。「責められた」「恥をかかされた」と言って泣く。「もっと早く言ってくれればいいのに」と恨む。自分の仕事が作品に合っていず、周りの足を引っぱっていたことは棚に上げてだ。
それ私、ずーっと言ってましたよ?
人の話聞いてくれないかな。と言うより、言われる前に自分で考えてくれないかな。大人なんだから。

まだ自分のチームを持っていないとき、友人の演出家の手伝い(脚本・兼・演出補というか雑用係)として座組に入ったことがあった。演出家の彼以外は知らない人たちばかりだから、人見知りの私はびくびくしていたのだが、暖かく迎えてもらい、いったんは胸をなでおろした。
こじれ始めたのはその後だ。
ピアニストが稽古に参加してきた日を境に、皆の様子がぎこちなくなった。

それはピアノ伴奏付きの朗読劇で、私の脚本はとうに仕上がっていた。あとは作曲家氏がピアノ譜を書いてくれればいいだけだ。
ってもっと早く書いてくれていればその後の惨事はほぼ防げたのだし、なかなか来ない新曲を待つピアニスト嬢のストレスは思うだに気の毒なものだったから、私も、
彼女にあいさつしても徹底的に無視されるのは、そのストレスのせいなのだろうと思って同情していた。

なんとか全体が仕上がった、本番の前日。
演出家が弱りきった顔で、私に携帯電話を渡す。ピアニスト嬢と話してほしいという。
降りるって言ってる」

くどいようだが本番の前日だ。夕方だ。カウントダウン、二十四時間を切っている。

電話に出たとたん、金切り声の罵詈雑言を浴びせられた。
「私がどんなに孤独だったか、あなたにはわからないでしょう」
意味不明。
くどいようだが、プロのピアニストだ。中学の演劇部での出来事ではない。
泣き叫んでいて何を言っているかわからないので、しばらく辛抱づよく聞いていると、
「私は知らない人たちばかりで、寂しくて、緊張しているのに、あなたはいつもまん中にいてみんなと楽しく笑っていて、何様なの」
いや、いないっす。まん中なんかにいないっす、いっつも部屋のすみっこにいたっすよ。笑っていたのは皆さんで、私が笑わしたわけじゃありません。

こういうとき私は、みょうに落ちついて静かになるというくせがある。
「で、どうなさるんですか?」と訊いてみた。
「降りる」と叫んでいる。
「それは困りましたね」と私。「ピアノは誰が弾くんでしょうか」
鼻で笑う息が聞こえた。「あなたが弾けば?」
「私には弾けません」と私。「みんな○○さんを待ってますよ」

中略。

ぶじに本番が終わった後、彼女は「ミムラさん」と駆け寄ってきて、私の腕の中で泣いた。
「ごめんね、ごめんね。私、緊張してて死にそうだったからあんなひどいこと言っちゃって」
「わかってますよ」
彼女をハグして背中をずーっとよしよししてやった。
次はないな、と思いながら。

ここでかんじんなのは、諸悪の根源はこのピアニスト嬢ではなかったということだ。
じつは、わが友の(名に値しないが)演出家くんはふだん、別の脚本家と組んで舞台を作っているのだが、今回に限って私を招いた(いろいろ理由はある。私が楽譜を読めるとか)。
その脚本家女史に恨まれた、のでさえない。
その女史の友人なる、手伝いスタッフの女性に、私は恨まれていたのだ。

後で考えたらすべてつじつまが合った。じわじわと首を絞めるような嫌がらせ。
私は呼ばれたから来て、頼まれた仕事をして、いつも遠慮して稽古場のすみに座っていた。誓って言う、本当だ。
脚本家女史が「私をさしおいて」と怒ったことなどない。にこにこしていた。ただ、裏では「なんで私じゃなかったのかなあ」くらいの愚痴はこぼしたかもしれない。
つまりそのお手伝いの女性は、義憤と義侠心に駆られたというわけなのだ。そしてピアニスト嬢の不安につけこみ、煽った。
ピアニスト嬢本人よりたちが悪い。
わざわざ不和を育ててどうする。ピアニスト嬢の(見当違いな)怒りを鎮めてやるのが仲間というものじゃないか。ようするにそのお手伝いさん(彼女が何の役に立っていたのかよくわからない)は新参者の私が気に食わず、ピアニスト嬢の陰に隠れてずっと私に毒矢を放っていたのだ。

必要なのは……

ここまで読んで、誰が本当の元凶か、おわかりになっただろうか。
そう。
演出家くんだ。
ピアニスト嬢をなだめるのに失敗したのは彼だ。あろうことか、その調整を私自身に押しつけた。チームリーダー失格だ。
そもそも外部から人(私)を呼ぶことでそんな反感が生まれてしまうようなファミリー商店なら、私なんか呼ぶべきではなかった。人選ミスだ。

つまり、ひるがえって、天網カイカイ事件も私の人選ミス。私に人を見る目がなかっただけの話だ。
もっとちゃんとした人だと思っていたのだが、あの女優さん。
それこそ「裏切られた」「作品づくりに専念したいのによけいなストレスを強いられた」と泣き叫んでいいのは私のほうじゃないかなと思うのだが、悲しいかな、どうもこういうときに黙って次へ進んでしまう体質に生まれついている。

これはあくまで私サイドからのストーリーだから、「そんなこと言ってミムラさんがいい気になって引っかき回したんでしょう」と言われてしまえば、反証はできない。それでも、
「あるある」
とうなずいてくださっている読者もきっとおられると思う。
ね、あるでしょう、貴方の職場やご近所でも?

天才女優のライバル同士が演技のうまさを競い合い、演出家が奇抜な演出で観客を驚かせる。そんなところに演劇の本質はない。
むしろそれはひじょうに些末な、と言わないまでも、すべてがうまく行った上にようやく成り立つもので、言ってみればショートケーキに乗っかってるイチゴみたいなものだ。
もちろんイチゴがなくちゃショートケーキじゃないのだが、イチゴだけではショートケーキにならないのもまた厳然たる事実だ。
そこをわかっていただけたら嬉しい。

演劇に必要なのは、役者と、台本と、スタッフと、劇場と――
いや、列挙する必要はない。
こういうすべてを乗り越えて、作品を完成させようとする気もちだ。
それは意志であり、責任感であり、
何よりも、作品への愛だ。

その愛を前にして、人間どうしの好いた好かれたなんぞ、どうでもいい話なんである。


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