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その114 思えば久々の宿場町探訪だね。(天華百剣と都内新選組巡り⑥)

こんにちは。
来週二回目のワクチン接種です。
先に受けた人の経験談を聞きつつそろそろ準備しようかと思います。
どうやら発熱対策よりも食欲増加対策の報告が多く聞くのですが、自分の場合はどうだろうか。
接種前に何を作り置きしておくか悩む今日この頃です。
カレーライスと冷や汁ならどちらがいいだろうか。。。どっちにしろ、作っておかないと動けないだろうしなあ。。。

前回のまとめ。いろいろわかる新事実(個人的に)とお土産。

実は天華百剣のゲームアプ先週のはじめに終わってしまいました。
仕事をしていて最期を看取れなかったのが悔やまれます。いやそれよりも、もっとAR機能を使い倒しておけばよかった。。。

という独り言は置いておき、その数日前に戻ります。

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仕事が早く終わった日に、ふらりと寄り道しました。
埼京線は正直池袋から先に乗ったことがなかったので楽しみでした。板橋駅に着いてから最後の新撰組聖地巡礼が始まります。
正直な話もっと都内の色々な場所に新撰組の史跡はあるのですが、これで最終回としました。

今回はどこに行こうかと考えた結果、二ヶ所にしました。
中山道板橋宿は離れているので、番外編です。しかし、ゴール地点はその宿場町のあるお店で考えてました。

⑯近藤勇の墓 (長曾祢虎徹) 東京都北区滝野川7丁目8−10

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今回の新撰組の史跡の中で一番駅から近い史跡でした。何しろ駅の出口から見えるところにあります。
想像していたものよりも、小さな区画に全てが詰まっている場所でした。

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処刑された近藤勇の遺体がこの区画に埋葬されていたそうです。
ここで話の分岐があり、龍源寺に遺体を運んで供養した説とこのまま遺体を埋葬した説です。
ちなみに後世その遺体を掘り出して調査したそうですが、龍源寺の遺体には子供のころに骨折したあとが確認されたそうなので、龍源寺のほうが近藤勇の可能性が高いそうです。

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この供養塔は明治9年に永倉新八と松本良順により建てられました。
また、永倉新八の遺言によりこの供養塔の近くに分骨され墓がこの隣に建てられています。
供養塔の正面には近藤勇と土方歳三の名前が、横には亡くなった新撰組隊士の名前が彫られてます。
この場所だけは駅前の賑やかさとは対照的で静かな区画でした。

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⑰寿徳寺 (長曾祢虎徹) 東京都北区滝野川4-22-2

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お寺の入口に近藤勇菩提寺の石碑と供養塔の地にもあった近藤勇の肖像の碑が建てられています。
供養塔からは石神井川へ進んだ川の近くにあります。
近藤勇の最期の地、馬捨て場はこのお寺の寺領でした。今の供養塔の区画も境外墓地として管理しています。
処刑の三日後、密かに位牌を作り葬儀を行った際に関わったお寺がこちらだそうです。

その後⑯の供養塔を建てる許可の願書を出したとき、永倉新八が出ると政府ともめる可能性があったため、板橋の高野弥太郎という人が代表に出て願い出ます。その願書に当時の住職が連名で署名しています。
今に至るまで、近藤勇の供養に関わるお寺になっています。供養祭は毎年4月に供養塔の区画で執り行っています。

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さて、これで回り終わったけれど、板橋宿行こうか少し考えていました。
駅から離れたところにあるようなので、悩みましたが行くことにしました。寿徳寺からは、ほぼ2キロの距離です。
目的地へ歩いているときにふと思ったことは、この距離感って昔行った川越宿に似ているなあでした。あのときも歩きながら、なんでこんなに宿場が駅から離れているんだと思っていたことを思い出しました。
ここのあたりは武蔵野台地の地形のせいか、急な坂道と階段をながめて進んでいきます。

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そういえば初めての中山道の宿場です。中山道自体は秋葉原付近を通っているので初めてではありません。その事実を知ったときはびっくりしましたけど。
旧宿場町の通りについてふらふら進んでいきました。目的地は本陣跡向かいの和菓子屋さん。今は商店街になっていますが、道幅といい道沿いの建物もたまに当時の面影の残る雰囲気のいい通りでした。
板橋宿といえば、外れに和宮が遠回りした謂れのある縁切り榎があったなあ、ということで最終地点を変更しました。

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本陣向かいの和菓子屋さんで無事どら焼きを買うことができましたが、新撰組の史跡巡りしていることを聞かれました。どうやらこのどら焼きを買う人は限定されているようです。。。
色々近くの史跡の道順を教えていただいた上、おまけまで頂いてしまいました。ありがとうございました。
そこからさらに先の縁切り榎まで行きました。

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縁切り榎は以前聞いていた不吉なものとは異なり、悪縁を切って良縁を結ぶいい榎だそうです。
樹の生えている区画には小さな神社があり、絵馬は周辺の店で購入してこちらに奉納する仕組みのようでした。おみくじがガチャガチャなのが個人的にツボです。
神社があるのならばとお参りをして、おみくじをガチャしましてこの史跡巡りを締めました。

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色々勉強になることもあった史跡巡りでした。
どの地域の方々も、新撰組の存在を大事に伝えて資料を保存していたことが素晴らしいことですし驚きでもありました。
当時の風景とはもう異なっていますが、また歩き回りたい地域の数々で行って楽しかったことばかりです。

また改めてそれぞれの地域にいってみたいなあと思います。

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