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そして、電話がなりました。(この頃は家電です。スマホはありません。)

「櫻井さん、最終面接に進んでいただきたいです。」


おお!おおおおお!何十社も祈られ続けたからか、喜びが爆発すると思っていましたが、最終のラスボス(この表現は失礼ですね。そもそもラスボスって「敵対」している時点で受かることはないですから。採用活動は仲間探しであって敵探しではありません)改め、社長面接で落ちることもあるんだろうなという恐怖感の方が大きかったです。


最終面接の当日、ここまでの積み重ねを全てなかったことになるのか、ここに入れていただけるのか・・・。緊張しない方が無理です。採用担当者の方に部屋に通していただき、後から社長は入ってこられるというスタイルでした。


「お待たせしました。」と優しそうな顔をしている社長、その横には強面の丁寧部長。「早速始めますね」という部長の言葉から始まったと思います(覚えてないけど。)ただ、部長が「櫻井さん、今日ご自身の何を伝えたいのかをちゃんと考えて話してくださいね」と仰られたのは覚えています。


そこから1時間程度だったと思います。いろいろなことを聞いてくださいました。大学でなんの結果も出すことなく、剣道推薦で入学できた背景にある、高校の恩師の「卒業後に高校教員として戻り、恩師の想いを引き継ぐ」という考えも踏みにじり、逃げるように就職活動をしていることではなく、ただただ「やってきたこと」にのみ焦点を当てていろいろ話を聞いてくださいました。


最後に「弊社が内定出したら来ていただけますか?」という質問をいただき、速攻で「ここしかありませんので本気で行きます。チャンスをください」と懇願したと思います。


社長と部長は笑っていましたね。この笑いが、どっちの笑いかは全く判断できませんが。



ちなみに、次の日に合格の電話がありました。


どう喜んでいいのか全くわかりませんでしたし、「あ、はいありがとうございます」と、電話越しには冷めた反応に聞こえたかもしれません。(後日談ですが「本当に来るのか心配したわ!」と採用担当者にいわれました。)電話を切った後、家には誰もいなかっったので、誰に何をいうこともなく、あ、当時の彼女には電話しました。(今の妻です。)


嬉しかったのですが、喜び方がわからない。決まってしまうとこんなもんなのかもしれないです。


僕は「この業界じゃなければダメだ」とか「この仕事じゃなければやりたくない」がありませんでした。僕を受け入れてくださるのであれば、そこで一から頑張るしかないという感覚だったからです。あ、「この業界じゃなければダメだ」とか「この仕事じゃなければやりたくない」って考え方を否定しているわけではありません。僕にはその考え方がなかったというだけです。


こんな考え方なら、ブラック企業に捕まってた可能性もありますしね。今考えると怖いですが。。。


こんな就職活動をやってわかったこと、そして今の仕事に活かせてることがあります。


続きます。







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