高校時代の経験と大学時代の経験
「私は高校時代の方が頑張っていたと思います。大学時代に頑張っていない私はダメですよね?」「高校時代のことをアピールしたいんですがダメですか」という相談を受けることがあります。「大学時代に頑張ってない」ここが非常に気になるところです。
ちなみにですが、学生時代と限定されていなければ、高校時代のことをアピールしてもいいのですが、それを書いたら書いたで今度は「じゃあ大学では何もしなかったんですか?」って聞かれると・・・みたいな心配が生まれると思うのです。
現在進行形で成長している自らを相手に理解してもらうために、大学時代のことをアピールする考え方、そして高校時代をどうしても使いたい時のアピールの仕方をまとめてみました。
①高校時代の経験「限定価値」と、大学時代の経験「分散価値」
例えば高校時代、本気で部活動にのみ集中して取り組んできた学生さんは、上記のような質問をされます。高校時代の部活動の「時間を占める割合」を確認すると、多くの学生さんは「90%以上」といいます。
一方、大学生活ではお金の都合(大学の体育会は比較的お金がかかります。流石に家庭に負担をかけたくなかったり、奨学金でなんとか大学に進学されている方からすると部活動一本は困難です。)であったり、学業に集中したいという気持ちであったり、多くの人と関わり様々な経験を通じて成長したいなどなど生活が様変わりします。
そうです、こうなると大学生活では高校時代の「時間を占める割合を超える経験」がないということになります。これが「高校時代の方が・・・」という気持ちになる訳です。
高校時代の「部活動90%と学業10%」など、このような極端な割合になることを「限定価値」といいます。ちなみに大学時代の「勉強50%、アルバイト30%、サークル20%」は「分散価値」といいます。(あくまで例えです。高校時代に分散価値を発揮し、大学時代に限定価値を発揮されている方もいらっしゃいます。)
「90%以上の経験がないからダメだ」ではなく、それぞれ分散している訳ですから、あくまで使う時間の割合が減っただけで、その時間の中でどれだけ質を高めて取り組んだのかをアピールすれば大丈夫なのです。(ですから履歴書やESの基本系は「自己PR」「学業」「学外活動」というように分散したアピールをご記入いただくのです。あ、大学時代に限定価値を発揮していましたという学生さんは、別の記事にそれをまとめますので、それをご参考ください)
②頑張った=苦しい、痛みがセットでなければならないという強迫観念を捨てる
好きなことはどれだけ時間をかけても嫌な気持ちになりません。苦しくもありません。でもそれは楽しんでやっているから頑張ったことにはならないと思い込んでいる学生さんが多いこと多いこと・・・。
大丈夫です、そこまで没頭しているのであれば、その中で学んでいることや発揮している能力は絶対にあります。って、苦しい、痛みがセットという考え方捨てるの難しいんですよね。ここは大人(あなたを否定する大人はダメですが)に相談した方がいいと思います。
③高校時代の経験が今の学生生活にどう役立っているのか
高校時代に本気で取り組んでいた部活動は、貴重な経験だったと思います。その貴重な経験、大学時代に直接発揮してなかったとしても、その経験があったからこそ、サークルのあの時に・・・、アルバイトのこういう時に・・・みたいなことってたくさんあるんじゃないでしょうか?
この高校時代の土台経験があったからこそ、大学生活のあらゆる経験に役立っているはずです。こうやって「意味付け」することで、「高校での学びが大学にも応用できる学生さんってことは、これからの人生にも応用してもらえる素晴らしい能力をお持ちなんだな」って評価になります。ここが付け加えられるのであれば、高校時代の経験を書いても「じゃあ大学では?」みたいな無粋な質問をされずに済みます。
生きている限り、皆さんは素晴らしい能力を現在進行形で身に付け発揮しています。限定価値でも分散価値でも、その価値の連鎖が皆さんの人生の歴史なのです。いい経験を積み重ねてください。
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