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【短編小説】笑顔の彼方
「今日調子悪いじゃん。なんかあった?」
ドラムスティックを指先で回しながら、バンド仲間の大智が俺に声を掛けた。
「あー……、うん! まぁ色々あるよな!」
俺はマイクの高さを調節しながら笑って答える。
「その色々を聞いてるんじゃん。あ、あれか! ブラックベジタリアンが活動休止したからか! 奏太、あのバンド好きだもんな!」
大智が、まるで探偵にでもなったかのように推理し、ドラムスティックを俺に向けた。
「そう! そうなんだよ、それにレセプションブラザーズも活動休止するってこの間テレビで言ってたし、精神的に参っちゃってさー」
「そのわりにはいつも通りの笑顔だけどな!」
「しょーがないだろ、こういう顔なんだから」
「まぁ潮田奏太の笑顔は、うちのバンドの魅力のひとつだからな。バンドのためにも早く元気出せよな!」
「なんだよ、その励まし方」
俺達の笑い声が、防音設備の整った空間に響く。
今日は週一回のバンドの練習日。
高校生の時に音楽好きの仲間で集まって組んだバンドを、俺は大学生になった今でも続けている。バンドメンバー五人の大学がバラバラのため、練習はいつもさびれた雑居ビルにあるこの音楽スタジオだ。
それにしても大智はするどい。週一回しか会わないのに俺の調子の悪さに気付くとは。
ブラックベジタリアンもレセプションブラザーズも去年から応援している好きなバンドだ。活動休止は残念だが、俺の不調の原因はそれがメインではない。
間違いなく、高三の時に同じクラスだったあの子が原因なのだ。
「ねぇ! 潮田くんてバンドやってるの?」
ポニーテールの長い髪が俺の目の前をゆらゆら揺れる。
髪から全身へと視線を移すと、クラスメイトの藤島美雨が笑顔で立っていた。窓際の席に座っている俺の視線に合わせようと、上半身を少し折り曲げて俺の顔を覗き込んでいる。
「あぁ、うん」
「わ、やっぱり! 楽器はなに?」
「ベースって知ってる?」
「知ってるよー! 低い音の出るギターだよね!」
「あ、……あぁ、そんな感じ」
最近音楽にハマったのだろうか。そんなふうに思いながら、俺は藤島に笑顔を向けた。
高校に入学して丸二年が経ったが、藤島と同じクラスになったのも話すのも初めてだった。
声をかけられて背中に変な汗をかいている。
女子とは必要なとき以外話さないから緊張しているのかもしれない。
藤島が前の席の椅子を引き出して座った。
「最近ね、わたしの中に空前のバンドブームが来ちゃって」
「バンドブーム?」
「そう! かなりいいよね! ブラックベジタリアンとか、レセプションブラザーズとか!」
藤島は、まるでアイドルにお熱を上げるファンのように、二つのバンドの魅力を話し始めた。
ボーカルくんがかっこいい。ギターの人の弦さばきがすごい。ドラム担当の人のキャラが好き。キーボード奏者の音楽センスが最高。
「へー、あんまり聴いたことないけどそんなにいいの?」
圧倒されながらも尋ねてみると、お説教するかのように諭された。
「潮田くん、それは人生半分損してるよ。もう絶対おススメ! 絶対聴いて!」
「わかった。聴いてみる」
俺が素直に従うと、満足そうな笑顔で、何度も首を上下にふってうなずいた。
その様子に「ヘビメタバンドのファンがやるヘッドバンギングのかわいい版みたいだな」と思っていると、午後の授業が始まるチャイムが鳴り始めた。
「あっチャイム! ねぇ、今度練習見に行っていい?」
「うん」
「やった! 絶対見に行くね! あとで場所教えて!」
そんな捨て台詞を残して、藤島は風のように自分の席へ去っていった。
それ以来、藤島は俺達の練習日には欠かさず見学しに来ていた。
高校のときは第二音楽室が練習場所だった。
俺以外のメンバーには全員彼女がいて、彼女たちも全員見学に来ていたので、藤島は俺の彼女的な立ち位置でみんなから認識されていた。俺は何度も「違うから」と否定したのだけれど。
でも、藤島に勧められたブラックベジタリアンやレセプションブラザーズは俺の好みにドンピシャで、急速にその音楽の虜になった。
藤島と会うたびに、それらのバンドのいいところを競争するかのように語り合って笑った。
音楽の好みが同じである仲間が出来たことが、俺はひたすら嬉しかった。
高校を卒業し大学へ通うようになっても俺達は変わらなかった。
藤島とは通う大学は別々になったけど、練習場所が雑居ビルの音楽スタジオに変わっても、しばらくは高校からの延長のような日々が続いていた。
なのに。
最近急に連絡が来なくなった。なんの前ぶれもなく。
LINEをしても既読スルーされ、練習も見に来なくなった。
藤島の中の空前のバンドブームは終わりを告げてしまったのだろうか。
それとも進学先の大学で彼氏でも出来たのだろうか。
それを思うと、なんだか寂しい気もする。
「じゃあ今から十五分休憩なー!」
バンドの練習が一段落し、俺は飲み物を買うため雑居ビル内の自動販売機のあるフロアに向かった。階段を下りる。
すると、自動販売機の前に見覚えのある長いポニーテールが揺れた。
「藤島?!」
俺の声に気付いた藤島は、こちらを振り返って驚いたような表情を見せたあと、ダッシュで逃げた。
え?
なんで逃げる?!
なんでスタジオのあるこのビルまで来てるのに、練習を見に来ない?!
その謎を解きたくなった俺は藤島を追いかけた。
逃走する彼女のパーカーのフードをひっつかむ。
我ながら色気のない捕まえ方だと思ってイヤになったが、彼女でもないのに手首などをつかむ勇気はない。
「なんで逃げんの?」
息をととのえながら俺が聞くと、藤島はうつむいたまま黙り込んだ。
「せっかくこのビルまで来てるのに、なんで練習見に来ないの? 練習、見に来てくれたんだよね?」
「……み……」
藤島がおびえた顔で俺を見る。
「見に来てませんよー!!」
突然、大声で藤島が叫び出した。大きく首を振って否定している。
「神様! 見てませんからねー!!」
きょろきょろと辺りを見回しながら、天に向かって藤島が叫ぶ。
前々から変わったヤツだと思っていたが、ここまで壊れていたとは。
俺があっけにとられていると、藤島が話しだした。
「……ブラックベジタリアンと、レセプションブラザーズが活動休止になったの……」
「うん、知ってるけど……」
「わたしのせいなの」
一瞬、この世界のすべてが止まったかのように感じた。
「え?」
突拍子もないその言葉に、俺は頭の中が「?」でいっぱいになった。
藤島がうつむいて声を絞り出す。
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