【短編小説】ドッジボール日和
こんな日はドッジボールに限る。
教室の窓から見える青空を、俺はイスに座ったままうらめしく見上げた。
いつでも立ち上がれるように、斜め四十五度の前傾姿勢で次の指示を待つ。
「フルーツバスケット!」
その声に、座っていた俺は立ち上がった。
急いで空いている席を探す。
四十脚のイスが円形に並べられた教室で、クラスメイト全員が右往左往する。
さっきから「A型の人!」だとか「兄弟がいる人!」だとか、イスに座れず鬼となったクラスメイトが円の中心に立って叫んでいる。
その条件に該当する場合、別のイスに移動しなければならないのだ。
フルーツバスケットと呼ばれる、学校でのレクリエーションのひとつだ。いま俺が参加しているのは、どんな条件を出してもいい「なんでもバスケット」という名の進化系バージョンである。
小六の秋頃にやったきりだったので、ルールをすっかり忘れていた。
イスは参加人数よりも一脚少ないから、座れなかったヤツは次の鬼となる。
「フルーツバスケット!」と鬼から指示が出たら、参加者全員が別のイスに移動しなければならない。
クラスメイト全員が自分の席を確保しようと必死になっている。
俺も数人とぶつかりそうになりながら移動し、席を確保することができた。
市内の公立中学に入学したのは四月初めのことだった。
それから二週間が経った今日。
五・六時間目のホームルームで「時間が余ったから」と、急遽教室で「フルーツバスケット」をすることになった。
ゴールデンウィークを前にして、より一層クラスメイトとの親睦を深めるためだそうだ。ちょっと意味が分からない。
「ねぇ。筒井くんて恐竜が好きなの?」
ふいに左どなりのイスから謎の問いかけが飛んできた。
「は?」
声の主を確認すると、俺とは別の小学校出身の女子だった。
長めの腕をのばして両手をひざに置き、顔だけ俺の方へ向けてワクワクしているかのような表情でこちらを見つめている。
俺より背が高く、クラスの中ではリーダー的存在に位置する女子。
そんな印象から、入学して数日で名前を覚えた。小坂七海だ。
「恐竜って、……なんで?」
不信感しか湧き上がってこない質問に、俺は質問で返した。
「佐竹くんが言ってたのよ。
筒井くんの好みのタイプを聞いたら、『あいつが好きなのは“くっしー”だから』って」
俺は目を見開いた。
「クッシーって、90年代に北海道の屈斜路湖にいるっていわれてた未確認生物のことよね? ネッシーみたいな」
ガタンと音を立てて俺が座っていたイスがうしろに倒れた。
思わず立ち上がっていた。
「んー? どうしたー? 筒井ー」
生徒と一緒になってフルーツバスケットに参加している担任が、笑顔で声をかけてくる。
クラスの親睦が深まっている様子を確認できて心底嬉しそうだ。
フルーツバスケットに全力を注いでいるからかとても暑そうで、いつもはきちんとしめられているネクタイが今は少しゆるんでいる。
俺はクラスメイト全員の視線を感じて、イスを起こして座り直した。
「……なんでも、ないです……」
俺が座ると、またも小坂が不思議そうにこちらを覗き込んできた。
「なんでそんなに照れる必要があるのよ。恐竜でしょ?」
「……まぁ、そうだけど」
顔を赤くしている俺に気付いて、なにかを感じ取っている様子の小坂。
女子に言えるわけがない。
くっしーが恐竜じゃなくて人間だなんて。
人間の女子だなんて。
「だいたい、なんで小坂がそんなこと佐竹に聞いてるんだよ」
そもそもそこからおかしいのだ。
しゃべったこともない人間の好みのタイプを、なぜ知りたいと思うのか。
「わたし、このクラスの恋愛カウンセラーなの」
「はぁ?」
わけの分からないことだらけだ。
中学校ってそういう所なのだろうか。
「筒井くんて、ひそかに女子に人気あるんだよ。
小柄だし、硬派で俺様なところがあるみたいだけど、見た目イケメンの部類だし。
ほら見て。さっきから女子がチラチラこっち見てるの気付かない?」
小柄と俺様は余計だ。
そう思いながら周りのイスを見渡すと、俺を見てとなりの友達とこそこそ話している女子が数人見受けられた。
「筒井くんに認識してもらおうとみんな必死よ。
だからみんなから筒井くん情報が知りたいと相談受けちゃってさ。
これから色々聞くからよろしくね」
小坂が笑った。
恋愛カウンセラーというより、芸能レポーターに近いんじゃないのか。
担任には悪いが、親睦を深めたところで俺は正直よろしくしたくない。
「あっ、言っとくけど、わたしは女子から頼まれて筒井くん情報を聞き出してるだけだから。わたしは筒井くんに興味ないから安心してね」
わざわざ言わなくてもいいことまで言う。
もやもやした気分でいると、円の中心にいた鬼が叫んだ。
「五月生まれの人!」
「安心できるか!」
そう言い残して俺は席を立ち、別のイスへと走った。
「あっ、小坂から聞かれた?」
学習塾からの帰り道、ひゃっひゃっひゃっと笑いながら、佐竹が俺の背中をバンバン叩いた。その音が夜九時の静まりかえった住宅街に響く。
佐竹は小学校からのドッジボール仲間だ。
小六のとき、俺は一組、佐竹は二組で、それぞれドッジボールではクラスの大将だった。
だから休み時間や放課後、クラス対抗戦と銘打って一緒にドッジボールをして遊んだ仲だ。
そんな俺達が、中一になってクラスメイトとなった。
小学生の頃はドッジボール上は敵だったが、中学で同じクラスになってみると気が合った。偶然は重なり、通う塾も同じだということがわかって、こうして塾からの帰り道を共にしている。
人生、どこでどんな縁に化けるか分からないものだ。
「いいよなぁ、モテて」
佐竹がゆがんだ笑顔で俺を冷やかす。
「やめろ。そういう話題はゾワゾワする。考えたくない」
眉間にシワを寄せて、気持ち悪いという感じが全面に出ているだろうと思われる表情で訴えた。
「いいじゃん、いつまでもくっしーのこと想っててもしょーがないじゃん。失恋には新しい恋だよ」
「おまえは女子か!」
『くっしー』というのは、小六の時にクラスメイトだった女子だ。
久嶋美里という名前で、一部のクラスメイトから『くっしー』と呼ばれていた。
休み時間には女子とつるむことなく、俺達男子に混ざってドッジボールに興じる活発な女だった。
誰にも媚びない自由奔放さが、男子にも女子にも受け入れられていた珍しい奴だった。
それでいうと、ヤツはネッシーと同じく「未確認生物」の一種なのかもしれない。
その『くっしー』は小学校卒業と同時に私立の名門女子校である彩成女学院に進学してしまい、それっきりとなった。
「だいたい、いつ俺がくっしーのこと好きだって言ったよ。
あいつは男友達と一緒の扱いなんだけど。
失恋した覚えは一ミリもないんだけど!」
俺が不服そうに口をとがらせると、佐竹がニヤリと笑った。
「いやいや。卒業式のあとのおまえは失恋したヤツの顔してたから」
腑に落ちないまま、俺は遠くの夜空に浮かぶ月を眺めた。
小学校卒業の日、俺達卒業生は全員、進学先の中学校の制服を身につけて卒業式に臨んだ。制服のない中学に進学するヤツはジャケットを羽織ったりして、それぞれ小綺麗な格好をしていた。
彩成女学院の深緑色のセーラー服に身を包んだくっしーは、これまでドッジボールを一緒にしていたガサツな女子ではなく、凛とした雰囲気をまとったかっこいい女子としてその日登場した。
一夜にしてガラリと変わったその雰囲気に俺は戸惑った。そしてつい言ってしまったのだ。
「今日って仮装大会だっけ?」
サバサバした性格のくっしーは、俺達男子への返答も慣れたものだった。
「わたし優勝でしょ?」
その笑顔はいつものくっしーだった。
なにごともなかったかのように俺も一緒に笑った。けれど、そのあと妙に心が痛んで後悔したのだ。
なんで仮装大会なんて言ってしまったんだろう、と。
小学生だった俺もくっしーも、スマホやパソコンなどといった通信手段は持っていなかった。
せめてどの辺りに住んでいるのかだけでも知りたいと思っていたが、女子であるくっしーには訊けなかった。だから、その後連絡すらとれず卒業式以来会っていない。
だが、常にくっしーのことを思い出す。
これはなんなんだと自問自答しながら、中学へのレベル移行期間である春休みは終わりを告げた。
「もうすぐゴールデンウィークじゃない?
筒井くん、ヒマでしょ?」
他人のヒマさ加減を決めつけてくるこの恋愛カウンセラーをなんとかしてほしい。
昼休み、教室でウトウトしていたところへ小坂がやってきた。
俺の机の横に立ち、笑顔で見下ろしている。
「ゴールデンウィークの五月三日! 『水と空のフェスティバル』があるでしょ? みんなで行こうよ!」
『水と空のフェスティバル』とは、ここ水空市で毎年五月に行われる春のお祭りだ。
ゆるキャラの「水空ちゃん」が水空市長と一緒に市内の中心地を練り歩き、ブラスバンドが演奏しながらパレードをする。
駅前のメイン会場から一キロほど歩いた所にある水空城の築城を祝うお祭りだから、歴史上の人物に仮装した地元の人々も大名行列のようにパレードに参加する。昼間から夕方くらいまでは、ところどころにたこ焼きやヨーヨー釣りなどの屋台も出る。中学生にも参加しやすいお祭りだ。
「えー? めんどい。せっかくその日は部活も塾も休みなんだから寝て過ごしたい」
俺は眠たさに耐えきれず、机に置いた腕の中に顔をうずめた。
「いいじゃん、親睦深めようよー」
「担任か!」
思わず顔を上げてツッコんでしまった。
漫才コンビのようなやり取りに、俺は不思議さを感じた。
フルーツバスケット以来、何日か過ごしていて分かったのだが、他の女子だとなんだかモジモジされて会話が弾まないのだが、この恋愛カウンセラーとは会話がポンポン進むのだ。自然にツッコミが浮かんでくる。
「おっ、いいじゃん、俺行く行くー!」
佐竹が話に入ってきた。
「ほら、佐竹くんノリノリじゃん! 筒井くんも行こ! ていうか筒井くんが来なかったらこの企画は白紙になるんだよー」
どうせまた、女子が俺を呼んで来いとか小坂に言ったんだろう。
なんか呆れる。
くだらない。
「なんで勝手に決めるんだよ。知らないからな、俺は」
再び机に伏せて目を閉じると、佐竹が耳元でささやいた。
「くっしーも来るかもしんねーじゃん」
俺は伏せたまま目を開けた。
たしかに。
引っ越しでもしていない限り同じ市内に住んでいるんだから『水と空のフェスティバル』に来てもおかしくない。
俺は顔を上げた。
「……行く」
「えっ、ほんと?! やったー! みんなー! 行くってー!」
小坂が女子達に報告しに行く。歓喜する女子達。
佐竹が俺を見てニヤリとした。
「やっぱりな」
「うるせー」
俺は再び顔を伏せた。
『水と空のフェスティバル』は、水空市の中心地である水空駅周辺で開催される。
駅周辺には緑豊かな公園広場があり、草野球に使える野球場や、誰でも気軽に遊べる運動場が三つ併設されている。
その広大な土地がフェスティバルのメイン会場となっており、今年も大きなステージやたくさんのテントが設置されているらしい。
そこから電車で一駅となりの町に住む俺と佐竹は、快晴の中、汗だくになりながら自転車で会場入りした。
自転車を駐輪場にあずけて待ち合わせ場所へ向かう。
すると、俺達とは別の町に住む小坂と、お嬢様風のおとなしそうな女子と、メガネをかけた個性的な雰囲気の女子が待ち構えていた。
「おぅ、お待たせ」
待ち合わせ場所に到着した俺が挨拶すると、女子達が興奮気味にそわそわしだした。やっぱりこういうのは慣れない。
「へー、いいじゃん私服ー」
小坂が俺を眺めて品定めをしだした。
そうだった。
別の小学校から来たヤツは私服姿を見たことがない。
すっかり忘れていた。
ジロジロ見られて逃げたくなった俺は「そんなこといいから行くぞ」とみんなを引き連れて街中へと歩きだした。
駅前のメイン会場を出て水空城へ向かう。
今日、水空城では城攻略の謎解きイベントが開催されているのだ。それに参加する。
城へと続く古い町並みは、石畳の道路が伸びて左右に町家が並んでいる。ここだけ過去にタイムスリップしたかのようだ。
建物のない道路脇には屋台がいくつも立ち並んでいた。老若男女が綿菓子に焼きそばにと群がっている。
俺達も食べたいものをそれぞれ買い込み、ほおばりながら城へと続く道をぶらぶら歩く。
「あ、あの……筒井くん」
普段話したことのないお嬢様風の女子が恥ずかしそうに声をかけてきた。
「あの……好きな女優さんとか、いる?」
「女優……」
俺は考えた。
「いないけど?」
「そ、そう……ありがとう……」
「うん」
会話が終わってしまった。
「あっ、俺は橋本環奈が好き!」
佐竹が割って入った。
「あ! かわいいよねー!」
メガネをかけた女子が食いついた。
この場合の模範解答は橋本環奈だったらしい。
佐竹と女子達が盛り上がっている。
佐竹すごい。
俺は感心してその様子を眺めた。
「誰か一人くらいいるでしょうよ」
小坂のツッコミが入った。あきれたような顔をしている。
「いねーよ! ていうか知らねーんだよ、普段テレビ見ないから」
「女優でいなければ、お笑い芸人でもスポーツ選手でもなんでもいいのよ。会話しようよー」
どこまで親睦を深めたら許されるのだろうか。ちょっと疲れてきた。
「あれー、つっつー?」
小学生の時に呼ばれていたニックネームが前から聞こえた。
声の主は、小六の時に同じクラスだったドッジボール仲間の大山と榎本だった。
「なになにー? 女子と来てんの?」
「うらやましーヤツ! あっ、俺達もご一緒していいっすか?」
二人は中学では俺と違うクラスになったが、どさくさに紛れて一緒にいた女子達に同行の許可をとった。どいつもこいつも積極的だ。
「俺達はこれから謎解きに城へ行くけど、前から来たってことはおまえらは謎解きしてきたんじゃないのかよ?」
「まぁまぁ、固いこと言わずにさ」
榎本がまるで上司にゴマをする平社員かのように俺の両肩をもんで笑った。
終えたばかりの謎解きをもう一回するのは楽しめないのではないかと気遣ったつもりだったが、そういうことではないらしい。
大山も榎本も佐竹も、歩きながら女子達と楽しそうに話している。
服装も髪型も、それなりに女子受けしそうな流行りを取り入れているようだ。
けれどそれと引き換えに、三人とも中学に入ってからドッジボールの「ド」の字も言わなくなった。
ドッジボールという言葉がまるで死語にでもなったかのようだ。
それが大人になるということなのだろうか。
俺は一抹の寂しさを感じた。
「あっ、そういえばさっき、くっしー見たぜ!」
大山の発した言葉に、俺は思わず「えっ」と反応した。
小坂がこちらを見る。
「くっしー、彩成女学院の高等部の先輩に混ざって、パレードのブラスバンドでシンバルたたいてた」
「シンバル?!」
吹奏楽部にでも入ったのだろうか。
「もうすぐここ通るんじゃね? パレードのブラスバンド、さっき水空城にいて、このあとメイン会場にパレードしながら戻るみたいだったから」
榎本の提供する情報に耳を傾けていると、吹き抜けた風にからまって楽器の音が聞こえてきた。
パレードが来る。
くっしーがいるかもしれない。
俺は立ちすくんで動けなくなっていた。
「あっ、ほら! 来た来た!」
先頭に『水空市×彩成女学院 水と空のパレード』と書かれた横断幕をかかげた女子の団体が、音楽と共にこちらに向かってくる。
横断幕に続くカラーガード隊が、リズムに乗って大きな旗をくるくると回しながら沿道の市民に笑顔をふりまいている。
屋台に群がっていた見物客達は、パレードが通れるように道を空けた。
観客に手を振りながら歩く、ゆるキャラの水空ちゃんと市長。
その後ろに楽器隊が続いている。
俺は気持ちが落ち着かなくなってきた。
顔がこわばっているのが自分でもわかる。
さっきからずっと俺を見ている小坂には、この緊張が伝わっているはずだ。
こっちを見ないでほしい。
どこかで聞いたような行進曲を響かせながら、俺達の前をブラスバンドが通り過ぎていく。
「あっ、いたいた! くっしー!」
大山が声をあげた。
四列で歩くブラスバンドの内側の列にいたショートカットの女子が大山の声に反応する。
卒業式の日に見た、あの深緑色のセーラー服を着ている。
笑った。
そして俺に気がついた。
「あっ! つっつ!!」
うれしそうに、くっしーがシンバルを持った右手を上げる。
そのままサルみたいに下の歯が見えるように突き出して変顔をした。
俺も反射的にサルの表情で変顔を返す。
すると、くっしーのとなりにいた高等部の制服を着た先輩が「こらっ」と大太鼓の丸いバチで、くっしーの尻をなぐった。
「いたっ! ひどいよ先輩~」
「もう! ちゃんと前見て歩く!」
叱られながらくっしーは通り過ぎていった。
市民の仮装行列がブラスバンドのあとに続いて、パレードはメイン会場の方へ歩みを進めていった。
大山と榎本に佐竹が加わってゲラゲラ笑っている。
「くっしー、全然変わんねー!」
「美人の先輩からケツ殴られてたよ!」
「シンバル! ぴったりじゃん! サルのおもちゃ思い出した!」
笑い転げる男子三人を、女子達が不思議そうに見ている。
俺は放心状態でパレードの列が去っていくのを見ていた。
卒業式以来会っていなかったくっしーに会えたのだ。
「筒井くんが変顔するなんてびっくり……」
「でも変顔もかっこよかった~」
女子がこそこそと話す声がうしろから聞こえた。
「さぁ、爆笑したところで城を攻略しに行くぞー!」
佐竹が先頭をきって歩きだす。みんなもそれに続いた。
後ろ髪をひかれる思いだったが、俺もそれに続いて一歩踏み出した。するとうしろから声がした。
「わたしは背中押したりとかしないよ」
小坂だった。
俺がふりかえると、溶けたかき氷のカップをストローでくるくるとかき回し、最後にストローの穴をこちらに向けてそこから俺をのぞいた。
「告るなら告る、告らないなら告らない。自分で決めてね。こういう時に、わたしが安っぽい青春ドラマみたいにまんまと背中を押すと思わないでほしい」
俺は、自分が背中を押されないと告白もできない奴だと言われている気がしてムッとした。
「そんなこと、言われなくても自分で決められる」
「ふーん」
小坂がストローをかき氷のカップに戻した。
「じゃあ今日は言わずにスルーするということなのね」
佐竹と女子達はもうずいぶん先を歩いており、見えなくなりそうだった。
分かってはいたけど、小坂にはすべてお見通しのようだ。あきらめの眼差しを俺は小坂に向けた。
正直、俺の小学生時代の思い出に、何も知らないヤツが軽々しく入り込んできてほしくなかった。
だから「これ以上近寄るな」とバリアを張るかのように俺は続けた。
「くっしーは俺なんか眼中にないよ。小六の時はよく一緒に遊んだけど、俺はからかったり憎まれ口をたたいたりするだけの、その他大勢の男子の一人でしかない。俺が変なこと言ってアイツを困らせるくらいなら、友達のままでいい」
道端のたこ焼き屋のおやじが、忙しなくピックでたこ焼きをひっくり返している。なんでよく知らないクラスメイトにこんな話をしているんだと恥ずかしくなり、俺は小坂から視線を外していた。
小坂は俺の話を静かに聞いていたが、ひとことつぶやいた。
「わたし達は、その友達にさえもまだなれてないんだよ」
鉄板のたこ焼きから湯気が出ている様子を見ていた俺は、小坂に視線を戻した。気のせいかもしれないが、小坂の表情がこころなしか寂しそうに見えた。
「わたし達もね、筒井くんと友達になりたいんだよ」
今度は小坂がたこ焼き屋の鉄板を見つめた。
「わたし中学に入ってさ、このクラスになって色んなクラスメイトと仲良くなれたけど、フルーツバスケットしてても、休み時間に話してても、筒井くんていつも『心ここにあらず』だなって思ってた。でも今日、原因がすべてわかったよ」
小坂がパレードの去った方向を見た。
「筒井くんがこのままずっとそんなモヤモヤを抱えてたら、わたし達は入り込む隙がないよ。友達にさえもなれないよ。
今日来てるあの子達だって、いずれは筒井くんに告りたいとか思ってるかもしれないけど、今はとりあえずいっぱいしゃべったり遊んだりして、まずは友達になりたいんだよ」
城に向かう、小さくなった女子達の後ろ姿を小坂が見つめた。
俺もその視線を追って黙り込む。
「筒井くんは指図されるのは好きじゃないだろうから、わたしも何も言わない。告るも告らないも筒井くんの自由だよ」
ようやく小坂が俺を見た。そのまなざしは、決して面白がって茶化しているわけではなく真剣だった。
「さぁ、そろそろわたしもみんなを追いかけようかな」
ひとつ伸びをして、小坂も佐竹達の去った方向へ歩き出した。
俺はその背中をただ見つめていた。
俺以外の人や物事だけが形を変えて動いているようだった。
思えば小学校を卒業してから、俺だけ時間が止まっているようだった。
このまま俺は、気持ちだけ小学生で止まったまま大人になっていくのだろうか?
気が遠くなる。
けれども、今日ならなにかを変えることができるのかもしれない。
遠くからやってきた風が、俺の身体も気持ちもすべてほうきで一掃するかのように音楽の聞こえる方向へと吹いた。
十秒後。
俺はクラスメイト達が去ったのとは逆の、メイン会場の方向へ一歩踏み出した。
なんでこんな展開になっているのかと半分腑に落ちないまま、パレードを追いかけて俺は走っていた。
負け戦なのは分かっている。
小学生の時、クラスメイトの中でもしょっちゅうちょっかいをかけたり、からかったりしていただけの俺を、くっしーが恋愛対象に思っているはずがない。
というよりも、平気で変顔を披露するくっしーのことだ。そもそも色恋沙汰に興味がなさそうである。
そんな状態で伝わるのか。
パレードの最後尾が見えた。
走るスピードを落として、仮装行列のうしろを歩く。
ここからはくっしーの姿は見えない。けれどシンバルの音は一定の間隔で聞こえた。
このまままっすぐ進むとメイン会場に到着する。くっしーを捕まえるならそこしかない。
何を話すのか、歩きながら考える。
元気だったか?
吹奏楽部に入ったのか?
女子校楽しいか?
彼氏とかできたか?
……俺のこと、どう思う?
急に吐きそうになった。
後半になるほど言えないセリフばかりだ。
じゃあいったい何を伝えるのか。
今、俺がくっしーに伝えるべきことは何なのだろうか。
暗礁に乗り上げてしまったとき、パレードがメイン会場の入り口に到着した。
メイン会場は、ステージの前を中心に見物客でごった返していた。
「彩女の生徒さんはこのあとステージで演奏です! 一般参加の方はパレードについていかずにこの場所でお待ちください!」
会場の係員の声が聞こえ、うしろについて歩いていた俺は立ち止まった。
けれどここで立ち止まったら、もうくっしーを捕まえることはできない。
人混みの中を、くっしーがいるであろう打楽器の辺りめがけて突き進む。
深緑の女子中高生の波の中、シンバルを抱えた女子を見つけた。
「くっしー!」
伸ばした手に気づいて、彼女は振り返り笑った。
「久しぶりじゃん、つっつー! 元気だった?」
制服のせいか前よりも大人びて見えたが、笑った顔も、醸し出す雰囲気も、くっしーは小学生の頃と変わっていなかった。
「おぅ、元気」
まっすぐにくっしーを見ることができず、俺は挙動不審に視線を動かしながら答えた。
「吹奏楽部に入ったのか?」
「まぁね。本当はもっと違う楽器を希望してたんだけどさ」
「違う楽器?」
俺の問いかけに、くっしーは「ちょっと持ってて」とシンバルを俺にあずけた。
そして両手を顔の右側に持ってきて指をピラピラと動かし、横笛を演奏しているかのような動作をした。
「フルート?」
「そう!」
見事に正解を導きだしたことに、くっしーは喜んだ。その様子を見ながら、俺はシンバルを返した。
「お嬢様っぽい女子ならこれしかないでしょと思ってフルートを希望したけど、わたしにはこっちがピッタリだって部員全員に言われてパーカッションになったの」
受け取ったシンバルをチラッと持ち上げてガッカリした表情を見せた。
「まぁ、そっちの方が断然似合ってるもんな! そういうサルのおもちゃあるもんな!」
俺は笑いながらツッこんだ。
「あぁ、あるある! こういうやつでしょ?」
くっしーはサルの顔真似をしながら、持っていたシンバルを何度も鳴らす動きをして豪快に笑った。
「すっげー、そっくり!」
俺もそれを見て笑っていたが、今日はこの方向に行ってはいけないことを思い出した。
これだと小学生の時の会話と変わらないじゃないか。
違う、今日俺が言いたいのはこんなふざけたことではなくて……
軌道修正できないかと必死で考えるが、何をどこから言うべきなのかが決められない。
その時遠くから声が聞こえた。
「久嶋ー、そろそろステージの準備するよー! 楽器運ぶから来てー!」
さっき、くっしーが尻を殴られた大太鼓の先輩だった。
「ごめん、行くわ。今日は高等部の先輩と合同参加だから行かないとまた怒られる」
「ケツなぐられてたもんな」
「そうなんだよ! 女学院の乙女がやることかって思うよね」
「くっしーがふざけてるからだろ」
「あ、そっか」
くっしーが笑った。そして他の吹奏楽部員達がいる方向を見た。
結局、俺は何も言えないまま取り残されることになりそうだ。
それが表情に出ていたのか、くっしーがひとこと言った。
「またやろうよ、ドッジ」
俺はくっしーを見た。
中学生になってから死語になっていた「ドッジボール」という単語。
学校も異なり、お互い部活もあるし、取り巻く環境も変わってドッジボールをする時間などないだろう。
それでも、ドッジをしようと言ってくれたくっしーに、俺は目頭が熱くなった。ただの社交辞令だとしてもうれしかった。
まともにくっしーを見ることができないまま、俺は「おぅ」とだけ伝えた。
「じゃあね!」
そう言ったかと思うと、くっしーはシンバル付きの右手を俺に向けて上げ、吹奏楽部員達のいる方へ走り出した。
これでいいのか?
俺は言いたいことを全部伝えたのか?
もしもこれが最後の別れになったとしても後悔はないのか?
くっしーの背中がどんどん小さくなっていく。
「くっしー!!」
俺は思わず声を上げていた。
くっしーが振り返る。
その動きがスローモーションのように感じられた。
時が止まったかのような感覚の中、俺は恥も外聞もかなぐり捨てて叫んだ。
「似合ってるぞ!! 制服!!」
くっしーは一瞬驚いた表情を見せた。
だが、すぐにサルの変顔を見せて去っていった。
くっしーの姿がまったく見えなくなったあと、全身の力が抜ける感覚に襲われた。
体内のすべての細胞が、緊張感から解放されたようだった。
精一杯の告白だった。
今の俺がくっしーに言えるのは、これが精一杯だ。
本来の目的は果たせなかった。
けれど、妙な達成感がそこにはあった。
「あっ! つっつ、きた!」
水空城の敷地に足を踏み入れると佐竹の声がした。
駆け寄る佐竹のうしろには、小坂と女子二人、大山と榎本もいる。
「腹こわしたんだって? なに食ったんだよー」
佐竹が笑いながら俺の背中をバンバンたたいた。
「は?」
「我慢できなくてメイン会場のトイレに戻ってたんだろ?」
どうやら俺は腹をこわしていたようだ。
佐竹のうしろにやってきた小坂がちょっと笑っていた。
小坂だけが知っている俺の事情を、みんなにはふせてくれていたようだ。
あとで根掘り葉掘り聞かれそうだが、小坂には言える範囲のことはすべて話そうと思えた。
意気地なしだと罵られるかもしれないが。
「謎解きは? もう終わった?」
俺が聞くと佐竹が答えた。
「あー、ちょっと予定変わって別のことしてた」
「別のこと?」
俺が首をかしげると、横の方から小さな声がした。
「あの……ちょっといい……かな?」
声の主はお嬢様風の女子だった。
うつむき加減でうしろに手を回して恥ずかしそうにしている。
佐竹と大山と榎本が「がんばれー」「いけいけー」と小声で女子をはやし立てる。
このシチュエーション、俺が想像できる展開は一つしかないのだが、正直恋愛関連は今日はもうお腹いっぱいだ。
これ以上、愛とか恋とかのことを考えると胸やけする。勘弁してほしい。
事情を分かっている小坂が、俺がくっしーにふられることを見越してカウンセリングしたのだろうか。
「あの、これ……」
お嬢様風女子が、うしろに回していた手を正面に持ってきた。
両手で俺に差し出されたのは、屋台で買ったと思われるたこ焼きだった。
だが舟形のトレイに並んだ7個のたこ焼きには、つまようじがこれでもかというほどにたくさん突き刺してある。
「え、これって……」
お嬢様風女子の闇の部分を見てしまったような気がして、俺は戸惑った。
すると、お嬢様風女子がゆっくり顔をあげた。
「お誕生日、おめでとう」
まぶしそうに目を細めて、優しいほほえみを浮かべている。
その横からメガネ女子も現れた。
「おめでとー」
「えっ、俺の誕生日って、なんで?!」
もしかしてこれも小坂の情報によるものなのか?
俺が不思議に思っていると、お嬢様風女子が答えた。
「あ……四月の終わりにホームルームでやった『フルーツバスケット』で知って……。五月生まれの人、って鬼が言った時に移動してたから……」
あぁ……。
そういえばそんなこともあったような気が……。
正直よく覚えていないけれども。
「五月生まれとしか分からなかったから、今日じゃないかもしれないよね! ごめんね! それであの……もしよかったら何日が誕生日なのか教えてほしくて……」
お嬢様風女子の、精一杯勇気を出して話す様子が、くっしーの前での俺と同じように思えた。俺ごときに緊張させているのが申し訳ない。
「あ、五月三十一日……」
俺が答えるとメガネ女子が
「えーっ、まだまだ先じゃーん!」
と頭を抱えた。
「いや、あの……うん、それでもありがとう」
俺は感謝の気持ちを二人に伝えた。
ちょっとほほえみながら。
二人の女子は放心状態のようだったが、お嬢様風女子が急にハッとして言った。
「あっ! わたし、みずがめ座なの! うれしい! ふたご座の響くんと相性いい!」
ひとしきり喜んだかと思うと、すぐ我に返って口をおさえた。
俺はなんとも言えない寒さを感じた。
「待って……相性いいのはめでたいけど、……響くんはやめてもらえる? アイドルみたいでかゆくなるから」
突然下の名前で呼ばれた俺は、恥ずかしさで体を掻きむしる動きをした。
「えー? いいじゃん! あなたは筒井響でしょー? 文句言わないの!」
ずっと横で見ていた小坂が女子達に助け船を出した。
自分が自分でなくなっていくようだ。
これが大人になるということなのだろうか。
ひとつため息をついて俺は言った。
「わかった。それは許可するから、俺からもリクエスト」
「なによ」
小坂が挑戦的に返す。
俺はお嬢様風女子とメガネ女子に向き合った。
「代わりの条件として……名前教えて。仕返しにとんでもないあだ名考えてそれで呼ぶから」
そうなんだ。
俺はこの二人の女子の名前を知らない。
なんて失礼な話だろう、と自分でも思う。
女子二人は笑顔になり、喜んで名前を教えてくれた。
佐竹が「えっ、そこから?!」と驚いている。
「女子に興味なさすぎ!」
「つっつらしいよ」
大山と榎本からも笑いながらバカにされた。
水空城が五月の青空をバックに映えている。
そんな風景を眺めながら、俺たちはつまようじをロウソクに見立てたたこ焼きを一個ずつほおばった。
つまようじは俺の年齢となる十三本刺さっていたようだ。事情を話したところ、気のいいたこ焼き屋のおやじがつまようじをサービスしてくれたらしい。
「腹こわしてたのに食べて大丈夫か?」
佐竹が笑いながら訊いた。
俺は空を見上げる。
「大丈夫。腹こわしてた時のことは俺の中で落ち着いたから」
「なんだそれ。全部出てスッキリしたってことか?」
「食べてる時に言うことかよ!」
俺がツッこんで佐竹が笑う横で、小坂がちょっとほほえんだ。
すべてお見通しだと察した俺は、ほほえむ小坂に、これ以上ない最強のサルの変顔をお見舞いして豪快に笑った。
(了)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?