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【短編小説】市長引退

 カコン!

 庭のししおどしの音が、和室で向かい合うわしと息子の間をするりと通り抜けた。こういった話し合いの場に、ししおどしの音は非常によく合う。

「あのさぁ親父。悪いけど俺、そういうのには興味ないから」

今年四十歳になる息子は、市長の仕事には魅力を感じていないようだ。

居心地悪そうに、わしの前で座布団に座っている。

わしは、八年前にこの街の市長になった。

わしが就任した頃、この街はまだ住民が少なく、そのため学校もスーパーもオフィスもなく非常に不便だった。

だが、わしがこの街の市長になってから、まずは農業を盛り上げた。それによって得た収入で住宅を建て、住民のために学校や病院などを作った。すると人口はどんどん増え、いまでは大きな遊園地もある華やかな栄えた街となった。

だが、わしも来月七十歳の誕生日を迎える。

そろそろ市長引退を考えているのだ。

今日はその話をしようと、一人息子をわしの部屋へ呼んだ。

「俺は俺でやりたいことがあるからさ。難しいよ」

息子がそう言うのも無理はない。

なぜなら、息子は子供の頃からの夢だったレストランの店長になり、毎日忙しくしているからだ。

「そこをなんとか考えてくれんか? わしの地盤はお前に譲りたいんじゃ」

 わしも後継者獲得のために必死で説得する。

「だってさぁ、俺も毎日手が離せないし……それに……」

息子がわしに怪訝な顔を向ける。

「だいたいそんなこと、出来んの?」

困ったように息子が言った。

「お前の力をもってすれば出来るじゃろう」

 息子ならきっとできるに違いない。わしはそう信じていた。

「俺にはよくわからないよ、こういうのは」

 親バカに聞こえるかもしれんが、息子は子供の頃から「やればできる子」だった。成績は平凡だったが、勉強にも部活にも必死で取り組む子供だった。そんな息子にできないわけがない。そう思っている。

「こういうのは、あいつに聞いたほうがいいかもなぁ」
「……あいつ?」

首を傾げたわしに「ちょっと待ってて」との言葉を残して、息子は立ち上がり和室を出ていった。

カコン!

またひとつ、ししおどしの音が響いた。

そういえば駅前に建設していたコンサートホールがそろそろ完成する頃だ。

様子を見に行かないと。農地では米が収穫できるかもしれない。収穫しに行かないと。

忙しい市長職への思いを巡らせてわしが庭を眺めていると、息子が戻ってきた。

「あー、無理だね」

息子に連れられてわしの部屋にやってきた孫が、あっさりと言い放った。

「親父、やっぱり俺には無理だってさ。あきらめるしかないよ」

 息子もわしを説得するかのように言う。

「そんなわけないじゃろう! できるはずじゃろう!」

わしは孫にすがった。

「いや、無理だよ。

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