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さくさく文庫②~市長引退~

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2023年6月に2冊目のKindle本を出版しました。短編小説集「さくさく文庫②市長引退」です。 その本に掲載した短編小説と関連記事を集めました。小説はどれも途中まで無料で読めま…
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#ショートショート

【短編小説】市長引退

 カコン!  庭のししおどしの音が、和室で向かい合うわしと息子の間をするりと通り抜けた。こういった話し合いの場に、ししおどしの音は非常によく合う。 「あのさぁ親父。悪いけど俺、そういうのには興味ないから」 今年四十歳になる息子は、市長の仕事には魅力を感じていないようだ。 居心地悪そうに、わしの前で座布団に座っている。 わしは、八年前にこの街の市長になった。 わしが就任した頃、この街はまだ住民が少なく、そのため学校もスーパーもオフィスもなく非常に不便だった。 だが

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【短編小説】一流女優のわがまま

「ちょっと待ってよ、それ本気?」 彼女の声に気づいたわたしは、顔をあげて振り向いた。 振り向いた先には、両腕を組み、左足に体重をかけた姿勢で気だるそうにこちらを見下ろしている彼女がいた。 ワンピースの上に袖をまくったジャケットを羽織り、かかとの高いハイヒールを履いてわたしをにらみつけている。 「あたし、こんなところで演技できない。なんなの、この手を抜いたようなセットは! もうちょっと都会のオフィスっぽくできないの?」 彼女は女優だ。 今回、わたしが指揮をとっている

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【短編小説】天敵届

月曜日の市役所は、大勢の市民でごった返していた。 特に混み合っているのは「生活環境課・人間関係担当」の窓口だ。 それもそのはず、先週金曜日のニュースで人間関係担当大臣という人が「月曜日から天敵届の運用を開始する」と発表したのだ。 「天敵届」とは、どうにも気が合わない、顔を合わせればもめごとが起こる、といった間柄のふたりが提出する届だ。 これを提出すると、たとえば引っ越そうと思ったときに天敵の住んでいる街を市役所で教えてもらうことができるため、その場所を避けて住む街を探

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【短編小説】三者面談

「やっぱりなぁ、須藤。お前は大学進学した方がいいんじゃないかと先生は思うんだ」 須藤はうつむいたまま、机の一点をみつめて固まってしまった。 この須藤涼太という生徒ときちんと話すのは初めてだ。 私は今年度、高校二年生のクラス担任となった。 来年度に大学受験を迎える高二の春のこの時期に、受け持つクラスの生徒全員と、放課後を利用して二者面談を進めている。だが、須藤との話し合いは平行線をたどっていた。 「先生、俺どうしてもトリマーになりたいんです」  須藤がはっきりと宣言

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【短編小説】誕生日

今日はあなたの誕生日パーティー。 あなたのために、こうしてたくさんの仲間が集まってくれた。 いま、あなたはみんなの話を聞きながら、その中心で美味しそうに赤ワインを飲んでいる。今日は本命の彼もいるから、あなたはより一層笑顔に見える。 本命の彼はあなたより少し年上で、普段は遠い場所で暮らしている。 離ればなれの寂しさで涙を流すあなたを、わたしはいつもなぐさめてきた。 本命の彼はいい人だ。 だから、彼が遠くにいく前に「彼女が寂しい時、寄り添ってあげてほしい」と頼まれ、わ

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