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【短編小説】天敵届

月曜日の市役所は、大勢の市民でごった返していた。

特に混み合っているのは「生活環境課・人間関係担当」の窓口だ。

それもそのはず、先週金曜日のニュースで人間関係担当大臣という人が「月曜日から天敵届の運用を開始する」と発表したのだ。

「天敵届」とは、どうにも気が合わない、顔を合わせればもめごとが起こる、といった間柄のふたりが提出する届だ。

これを提出すると、たとえば引っ越そうと思ったときに天敵の住んでいる街を市役所で教えてもらうことができるため、その場所を避けて住む街を探すことができる。

 要するに、さまざまな場面で離ればなれになることができるのだ。

婚姻届に比べると、なんて後ろ向きな届なんだろうと思うが、これ一枚提出することで毎日が心穏やかに過ごせるのならお安いものだ。

ただしこの届にはルールがある。

必ず当事者ふたりが一緒に届を提出しにこないとならないのだ。

だから今、わたしのとなりには天敵の油原がいる。

「ちょっと清水! なんでこんな日を選んだのよ!」

油原がストレートの長い髪を手櫛でととのえながら、わたしに文句を言っている。

「あの風はなんなの?! おかげで髪がぐちゃぐちゃになったじゃない!」

市役所までの道中、強風にさらされて髪が乱れた油原が、イライラした様子で言う。

ガラス張りの市役所の外は、台風が来るのではないかと思うほどの風が吹き、木々の枝を揺らしている。

「ほら清水! あんたの欄はやく書いてよ! こっちはヒマじゃないんだからね!」

油原が、天敵届のわたしの記入欄を指差して言う。

「うるさいなぁ。わかってるよ、そんな急かさないでよ」

彼女とは、中学生のときに一人の男子をめぐって取り合いになった。

お互いに足を引っ張り合い、ののしり合い、それはそれは醜い争いだった。

そんな過去があって以来、彼女とは疎遠になっていた。

今は高校は一緒だが別々のクラスなので教室で顔を合わせることはない。

けれど、廊下ですれちがうたびに油原はわたしに睨みをきかせてきた。

すっかり疲れ果てたわたしは、昨日の夜、共通の友達に油原のツイッターを教えてもらい、DMで連絡をとった。

「同じクラスになるのを避けるために天敵届を提出したい」とメッセージを送ると、油原は賛成した。

提出すると、別々のクラスになるように学校が配慮してくれるのだ。

だから今日、学校へ行く前に市役所へ集合した。

わたしたちは届を記入する台に制服姿で並んで立ち、一枚の天敵届の中の、自分が記入すべき箇所をそれぞれ記入していた。

ほかの記入台を見ると、あっちではイヌとサルが、こっちではネコとネズミが睨み合いながらペンを走らせている。

「ねぇねぇ」

油原がわたしを肘でつついてきた。

「イヌとサルってさぁ、もともと仲良かったんじゃないの?」

イヌとサルの方を見ながら油原が小声で言った。

「え、そうなの?」
「だってさ、桃太郎の家来になって一緒に鬼ヶ島まで鬼退治に行ってるんだよ。たぶん泊まりで。一緒に旅行、行ってるじゃん。ワクワクじゃん」

油原がいじわるそうな笑みを浮かべる。

「……そういえばそうだね」

あれは旅行なのか?

そう思いながらも、わたしもいったん同意した。

「旅行中になにかあったのかなぁ」

油原が嬉しそうにニヤニヤしながらつぶやく。

「やめなよ、赤の他人のこと詮索するの」

わたしが顔をくもらせて言うと、油原はさらに晴れやかな顔で言った。

「あっ、もしかしたらさ、桃太郎のことを取り合ったんだったりして!」

超有名な昔話も、油原にかかればワイドショーか芸能スキャンダルのように思える。

「……それ……、うちらと一緒じゃん」

呆れながらも一応ツッコんでおいた。

「絵本にはそこまで書いてなかったもんねー。後日譚みたいなの読みたいよねー」

油原が無神経に笑いながら言う。なんてデリカシーのない女だ。


「よし、書けた!」

わたしは天敵届を両手に持ち、油原に掲げて見せた。けれど、いつも無駄にキレのある反応をする湯原がなにも反応しない。ガラス張りの市役所の外を歩く人々をぼんやり見つめていた。

「油原?」

さっきまでのいじわるそうな笑顔はすっかり消えてなくなっていた。

「……あたしの、どこがダメだったのかな……」

いまにも泣き出しそうな表情でつぶやく油原は、遠くを見つめたまま動かなくなった。

中学の時のあの彼のことを考えているのだろう。
こんな油原は見たことがなかった。

わたしは、とまどいながらも言葉を探す。

「どこがダメとかじゃないよ。たまたま油原があいつの好みに合わなかっただけだよ」

遠くを見ていた油原がわたしを見る。

こうして見ると、小顔にストレートロングのサラサラ髪である油原は美少女だ。

「……清水って……、意外と前向きでビックリした」

油原が不服そうにつぶやいた。

「えっ、なによ。まるでわたしを陰キャみたいに!」

わたしは反射的に嫌悪感を出した。

「え、そうじゃないの? 清水は陰キャなとこがフラレた原因だと思ってたよ」
「違うわ!」

変だ。

なにかが変だ。

なにかがおかしい。

「まぁ、うちら二人ともフラれて、結局あいつは別の子とくっついちゃったしねぇ」
「……そうだよね」

なぜ
「清水にはさぁ、清水にぴったりの彼氏ができるよ」

なぜ、わたしたちは、
「それを言うなら油原だって」

どうして、なぐさめ合っているのか?

外ではげしく木々を揺らしていた風が、今は嘘みたいに止んでいるようだった。

「……ねぇ、これ出す?」

天敵届を持ったまま尋ねるわたしに、油原がちらりとこちらを見たあと、目をそらして言った。

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