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【コラボ小説】ただよふ 7(「澪標」より)


「D大は、地方受験3会場の運営を任せてくれました」
あなたはホテルのラウンジで僕に資料を広げて見せた。

「すごいですね。僕の方は、2大学とも、予算不足で今回は見送りでした」
僕が悔しそうにしているのを見て、あなたは得意そうにしていた。

僕は先ほど思いついたことを切り出した。

「もしお疲れでなければ、せっかく広島に来たのですから、宮島に行ってみませんか?紅葉が見頃だと思います」
「行きたいです!」あなたは前のめりで即答した。

「宮島は初めてなんです!」
そう言っていたあなたは、ライトアップされた厳島神社と大鳥居、その周辺を行き来する遊覧船の雅な美しさに、言葉が出ないほど魅入られていた。

あなたは島に渡るフェリー上からスマホのカメラを構え、夢中で撮影していたが、実物の半分の美しさも収めることができなかったと、がっかりしていた。

「カメラがとらえた映像でしかなくなってしまうんですよね。本当の美しさは、目と心に焼き付けるしかないんです……」
僕の言葉にあなたは力なく笑っていた。

宮島に上陸すると、海沿いに並ぶ明かりの灯された石灯篭が幻想的で美しく、日本人に生まれた幸せが湧きあがってきた。
こんな神聖な場所に、あなたといられることに胸が熱くなり、一瞬、一瞬がかけがえのない時間に思えた。
僕はここにいる時だけは、この瞬間を楽しむことに決めた。

僕は丸くなっている2匹の鹿を見つけ、かがんで優しく撫でた。

「牡蠣は食べられますか?」
僕はあなたの方へ振り返って尋ねた。
「全然大丈夫です」
「よかったです。まずは、お腹を満たしましょう」

僕が案内した店で、生牡蠣と焼牡蠣、焼き穴子、牡蠣ごはんを注文し、2人ともよく食べた。
何度かあなたと食事したけれど、ここまで楽しめたのははじめてだった。
義務とか見栄抜きで、等身大の自分がその時食べたいものをあなたと一緒に味わうのが一番だとようやく僕は気付いたのだった。

紅葉谷公園に上ると、ライトアップされた紅葉が織り成す雅趣に富んだ風景に圧倒された。
赤く染まった紅葉は、残された命を懸命に燃やしているように思え、無性に愛おしかった。
舞い散った葉は、土に還り、次に命を燃やすものの糧となる。

あなたは幻想的な美に誘われるように、もみじ橋の上を歩き、ひらひらと落ちてくる赤いもみじを掌で受け止めた。
その様子を僕は夢中でシャッターを切った。

「すごく綺麗に撮れましたよ」
僕はあなたに撮ったばかりの写真を見せた。
「それ私に送ってください!」
僕があなたに写真を送信したら、「お礼に」と僕が鹿を撫でている写真が送信されてきた。
「いつの間に……」
撮られているとは気付かなかったので、僕は驚いた。

僕の撮った写真の中のあなたは、この上なく幸せそうだった。
いにしえの香を焚き染めた姫君も、あなたのように移ろいゆく季節の一瞬一瞬を楽しんでいたのかもしれないと、思いを馳せた。

「着物をレンタルすればよかったですね……」
「え?」
「着物姿でここを歩くあなたを見たいです」
清らかさを感じさせるあなたの顔立ちには、着物が良く似合うと確信があった。
しかし再びここに来て、着物姿のあなたと橋の上を歩くことが実現するかを考えると、その可能性はないに等しかった。

僕たちは石灯篭の並ぶ海辺に置かれたベンチに落ち着き、対岸の夜景を眺めた。
時折、遊覧船が視界を横切っていった。
少し離れたところで、鹿が一匹丸くなっていた。

「あなたは、北関東出身だと言っていましたね」
「はい、栃木県小山市です。工業団地のはずれに、古くからの農家が点在しているようなところです」
「東京に出てきたのは?」
「大学に入学したときです」
「僕も同じです。実家にはよく帰るんですか?」
「いえ……」
いつもなら軽快に質問に答えてくれるあなたなのに、歯切れの悪い口調になった。

「何か重いものを抱えているようですね」
口ごもるあなたに、僕は「無理に話さなくていいですよ」と優しく言った。

僕が話を聞くことで、あなたの苦しみが少しでも軽くなれば良いと思った。
蓄積していくと、いつの間にか取り返し出来ない程本人を蝕んでしまうのを僕は身をもって知っていたから。

あなたは言葉を選びながら話し出した。

「家族と仲が悪いわけではないんです。虐待とかネグレクトをされたわけでもありません。何不自由なく育てられて、傍から見たら何も問題ないと思います……。贅沢だと言われることはわかっているのですが……」
僕は黙って頷いた。

「私は家族が、私自身が望むような人生を歩めず、家族を失望させてばかりでした。家族から責められたことはありません。それでも、言葉にされない分、彼らの失望や悲しみがひしひしと伝わってきて、自分が情けなくて仕方がないんです」
あなたは苦しげに眉間にシワを寄せた。

「ご家族は、あなたに何を望んでいたんですか?」
僕はあなたの悲しみの原因を、きちんと知りたかった。

「うちは、教員の家系でした。父方の祖父も母方の祖父も校長で、祖母2人も教員でした。両親も教員でした。両親とも地元で一番の進学高校に難なく入り、有名大に進学しました。両親は文武両道で、生徒会長や学級委員などに選ばれるのは当たり前で……。当然のように、私にも同じ水準が期待されました。年老いた母方の曾祖父は、優秀な母を溺愛していて、お母さんのようになれ、お母さんをいじめるなが口癖でした。私もそのつもりでしたが……、私はあまり優秀な遺伝子を受け継がなかったようで、努力しても成績は中の上、運動も得意とは言えない子でした。地元の進学校に落ちてしまい、大学は古いだけが自慢の三流女子大でした。地元で教員や公務員になるのがエリートだと認識している家族は、私の就職先にも失望しています」

僕はあなたが誇りを持って仕事に取り組んでいることを知っているだけに、それがあなたの家族に伝わらないのをもどかしく思った。

夜風が冷たくなり、辺りを通る人もまばらになった。
あなたはトレンチコートの前をきつく合わせた。

「進学高校に落ちたとき、私を可愛がってくれた母方の曾祖父を始め、家族の落胆は言葉にできないほどでした。そのときどんなにショックだったかを、今でも言われるほどです。母方の曾祖父と祖父母に、滑り止めの高校の制服を見せにいったとき、『この家にこんなことがあっていいのかい、何かの間違いだよ』と祖母が泣きだして……。私を直接責めない代わりに、お母さんが気の毒だねとみんなで頻りに言うんです。打ちひしがれている私よりも、母を気の毒に思っていることが刺さりました。私が育った父方の実家は、近所でも一目置かれる家でした。狭い田舎なので、私の学校の同級生の両親には、父の同級生がたくさんいて、私が優秀だと当然のように思っていました。祖父母が近所で散々、父の自慢をしてきたので、私が優秀ではなく、進学校に落ちて、彼らに肩身の狭い思いをさせてしまいました……」

鹿が歩いてきて、僕たちの前で丸くなった。あなたはその背をそっと撫ぜた。

「大学受験の頃には、家族はいろいろなことを諦めていて、『どこでもいいよ……』と悲しみを押し込めた声で言われました……。父と母は、五体満足なのが一番だからねが口癖になり、自分たちを納得させようとしているのがひしひしと伝わってきました。最大限の優しさだと思うのですが、家族の夢を一つ一つ諦めさせていった自分が悲しいです。そんな悲しみが、子供の頃から私のなかにどんどん蓄積されていって……、私のマイナス思考を形成しているんです。それが嫌だと恋人に捨てられたこともありました。仕事が安定してから、いくらか自信がついたのですが、実家に行くと、沈んでいた悲しみが全身に回り始めてしまうんです」

あなたと距離をとっていた頃、志津と飲みに行った時に、僕とあなたを組ませた理由を聞いていた。
『鈴木は仕事が出来るのに、どこか自信を持てないでいるんだ。考え方の似ている航とチームを組むことで、自信をつけさせたいって思ったんだよ。あっ、本人には絶対言うなよ!』
あなたから自信を奪っていたのが家族だとすると、僕にはどうすることも出来なかった。

「すみません。どうでもいい話を長々と……」
僕は大きく首を左右に振った。

「家族から言葉にされたことはなくても、望む通りになれない悲しみは、おりのように蓄積されていくんですよね。僕も父の理想とした頑健な体のスポーツマンにも、船乗りにもなれなかったので、あなたの話が自分のことのように響きました……。父は幼い僕に自分の好きな柔道やサッカーを習わせたのですが、僕は下手で怪我をしてばかりで、父を落胆させ続けました。僕が唯一続けられたスポーツは、父の関心のない弓道でした。僕が物静かで本ばかり読む子になるにつれ、父はそれに比例するように無口になり、仕事に邁進しました。父とは、どちらかが悪いわけではないのに、互いを蝕む悲しみを蓄積させてしまう悲しい関係でした。自分の殻にこもってしまった父が、僕をどう思っているのかを知りたかったけれど、知るのも怖い気がして、そのまま永遠に別れてしまいました……」

あなたとは、アイデンティティ形成の根幹にある悲しみが似ているので、互いに届く言葉を持っているとわかった。

あなたはベンチから立ち上がり、石灯篭の陰で深呼吸して涙を堪え、鼻をすすった。

僕はあなたの背後から、右肩に遠慮がちに手を置いた。
「我慢しなくていいんです……」
僕は背後からあなたの両肩を掴んだ。

あなたの目から堪えていた涙があふれ、僕の胸に顔を埋めた。僕は肩を震わせるあなたを覆いかぶさるように抱き締めた。
こうする事で、あなたの心の傷が少しでも癒えれば良いと願った。
だけど、それは軽率だったと次の瞬間気付かされた。

「好きです……、初めて会ったときから」
あなたは涙だらけの顔を上げ、僕を見つめた。

僕は目を伏せ、あなたの手にハンカチを握らせた。
「今のは聞かなかったことにします。あなたは、かけがえのない仕事のパートナーです」

あなたの想いに答えられない自分が悲しかった。僕だって初めて会った時からあなたの事を好きなのに……。

僕は「そろそろ、フェリーがなくなります」とあなたを促し、乗り場に向かって歩き出した。
あなたは僕から距離をとって歩いてきた。


ビジネスホテルの個室で1人になった僕は、息子の航平に電話をかけた。
「僕は航平に変なプレッシャーとかかけてないかな?」と聞いたら、「そんな事はないよ。父さんは気を使い過ぎだよ。」と言われてしまった。

実咲さん母さんはどうしてる?」
「友達に誘われて、その人の家に泊まってる。」
息子の言うことに一瞬違和感を感じたものの、妻が東京に来てから独りぼっちにならなくて済んでいるのだから良いじゃないかと思い直した。

電話を切った後、僕はベッドに横たわった。
あなたは別の部屋で泣いているに違いなかった。
あなたに笑って欲しくて宮島に誘ったのに、結局は悲しませてしまった。

僕は宮島で撮った写真を眺めた。
「さっきまで、こんなに幸せそうにしてたのに。」
僕は二度とあなたが笑いかけてくれなくなってしまう事を恐れた。

僕は起き上がって、部屋に備え付けられている鏡に自分の姿を映した。
「明日、あなたに家族の事情を話そう。」
僕は覚悟を決めた。


may_citrusさんの原作「澪標」、こちらも併せて読んでいただけると、物語をもっと楽しめます。

※今回は原作6話後半です。

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