見出し画像

【コラボ小説】ただよふ 6 (「澪標」より)


11月5日16時頃。僕は社内でデスクワークをしていた。

「笠原さん、この日付、どういうことですか?」
運営部の柴田さんが、電話を保留にしたまま、営業部の笠原さんのデスクにつかつかと歩いてきて詰問した。

「Y大学に下見に行く日時、11月16日 午前9時とありますよね。先方は、6日、つまり明日のつもりで確認の電話をかけてきているんです」

どうやら笠原さんの手違いで、下見に行く日程にミスがあったようだった。
近くで様子をうかがっているあなたの表情からも、状況の悪さが伝わってきた。

「エクセルフォームに入力するとき、間違えたのかもしれません」蒼白な顔をした彼女は、消え入りそうな声で呟いた。

「とにかく、謝って日程変更してもらうから」柴田さんがデスクに戻り、保留を解除しようとした。

「待ってください。その日は、開学記念日で講義がないから、全教室を見てもらえて都合がいいと指定された日なんです……」

柴田さんは頭を抱えた。「どうしよう、明日は、運営部で空いている人いないんです。広島だし、片手間で行ける距離じゃないですよね……。やっぱり、謝って別の日にしてもらいます」

僕は急いで明日までに広島に着くことが出来るルートを検索した。
僕は立ち上がって、切り出した。
「私が行きます。いま調べましたが、今夜の夜行バスに乗れば、明日の早朝に着けます。他にも広島方面に口説きたい大学があるので、いいタイミングです」

「待てよ。海宝は下見をやったことないだろ?」課長の志津が口を挟んだ。
「私は入試担当を何年もしていました。何とかなります。Y大の仕事は大口です。信頼を失うわけにはいきません」
「うちのやり方があるんだよ。チェック事項が山ほどある」

僕は困って顎に手を当てた。志津は、周囲をざっと見回し、あなたに目を留めた。

「鈴木、行ってくれないか? 海宝はいい機会だから、一緒に行って、覚えてこい」
あなたは即座に了承したが、あなたを避け続けていた僕は正直困惑した。

志津は、柴田さんに、伺う者は替わるが予定通りにと伝えるように頼んだ。

僕は、泣き出しそうな顔をした笠原さんに、「ちょうど、広島方面に口説きたい大学があるから好都合ですよ」と優しく言った。

会社を出る前、志津が「ちょっと来い!」と人気のない場所に僕を引きずっていった。

「お前、最近変だぞ。契約数が増えるのは良いが、チームの和が乱れていることに気づいてないだろ。特に、鈴木への態度だ。何があった!」
志津に問い詰められたが、既婚者の僕があなたへの恋慕について答えるわけにはいかないので押し黙っていた。

「言いたくない…か。鈴木は意外と傷つきやすいところもあるからな。あまり意地を張りすぎてくれるなよ。」
志津は僕の肩を叩いた。

その後、志津と僕はこれからのチームの方針について簡潔に話して、僕はあなたと合流し会社をあとにした。

僕とあなたは、朝7時に広島に着く夜行バスに乗り込んだ。次の日は、午前中にY大の下見を済ませ、午後は3つの大学を訪問し、その夜は広島市内のビジネスホテルに泊ることになった。

僕が2人になるのを避けたかったのを、あなたは感じ取っていたのだろう。バスの座席に落ち着くと、気まずい空気に息が詰まりそうになった。

僕は書類に目を落として努めて事務的な口調で言った。
「明日の午後、あなたはD大に行ってくれませんか? 僕はA大とN大に行ってきます」
「A大は遠いじゃないですか。私が2つ行きます」
「先方と約束した時間と順路を考えると、僕が2つ行くほうが効率がいいです。僕はタフですから大丈夫です。弓道部にいたときから、志津よりずっと体力も集中力もありました。あなたは先にホテルにチェックインしてください」

僕はあなたをこれ以上寄せ付けない態度をとったが、あなたはそこに切り込むように話し出した。
「笠原さんのことですが……」
「ああ、さっき志津と話して、笠原さんには大学関係からは外れていただいて、今までやっていた仕事に専念してもらうことにしました。今までの仕事は、確実にこなしていたようですから。彼女もそのほうが、気が楽でしょう」

僕は、あなたと笠原さんの意思の疎通が上手くいっていないのも気掛かりだった。

「彼女の電話を聞いていると、いまいち押しが弱いというか、投げやりなところが抜けません。いまの仕事が向いていないのでしょう。僕から話をします。あなたは彼女が苦手でしょう」
「すみません。宜しくお願いします」
あなたはほっとした様子だった。

僕は乗車前に買った睡眠薬の箱を取り出した。これ以上あなたとの会話を長引かせたら、閉じていた感情が溢れてきてしまいそうだった。
「明日に備えて、眠っておきましょう。僕はこれを飲みますが、あなたはどうしますか?」
「いただきます」

錠剤シートをぱちんと割ってあなたに渡すと、僕はペットボトルの水で錠剤を飲み込んだ。

スマホのアラームをセットする時、乗車前に家族に送ったグループLINEが既読になっているのを確認した。同時に僕はあなたとの線をこれ以上越えない思いも再確認した。
コンタクトレンズを外し、あなたからできるかぎり体を離すと、腕組みをしてきつく目を閉じた。

隣から白い錠剤をペットボトルのお茶で乱暴に流し込む音が聞こえた。
あなたはなかなか眠れないのか、ときどき姿勢を変えている気配がした。

僕は睡眠薬が効いてきたのと、日頃の蓄積した疲労で、眠りに落ちていった──。

僕はアラームがなる前に目を覚ました。
無理な姿勢で眠っていたせいで、全身が痛かった。

あなたはまだ眠っていた。頬には涙が流れた跡があった。
あなたは僕と同じ錠剤を飲んだのに、僕とは別の夢に落ちているようだった。

『鈴木は意外と傷つきやすいところもあるからな。あまり意地を張りすぎてくれるなよ。』
前日の志津の忠告が頭をよぎった。

僕はあなたの頬にそっと触れ、「泣かせてすいません。」とあなたを起こさないよう囁いた。

広島に着く10分前、僕はあなたを起こした。
バスを降りても、あなたは睡眠薬の影響で頭がぼーっとしているようだった。
僕とあなたはチェーン店のカフェに入った。
あなたは温かい珈琲とサンドイッチをお腹に収めると、徐々に頭が覚醒していった様子だった。

あなたがトイレに行っている間、僕は黒縁眼鏡をかけ、サンドイッチをかじりながら、午後訪問する大学までの行き方をスマホで検索していた。
席に戻ってきたあなたは、会社で見るいつものあなたに仕上がっていた。

約束の20分前に、タクシーでY大に到着した。開学記念日で休講なので、キャンパスは閑散としていた。運動部の掛け声が、遠くから風に乗って流れてきた。あなたは校門をくぐると、キャンパスマップを片手に、立て看板や掲示を出す位置に印をつけ、自動販売機の位置を書き込んだ。入試が行われる棟への導線を確認しながら、外部誘導員に立ってもらう場所を決めた。

大学側の担当者に立ち合ってもらい、入試で使用する10教室をチェックシートに基づいてチェックした。電灯、空調の作動音、マイクの操作方法、張り紙をしてよい壁と使用できる資材、机と椅子の数と配置、遮光カーテンの有無、出入り口の開閉音、エレベーターの音が教室に響かないかなど、チェック項目はたくさんある。最初の教室は、手順を覚えるためにあなたと一緒にチェックしていった。

あなたが可動机を一つ一つ揺らし、揺らぎをチェックしながら、脚の下に入れるフェルトが必要な位置を書き込んでいるのを見て、僕は何をしているのか尋ねた。

「ここは、床自体がへこんでいるので、机の高さを調節しても、別の机に変えても揺らいでしまいます。こういう場合は、調整用の丸いフェルトを入れます。必要な枚数は、登録スタッフさんに渡す配席図に記入して、設営時に対応してもらいます」
あなたはジップロックからフェルトを取り出し、2枚入れて揺れがないことを確認し、チェックシートに枚数を書き入れた。

僕は『うちのやり方があるんだよ』と言った志津の言葉をようやく理解出来た。

次の教室から、僕は積極的に動いて、あなたをサポートした。

教室チェックの終了後、各階の男子トイレと女子トイレの数、障碍者用トイレの位置、混雑時の別棟のトイレへの誘導経路を確かめ、男子トイレを女子トイレに変更する階を担当者と相談して決定した。

「今日はあなたに頼りっぱなしでした……」
最寄り駅まで歩きながら、あなたに言った。
意地を張り続けて、1人で広島に来ていたら途方に暮れていたに違いなかった。

僕の態度が穏やかになったからか、あなたの表情からも曇りがなくなり、流れていた重苦しい空気は、いつの間にか消えていた。

「古い大学なので、床のへこみが多くて、いつもより時間がかかりました。固定机だと、その心配はないのですが、椅子を一つ一つ上げおろして壊れていないかチェックしなくてはなりません」
「今度、僕も試験当日の現場を見せてもらいたいです」
「わかります、その気持ち。営業部は、契約したら、運営部にバトンタッチしてしまうので、実施まで見届けられないですからね。繁忙期には、試験当日、運営部のヘルプで総本部を手伝うこともありますけど」
僕と初対面の時のあなたは、運営部のヘルプをしてきた後だった。

あなたとは駅で別れ、それぞれの大学に向かい、夕方ホテルで落ち合うことにした。

移動中、駅の通路で厳島神社の観光ポスターが目に入った。
僕の頭の中で、厳島の女神たちがあなたに似た微笑みをたたえ手招きをしていた。


may_citrusさんの原作「澪標」、こちらも併せて読んでいただけると、物語をもっと楽しめます。


海宝課長が見た夢です。


読んで下さり、ありがとうございます。いただいたサポートは、絵を描く画材に使わせていただきます。