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020.仕事が出来ない!と思ってる人へ

そうなん

仕事で上手くいかないな~と思ったときに心に浮かぶ言葉の徒然

※最後に動画メッセージ付けました。

誰も最初からできる人なんていないから

私の初めての就職は、運送会社。そして、100人のオッサンたち。それはまるで猛獣の集まりでした。怖い以外の何物でもない。1週間の新入社員研修は・・・嘘つきだ!と思った。本社の人は、紳士的だったもの・・・

背の高い強面、スキンヘッドや指がない!(事故で怪我しただけでした)クルクルパーマに角刈り、パンチパーマ。田舎の高校部活動に没頭した女子高校生は、初めて社会に出て、世の中にはいろんな人が多すぎる!と叫びたかった。

事務所には、6人くらいの男性と私以外の3人の女性。後に耳にしたのが、入社半日で女子先輩のいじめで退職した人が居たらしい。私は、3年目には、嫌いな先輩の好きそうな仕事を片っ端から奪った。

社会人になって、仕事が全くできなかった私

1週間の新入社員研修が終わり、事務所に配属された。しかし、初日からいじめが始まった。

見たことないオフコンの前に座らされて、「さぁ、どうぞ、本社採用さん」と・・・「初めて見ますけど・・・」「え~?本社採用なのに?何を習ってきたの?」そして、仕事を教えてもらえず・・・そんなものなのかな?と社会を知らないので、こういうものなのか?でthrough

伝票計算は、ソロバンで計算するように!と注意されたが、小学校の時にそろばん教室でクビになった私。理由は、長座卓の片方2本の足を畳み、すベり台を作り、その上をそろばんで滑って遊んだら、先生に見つかり、その場で出禁になりました。初めてのクビになった生徒でした。そもそもソロバンは嫌いだから渡りに船。母は謝罪に行き、私は怒られながらも心では小躍りしてました。そんな経験を持つ私が得意なわけはない。商業高校に進学するとソロバンがあると思い、別の高校を受けたくらい・・・嫌い。

なのに、ソロバンやらされた。あまりに計算間違いするので、嫌味を言われながら電卓を使ったが、そもそも計算嫌いなので、間違いは減らなかった。数々の嫌がらせを受けたが、退職ということが全く理解できていなかった私。耐えるだけ耐えた。そして、全ての仕事を取り上げられた。いや、一つだけあった。彼女たちが苦手とする、オフコンの操作。そして、ペン型のバーコードリーダーで読み取り、到着先の住所のバーコードをたくさんのファイルの中から、選ぶ、そして、顧客管理は会社電話番号と部署は枝番。彼女たちは覚えられらないのです。

電話番号からの市町村探し、無記入の取引先の登録番号全て暗記。おかげで市町村の場所を覚え50以上の電話番号を暗記した。その仕事が2時間くらいかな?それ終わったら、嫌がらせなのか、私のためなのかソロバンを5時まで3級珠算の問題集を1か月やった。1冊を3回やった。

25日出勤×6時間だから150時間?その後、ソロバンで計算したが、計算間違いするので、ソロバンは使わなくなった。嫌いなものは嫌いなんだと思う。何が悪い!

5年後、転職し経理課に就いて、電卓では桁数が足りなかったので、ソロバンで億の桁の計算をしたが、電卓より正解率が高かった。何だったんだろうか???

そして、ソロバンの1か月が過ぎて、次は、仕事を与えられずずっと机についている。電話も取るなと・・・何もしない。

事務所の真ん中で、窓際族

退職ということを理解していなかった私は、きっと図太いと思われていた。さて、何をしようかね、1日中。

仕事を取り上げられた私の取った行動

ジッと机についていた私は、暇すぎて、掃除を始めた。まず、電話機を拭く。そして書類の整頓。と、どんどん掃除した。いつしか、事務所中を掃除した。電話も出ない。集中して掃除した。

すると見えなかったものが見えてきた

何時に、誰が、何がどんな風に動くのか、そして、書類1枚抜かさず、どこに何があるのか、そして備品の在庫状況。業種的な繁盛期が来た。もう電話に出なくてはならなくなった。指示が出て、電話に出始めた。すると、一日の動きを把握しているので余裕で意味が通じた。

トップが、調子が悪い時に薬を飲む。だいたいどういう瞬間で、どこに薬があるか知っているので、引き出しを開けて左側をごそごそすると薬だ!すかさず、白湯を作りに給湯室へ・・・そしてお盆に乗せて差し出す。

いつもお気に入りの赤色鉛筆、ゴソゴソ探し始める。もう短くなっているのも知っている。新しい赤色鉛筆を削り、サッと机の上に置く。そんなこんなで、誰がどう動くのか、法則があることを知った

意地悪な20代の先輩がキョロキョロし始めると、誰かが自動販売機でコーヒーを買う。そして、走って行って高い方のコーヒーをおごってもらう。ニコニコして戻ってくる。その姿を見て、女上司が、「私も~」と言いながら、走って行く。みっともない。と思った。欲しいものがあれば、自分で好きなときに買いに行く。私の主義。のちに、欲しくもないのに、色んな人がお金を置いて行く。「好きな時に飲みなさいね」と高い方の金額を・・・

今思うが、お金に色は付いていない。

そんなこんなで、半年後仕事復帰。補助には変わりないけれど、

半年かかったけれど、自分で動くことができた。トップ(当時の所長)は20代の意地悪な事務員を辞めさせたかったから、私に期待していたようだった。経理をしていたその先輩は、乗務員に日当を支払う担当。自分の機嫌が悪いと支払を先延ばしするやら、コーヒー代やらなんやらかんやら巻き上げる。ずっと見ている私は恐ろしくて・・・・。こんな人にはなりたくないな。そう思った。

約5年後退職する時に聞いたが、女先輩が一度だけ、みんなが意地悪いから辞めたいと言ってきたらしいが、ちょうどいいと思い、止めなかったら以後退職したいと言わなくなったらしい。彼女なりの弱弱しいところを見せて、助けて欲しかっただけで辞める気はなかったみたいだった。それくらい、問題行動が多かったんでしょうね。辞めても行くところがないので、自分の席にしがみついているんだろうと・・・。

朝の入力の仕事のお陰で電話帳を開くことがほとんどなかった。かかった電話番号が表示される時代になると、誰から掛かってきたかもわかるので、事前準備さえもできた。こうなると正直痛快。先輩は徐々に電話に出なくなった。なんせ、対応が早い私はウケがいい。物流は、とにかく短気が多いし。取引先の評判も上がった。トップが売り上げが足りない時は私に営業電話させた。「すみませ~ん!今日10トンなんか荷物ないですか?」若干二十歳、無茶ぶりの役目をしていた。そして、それが、100%荷物がもらえるから、私も楽しい。私が楽しいと、先輩は楽しくない。取引先から、電話対応のご指名ももらえるようになった。年末は、気が付いたら4時でそれから弁当を食べて7時くらいまでノンストップ。今なら素晴らしくブラックな環境。先輩は、定時に食べて定時に帰る。それを横目に楽しそうに仕事する。

市内をまわる乗務員は30人以上。誰がどこをまわっているか、何時にどのあたりに居るのか、覚えるのに時間はかからなかった。普段からウロウロして企業の場所や住所を見ていたので、個人の配達ボックスの中に伝票の控えを見て、どのくらい働いているかもわかる。無線で連絡を取り、遅延の確認や追加の集配も私の仕事になった。

Uターンできない道は、担当以外が通る道ならば、それをお願いした。「○○さんの担当だけど、あの道Uターンできないから、△△さんお願い!」ちゃんと見てくれていて、当てにしてくれていることを伝えた。電話口の印象で担当以外はダメな場合もあるし、平謝りしながらの連絡は、別の人に行ってもらい、無理しても来ましたよと云う印象を与えた。そして、誰もが安全に帰社して欲しいという旨が伝わった。そのうち、困ったら、乗務員から名乗り出てくれ始めた。こうなると有難い。みんなが動いて、協力が生まれた。人間関係の難しさはあるが、表面上だけでも上手く回っていた。

その楽しそうな輪に先輩が入った。無線で呼ぶと誰も返事をしない。そしてその無線マイクを投げ捨てて「ユウコが言えばいいやろ!」と、遂には無線に近づかなかった。

普段から、常に人の動きを見ていたことで、誰が何を必要としているのか、こだわりは何なのかを知ることができた。

いじめの対象認定?

もうこの現状は、後には引けない。とにかく、嫌がらせが止まらなかった。そして、捌け口として、先輩たちの機嫌に左右された。何かにつけて、バカにされる対象になってきた。正直、年齢が違うから同じ結果なんて、できやしないと思っていたから、凹むことはあったけど、なんとなく浮上していた。【理由は、下記<鋼の心になった理由>】

全国区の新入社員研修に3回参加した。そして、最初の1回は、入社2年目。初めての県外への旅行だったので浮き浮きだった、旅費も小遣いもでるバブル時代の社員旅行。今は閑静らしいが、八ヶ岳のペンションに2泊。浮かれに浮かれて女子はモテモテでした。たぶん・・・多分。。。

お土産を事務所の女上司に渡した。当時は珍しい、チョコ大福。72個入ってる大きな箱。手に渡したが「こんなの!」と机の上に投げ返された。確か、女事務員は二人とも食べてなかったと思う。そんなことされたことないので、言葉も出なかった。うっすら覚えているのは、

「ゆうこさんが、楽しく遊んでる時に、私たちは、大変だったんだから!」

『ま、そうだろうな・・・だって、乗務員さんたちに嫌われているから仕方ないでしょ・・・。自業自得とは思うけどな。』

女先輩と寮の掃除をしたことがあった。終わって事務所に戻る時に、振り向きざまに「ぶす!」と放ってきた。ショックというより、その先輩は、顔が縦長で、小鼻がでかくて、鼻が低い。目はギョロ目で化粧が濃い。その先輩がある時、ボブにしていたので私も真似します!ってボブにしたら、私は当時顔が小さかったので、顎のラインで切ってもらったら、金太郎カットになった。ッテな顔の先輩に言われたので、少々考えた。

『アンタの方がブスですヨ』

『何言ってんの?』

と色々考えたが、待てよ…同じこと言い返したら、同レベル。なので

『私、ブスじゃないですよ』

と返事した。すると

「生意気やね!」

と言って、サッサと小走りで行った。

・・・?なんだあれ?

ってな感じで、真面目過ぎた私は、どんどん鋼の心が開花した。言い負かすことなど考えてなかったし、社会ってこんなに大変なのね⁉と思い込んでいたから、社会ってツマラナイ子供じみた環境なんだなと思っていた。実際に、毎日こんなことを繰り返していた。私も私で毎日の習慣だったので、その二人を相手にしなくなった。

鋼の心になった理由

とにかく、仕事がスムーズに行えるためには、時間も労も惜しまなかった。そのうち、知らない人までが信頼してくれ始めた。後は雪だるま式に仕事と信頼が増していき、嫌なものを見る時間がなくなり、矛盾や意味のないものに興味がなくなり、追及さえも止めた。すると、ポジティブしか残らなくなった。すると、周りに人が増える。支えてくれるパワーがその女上司や女先輩とは比べ物にならなくなった。

理由は、人です。

色々意地悪されていたことを見ていた人たちが、気遣って、対応に差をつけたのです。小さいことを言えば、安いコーヒーが60円だったのですが、女上司に笑顔で60円渡し、私には見えないように100円くれるのです。「おはよう」とあいさつ一つとっても、私には、その後に必ずと言っていいほど、要らない?おやじギャグが続くのです。私のことを嫌いだ!と耳元でずっとささやきに来るおじさんもいました。が、上手に言い返されるのが楽しかったらしく、退職して何十年経っても見かければ声を掛けてきて、20歳の頃と同じ言葉を言ってきます。面倒な奴だ。

自己主張して褒められたいわけでもなく、お金が欲しいわけでもない、ただそこにある仕事が上手く回ることが私には大切で、その結果、他の誰かを助けることになり、楽になる。そして、それが、私の身になる。

私を支えてくれたのは、やる気根気元気ではなく、人です

教科書のようなことかもしれませんが、しなくていけないことを懸命にし、評価を求めなくても、必ず自分に返ってきます。返してきた人たちは、正当に事を見ることのできる、真面な方だと思います。今は、評価されていないかもしれませんが、それは、自分の耳に入って来ないだけなのかもしれません。自分が「こうしたいんだ」と思う姿勢は、自分を信じて、思い込めば多少方向も間違うこともあると思います。気が付けば、自分で修正しながら、少しずつでも変えて、それを進化していると言えばイイじゃないですか!必ず人は見ています。評価を期待ではなく、その思いを支えてくれる力になります。でも、

たまには、周りの評価も気にしながら

今来た道を振り返りながら、少しずつでも進みましょうよ

自分の居場所を作ることは、自分の居場所を確認しないといけないから、今自分の周りにはどんな人が居ますか?それが、今のアナタですよ。

種を植えれば、芽が出て花も咲くでしょうし、実もなります。

何もしなければ、何も咲きません。極寒にチューリップを植えても育たないかもしれません。どうしてもそこで咲かせたいなら、研究するしかないですよね、何度も同じ球根を植えても、芽は出ないでしょう。

その土地を去ることも大切です。次の土地を探すことは、容易ではありません。咲かない種を植え続けるのか、改良するのか、移動するのか・・・。

まだ、転職をスキルアップとして見てもらえない事も多いですが、去ることは逃げることとは違います。同じ行動かもしれませんが、自身の考え方次第です。

もし、面接で辞めた理由を聞かれたら、最大限の前向きな言葉を用意しておきましょう!

キャリアコンサルタントではありませんが、産業カウンセラーとして、キャリアアップのための言葉を一緒に考えます。まだ、ホームページが完成していませんが、素人なので、なかなか技術的なことが進みません。早くしなくちゃですね。webで対応できる分に関しては無料で対応いたします。