040.スプーン一杯の認知症

小春日和


ではなくて、冬日和も過ぎたのか。3月は何というのだろう。
母に梅を見に行こうと連絡した。時間の確認で電話すると、電話の向こうでは、揉めている。姉が大きな声で「あんたが、二人を連れて行かないから、喧嘩しよる!二人とも連れて行って!」と・・・
そもそも父の負担を軽くするために連れて出るのに、父も連れて行ったら意味がなくなる。そもそも論として、姉は私のことを疎ましく思っているので、何をしても面白くない。今に始まったことでもないので、だったら、自分が連れて行ってくれ。と、電話を切って・・・スマホに向かって言ってやった。母が面倒なのではない。全く面倒ではないわけでもないが。それはさておき。

小春日和は、初冬頃までの言葉らしい・・・

母の父への嫉妬妄想が車の中で炸裂。「あの爺さん、よくもまぁ!あれは、飲み屋の女よ!」と何度も見てきたように話す。ひとりに一つ現実がある。そう思えば、そういう現実なんだなと、受け入れられる。ずっと言われ続けるとちょっと困難な気分にはなる。そんなとき『受け入れることは、大切。否定しない。あぁこれは、きれいごとだな』と思う。この日も、私が可哀そうな人になると、落ち着く。この方法はどうなんだろうか?良いのか?
目的の寺に着いた。

1本しか梅が無かった寺

人が居ると思ったら居なかった桜で有名な寺。私は、梅あったん?…と半信半疑で来たので、想定内だったが、勘違いしていた母は、最後まで昔はあった。と言っていた。定かではない。昔は、あったのだろう。甘い匂いを漂わず梅の花が・・・。私は、小さなため息を飲んだ。こうやって忘れていくのかなと、暖かな陽射しを受けて少し心に冷たい風が吹いた。違う場所に梅を見に行こうと誘ったが、お昼になったので、近場のファミレスに行き、無駄に待ち時間が長かったので、疲れてしまった。寄り道して梅園に寄った。車から見るはずが、降りて少しだけ歩いた。まばらに咲いている梅の花を見ながら、父と来たのはいつだったかな?とずっと言いながら写真を撮ってソフトクリームを食べて帰った。

母は、今日も父と一緒に過ごしたかったのかな、父は、1人でゆっくりと過ごしただろう。

母と昔の話をした、大学に行きたかったと話すと「やっぱね、人生は悔いないようにせんとよ。あんたは何勉強したかったん」と言われたが、それ以上話すと恨み辛みになるので、止めた。
私が、大学に行き自由になることは、母にとっては困る。何故なら、私は母より幸せになっては困るから。
なんて親不孝な考えの娘と思う人もいるだろう。でも、そんな親もいるんだよ。
私の親孝行は、私の為にやっているのであって、母の為ではないかもしれない。でも、それは、当事者でしか理解し難い私だけの現実なのです。似非親孝行にみえるだろう。私の満足と母の幸せが天秤で釣り合っているだけのことで、双方不幸ではない。

母方の祖父は94歳まで、しっかりとしていた。ほぼしっかりしていた。ボケたふりをたまにしていた。母のように自分の感情の都合だけで生きるのもどちらも、どちらでも幸せかどうかは、自分で決めるものだと思う。私は母に、宿題を出しているのかもしれない。ある意味、本当に心の狭い娘だなと思う。

私は優しくない。

嫁姑みたいだね

椿は潔い