「マイクを手放すな」と『バービー』および『タイタニック』のパロディ
フェミニズム界隈ではアンチ側の論客とされている青識亜論氏がnoteで取り上げたからだろうか、国際女性デーに関係する以下のフェミニスト漫画がちょろっと話題になった。
実に爽快な程のセクシズムなのだが、フェミニストはこの考え方で女性が上位に立てるとき「(男女)平等」として捉える。ところが、この考え方で自分達が糾弾された場合、それは男女平等ではないと言い出すのだ。いつも通りのフェミニストらしいダブルスタンダード上等のご都合主義な態度と言えばそうなのだが、「ホント、こいつらって相変わらず恥知らずだよなぁ」と感じてしまう。
このフェミニストの恥知らずな考え方について、二度ほどnote記事に取り上げたのでちょっと振り返っておきたい。
上段のnote記事で取り上げた、『タイタニック』のパロディはまさしくこの恥知らずなフェミニストの態度を皮肉ったパロディなのだが、「パロディが示しているものは男女平等ではない!」とパロディに対する憤懣やるかたない批判がみられた。更には「いやいや、そうじゃなくて『そういう男女平等をフェミニストが主張している』ということをパロディにしているんだよ」と説明しても、そのことをあまり理解しない人間がそれなりに居る。
そして、「しばしばフェミニストが主張する男女入れ替え型の男女平等の戯画化」であるにもかかわらずそのパロディをフェミニスト批判として読解できない、フェミニスト寄りの論者を取り上げたnote記事が後者の記事である。
上で挙げた二つのnote記事を読んでもらえば分かることだが、本稿との関係でポイントとなる箇所を振り返ってみたいと思う。
まずは前者の記事で取り上げたパロディについてだが、このパロディを理解するにあたって先にタイタニック号の事故の基礎データを挙げよう。
さて、映画『タイタニック』のパロディ動画は以下である。但し、引用したものは元のパロディに日本語字幕を付けたものと思われる。
では、ハイライトとなるシーンを抜き出してみよう。
この『タイタニック』のパロディにおける、船長とクルーの遣り取りにおける考え方は、まさしくフェミニスト漫画「マイクを手放すな」の考え方である。しかし、『タイタニック』のパロディとフェミニスト漫画「マイクを手放すな」の大きな違いは、立場を逆転させることを男女平等とする考え方に関して、その考え方を「風刺の対象」とするのか、大真面目に「叶うならば実現してもよい理想」として捉えるのかの違いである。
『タイタニック』のパロディで示された男女平等は、「こんな男女平等の考え方はヘンテコでしょう?」という批判の対象として解釈される。つまり、パロディにおける男性クルーの台詞「女性も男性と同様平等に扱えと望んできたんだろ?男性は今までこうやって扱われてきたんだよ!」自体を実現すべき男女平等として大真面目に捉えることはしない。換言すると、危機において女性の生命が重視される一方で男性の生命が軽視された過去の価値規範への風刺がメインのパロディとして捉えるのではなく、あくまでも「立場を逆転させることが男女平等であると考えるフェミニスト」への風刺がメインのパロディとして解釈する。
一方で、フェミニスト漫画「マイクを手放すな」はどうか?
以下の冒頭のモノローグで示される考え方は、続く漫画の部分でヘンテコな考え方として風刺対象となっているだろうか。続きの部分の一部から冒頭のモノローグで示された考え方に対する作者の位置づけを読み取ろう。
上記のページからも感じ取れる通り、「立場を逆転させることが男女平等である」との考え方が(叶わぬまでも)大真面目な理想として語られているのだ。だが当たり前の話なのだが、そんなものは理想として掲げられるものではなく、むしろ非難の対象となるべきセクシズムだ。
さて、ここで振り返りたいのが映画『バービー』を巡るレビュー状況である。映画『バービー』の評価に関して以下の記事が出た。
そして、この記事は以下の現象に関する論考である。
ここで、大野氏はフェミニスト寄りの立場から色々と論じているのだが、フェミニスト漫画「マイクを手放すな」に典型的に表れているフェミニストの醜悪な理想について、全く把握していない。そのことが理解できるのが上記の記事の以下の箇所である。
反フェミニスト側が「映画『バービー』は反フェミニズム映画として傑作だ」と評価しているのは、「バービーランド(女性優位社会)が現実社会(男性優位社会)を反転させたつくり」であり、キッチリとバービーランドの歪みや不公平や不実が描かれているからこそである。そして、そんなバービーランドを理想とするフェミニストを風刺していると解釈しているのだ。
だが、反フェミニスト側からすれば共通理解となっている「フェミニストって理想社会としてしばしばバービーランドを主張するよね」という認識を、当のフェミニスト達は直視しない。「男女裏返しにして現実社会を戯画化して風刺しているのである」と考え、反フェミニストのレビュアーがいくら指摘しても「フェミニストの理想を戯画化して風刺している」とは認識できない。
フェミニスト漫画「マイクを手放すな」の作者が、当該漫画を国際女性デーに公表したのは、作中時間が国際女性デーであることもさることながら、国際女性デーに関心を持つフェミニストが当該漫画に共感を寄せるであろうと予期しているからこそである。すなわち、以下が成立するバービーランドがフェミニストの(現実問題としては叶わぬ)理想社会であると確信しているからである。
したがって、映画『バービー』におけるバービーランドが風刺の対象として解釈できる場合には、フェミニスト漫画「マイクを手放すな」で典型的に表されたフェミニストの理想が風刺されていると言えるのだ。
更に皮肉なことに、フェミニスト側の論者はフェミニスト漫画「マイクを手放すな」で典型的に表されたフェミニストの醜悪な理想を、自分達が批判される文脈においては認識できない。実にご都合主義的に「それは現実社会の裏返しだから現実社会への批判なのだ」と解釈し、自分達の邪悪さに気づくことがないのだ。
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