【インタビュー】音声ガイドディスクライバー・八木田幸恵さん

山手線・田端駅から徒歩5分にある日本で唯一のユニバーサルシアター「シネマ・チュプキ・タバタ

ユニバーサルシアターとは、健常者はもちろん、目の不自由な人も、耳の不自由な人も、車いすの人も、発達障がいのお子さんや、小さなお子様連れのママたちも。だれもがいつでも安心して、一緒に映画を楽しむことのできる“やさしい映画館”だ。

この日本一優しい映画館で「音声ガイドディスクライバー」として活躍する八木田幸恵(やぎた ゆきえ)さんのお話を伺った。

おそらく多くの人は「音声ガイド(解説放送)」 付きの映像を見たことがないだろう。

映像の前で、目を閉じてみて欲しい。
セリフ、ナレーション、効果音など様々な音が情報を伝える…
しかし、当然ながら「画(え)」をなくして全てを理解するのは難しいだろう。
目の見えない方のために、「画」を言葉にし「台本」を作る。
それが、音声ガイドディスクライバーの仕事だ。

テレビ・ラジオのアナウンサーを経て、現在もCMや映画のナレーターとして活躍する一方で
「書いて・読めるディスクライバー」として活動している。

なぜ声の仕事から、書くことにもチャレンジを広げたのか?

ディスクライバーの修業期間と決めた3年をすぎ、2020年活動を本格化。
音声ガイドディスクライバーとして1年で映画14作品にも関わる。
5年目となる今年…またひとつ、新しいステージに進み始めた八木田さんの軌跡を聞いた。

はじまりは、何気ない一言だった。
小学校高学年の頃、大好きな担任の先生に国語の本読みで褒められた。
「アナウンサーになったら?」その一言が少女の心に火を灯す。
そして…やがて現実のものとする。

1992年、テレビ金沢のアナウンサーに。

インタビュー中も、ゆっくりと優しいテンポで話してくれる八木田さん
もともとのんびり・マイペースな性格だという彼女。
事前に朗読やナレーションなどの音声を聞いていたが、その違いに良い意味で驚く。
オフであるインタビュー中の声は優しいオーラが溢れだしていた。

そんな八木田さん、なんと女子アナ時代「顔出ししない仕事がいい」と思っていたくらい、新人女子アナに求められる笑顔の振りまきが苦手だったという。
中でも天気予報を「いってらっしゃい!」と満面の笑みで手を振り締めくくることが嫌で仕方がなかったそうだ。
食リポも、不味いと顔に出てしまう素直な性格だったそうで…なんとも女子アナらしからぬエピソードに「クスリ」と親近感が湧いた。

見知らぬ土地の生活は辛いものだったが、この時、地方局ならでは「何でも自分でやる」という環境の下、自ら取材へ行き原稿も書き、出来ることは強制的に増えていった。

その後、上京し、フリーアナウンサー・ナレーターとして腕ならぬ「声」を磨く。

J-WAVEでは「Morning voyage」や「Ring Ring」などのナビゲーターのほか、アナウンサーとニュースデスクを兼務し、その日のニュース選びを行い、原稿を書いた。
声の仕事をする傍ら「書く」仕事もずっとこなしていたのだ。

印象に残っているエピソードがある。
2006年1月16日 、証券取引法違反容疑により、六本木ヒルズのライブドア本社などが東京地検特捜部に家宅捜査が行われた時…同じビルのJ-WAVE本社内に八木田さんもいた。
第一報の「家宅捜索」から続々と新しい情報が送られてくる、
その度に原稿を作成し、最終的には全部で30枚ほど原稿をあげた。
次のアナウンサーの出社する朝8時まで、新しい情報を読んで、ニュース原稿を書いて、コピーして、アナウンサーとして読む…を一人でこなしたという…。
「こんな時くらい誰か手伝いに来て!コピーをとって!」と心の中で叫んでいたとか(笑)
人生でこんなにも原稿を書いたのは、後にも先にもこの日だけだったそうだ。

日々、きた仕事は何でも精一杯努力し自分の声をしっかり把握してコントロールできるようになったのは、アナウンサーとして世に出てから20年を過ぎた頃だという。
優しいお人柄の反面、言葉の節々からは決して胡坐をかかない誠実さとその頑なな努力が伺える。

転機が訪れたのは2017年
持病の喘息が悪化し普通の会話すらも出来なくなり、18年続けた生放送のニュースを、半年、休むことになった。

それは、絶望の日々だった。
25年もの間、技術を磨き「人に伝える言葉」を勉強して辛い日々にも耐えてきたことがすべて無駄になるのか…と。

一般的な薬が効かず、喘息の薬としては一番強い薬が処方される。
それでも効果がなく一度出始めると重篤になり、ただ治まるのを待つしかない。
だが皮肉なことに、喋らなければ咳は出なかった。

いつ、回復するのかも分からず “声を出せなくなった今、自分に出来ることは何なのか…”
来る日も来る日も「今までの経験を活かせる何かはないか…?」と、インターネットで食い入るように検索した。

そうして辿り着いたのが「音声ガイドディスクライバー」だった。
当時、「音声ガイドディスクライバー」は一般的ではなく、目指して検索しなければ見つけられないものだった。
思い返しても、一体、何の検索キーワードで養成講座のページへいけたのか分からない。

だけど、導かれ、辿り着いた。

さっそく専門学校に通い、修了後すぐに「3年は修業期間」と定め、ボランティアから活動を始める。
その頃には休養の甲斐あって声の調子も戻りつつあった。

音声ガイドディスクライバーの難しさとは何だろう?

ひとつ筆者は勘違いをしていた。
悲しそうな場面では悲しみを表現するような声色でナレーションを読む…と。
実はその逆で、台本を書く上で難しいのが「主観」を挟んではいけないことだという。
例えば1人の男が、苦悩していると前後のストーリーから読み取る。
が、そう受け取ったのは「自分」であって他人が「苦悩」と受け取るとは限らない。
「眉を潜め一点を見つめる」「眉間に深く皺を寄せる」など、
映ってるままの画を言葉にし、映像にセリフの無い「すき間」に収めなければならない。
それは、0.5秒以下の時間をも意識する非常に緻密な作業だ。

台本 (1)

(実際の音声ガイド台本。エクセルで仕上げている)

小説家のような表現力があっても、尺を意識し言葉を縮めるのは難しい。
語彙力があり言葉を短くできても、音にしたとき聞こえやすいかは…また別だ。
「無駄な言葉を排除し、耳で聞いて、簡潔でわかりやすい」を目指さなければならない。

ニュース原稿を書き、様々なメディアで読んできた八木田さんには
“ひたむきに人に伝える言葉”と向き合い続け、積み上げてきたものがある。
言葉を入れ替えるだけでグッと聞きやすくなる、そんな音の並びを肌で知っている。
テレビ出身なので、元の音もセリフと一緒と考え活かそうとする思考力がある。
更には、人に心地よく聴こえる声を探し続けた長い経験がある…。

音声ガイドのナレーションは、一般のナレーションより難しい。
そこに技術が必要だと体感した事で、さらにやりがいを感じた。

「これまでの全ての“努力”と“苦労”が、音声ガイドディスクライバーになって報われている。ここに辿り着くために必要だったのだと感じている」という八木田さん

インタビュー中どこまでも伝わってくるのは「心美しい真面目さ」。
決して驕らず、ずっと謙虚な言葉で語ってくれる。
しかし、その話の隅々から「本物のプロ」ということがヒシヒシと伝わってくる。

例えば…
もともと生放送のニュースを読んでいた経験から噛んだりつっかえる事が少ない。
そのため、小説や実用書などの本の朗読収録の仕事で、平均より収録時間が短く報酬がUPされたというのだから、その貢献度は高いのだろう。
予算の少ない番組は、スタジオ代(時間貸し)も抑えられて喜ばれる…と、さらりと話してくれたが、これも簡単なことではない。
自ら仕上げた音声ガイド台本を読む場合は、何度も読み込んだ原稿なので更に時短になるというから驚きだ。

書いて読めるディスクライバー、しかも尺感覚がバッチリな存在は八木田さん以外いないであろうと筆者は感じた。

冒頭で触れたように、2020年は音声ガイドディスクライバーとして走り抜けた1年だった。
そして、自分の中からある答えが出てきた。

「フリーで30年十分頑張ったんだから、これからの人生は好きな仕事だけをしよう」ということ。
「自分の経験の全てを活かせるこの仕事を極めよう」と心を定めたのだ。

省庁関係や保険会社の台本など専門的な文章を何十枚も読める。
それは然るべき経験がなければ出来ず、誰もが出来る事ではない。
でもこれからは「出来る仕事」ではなく「やりたい仕事」を「生涯」やっていきたいと、昨年、いくつかの取引先に「お世話になりました」と円満に幕を下した。

この決断は
「これからは自分の経験を必要としてくれる人達のために、残りの人生を気持ちよく生きたい」という“自分の気持ち”を大切にした結果でもあった。

八木田さんは語る。
「ずっと日の当たらない道を歩いてきた。地道に、諦めないだけでここまで来た。“頑張る” “諦めない”以外に、私には方法が無かった、上手な生き方をしているわけではない。」

「辞めるのはいつでも出来て、いつも隣にはその選択肢があった。だからこそ、あとちょっとだけ頑張ってみようと思って続けてこれた」

「まだまだ学ぶことが沢山ある。私が誰かを知らなくていいので、楽しかった、いい時間だった、心地よかった…そういうふうに思ってもらえる作品を残していけたら嬉しい」

現在は監修として他の方が書いた原稿の修正も行い、活躍の幅をより広げている。
「放送(テレビ)出身だから、いつかそちらの仕事も手掛けたり人材を育成したりできたら…」という思いもあるという。


アナウンサー時代、恩師に「八木田さんは何でいつもそんなに崖っぷちみたいな顔してるの?大丈夫だから」と言われたことがあると言う。

その姿が実は筆者にも重なった。
絶賛働き方に迷い中なのである。

でも、今ここで悩んでいること
過去やってきたこと
その全てが
この先の私の人生で、やがてひとつの大きな渦になる。

そんな確かなエールを貰った気がして、ただただ嬉しく感じたのだ。

八木田さん、まさに言葉通り「崖っぷちにいるように必死で頑張って」きたのだろう。
そして全てが繋がって、これからも発展し加速するように人生がキラキラと輝いていくのだろう。
またいつか、これからの話を聞いてみたい。そう思った。

どこで見聞きした言葉か忘れたが、こんなことを聞いたことがある。
「人生には時として強制終了が訪れる」
自分の進む方向が間違っていると「そっちじゃないよ、その先に進んでも意味がないんだよ」と合図が出る。
でも人は中々、軌道修正が出来ない。
そんな時、強制的にその道に進めない様な出来事が起こってしまう、というものだ。

八木田さんが教えてくれた
「もし喘息の悪化がなく、あのままナレーターとして進んでいたとしても、既にどこか行き詰まりがあった。
あの時の喘息の悪化は“考えろ”という、神様からの、人生何度目かの合図だった」と。
筆者の経験とリンクしたようで嬉しくなった。

時に何かを失い、失望し、どん底に落ちたら、そこには神様からの合図が隠されているかもしれない。
そう考えると、生きる事がより素晴らしいもののように思えた。


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◆八木田幸恵さんプロフィール
Twitter Instagram

宮城県仙台市出身。
テレビ金沢、日本海テレビ、J-WAVE アナウンサーを経て、現在フリーのナレーター。

☆TV&CMなどのナレーション
NHK-BS
韓国歴史ドラマ『奇皇后』『トンイ』『太陽を抱く月』…など
FUJIOH(富士工業株式会社)   TV-CM(2019.7月~)
メンソレータム『アクネス25』  TV-CM

☆番宣&特別番組
WOWWOW
トップアスリートの真実「アンディ・マレー~ ウィンブルドンが泣いた日」

☆映画・DVD
椿の庭』『はちどり』『スパイの妻』…など

☆音声ガイドディスクライバーとしての作品
喜劇・愛妻物語

『喜劇-愛妻物語』

新聞記者

新聞記者  (1)

ミセス・ノイズィ

ノイズィ

「his」「アイヌモシㇼ」「ムヒカ~世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」「サニー~永遠の仲間たち」…など
シネマ・チュプキ・タバタ

☆ラジオのお仕事
隔週金曜日 担当・13時~15時
コミュニティFM・ラジオ川越
「KAEAGOE LIVE  ゴーゴー午後カツ。」

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素人の私のインタビュー依頼を快く引き受けていただいた八木田幸恵さんに、心から感謝を申し上げます。
八木田さんとお話する時間がとても楽しかったです。
人生初のインタビュー記事ですが、取材をするプロの八木田さんに導かれて完成することができました。本当にありがとうございました!

#八木田幸恵 #note #解説放送 #音声ガイドディスクライバー




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