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失敗した自分を愛すること

失敗してしまって、ひどく後悔することは誰にでもあるかもしれません。
でも、もし、ひどく自分を責めるクセがあるなら、どうでしょうか?
そんな自分を嫌いになってしまうことも。

失敗したとき、自分を責めるのは、自分の心の中で自分一人がやっていることだと思います。自分には価値が無いという思い込みとその出来事がつながってしまっているのかもしれません。

自分を責める気持ちというのは、苦しいものです。

でも、自分を責めている時間というのも、じつは自分らしさの1つだとも言えます。

いろんなことが考えられると思います。

自分を責めているとき、ただ責めているだけではないはずです。
色々な思いや考えがあり、こうあるべきとする過去の歴史や、無意識のうちに構築してきた理想の自分像と、それに合致しない現実の自分にギャップがあるのだと思います。

その合致していない自分というのを客観的に見れるようになると、今後どうしようかという方法が見えてくるのだと思います。

責めることには、意味や理由があります。
責めるのは苦しい、だったら、今後は責めなければいい。
でも実は、愛されたいという気持ちと繋がっているから、責めることを選択しているのかもしれません。

受け入れる愛もあり、手放す愛もあります。それは自分で定義することです。

別に、失敗してしまった、次はここから学んで失敗しないようにしようと思える自分であれば、そんなに長期間責めなくてもいいわけです。

でも、遠くから自分を客観的に見て、自分に価値が無いと感じている自分がいるから、自分に満足していない自分がいるから、責めすぎている、のかもしれません。自分のハードルを実力以上に上げているのかもしれません。

こんなふうに考えることもできます:
してしまった失敗に対して、責める作業があまりにも大きすぎませんか?
まぁしょうがないとか、あの時はあのように反応することしかできなかったんだとか、そんなふうに思えませんか?

再び同じ状況になった時、また同じ反応をしてしまいそうですか?それは、なぜでしょう?
もう同じ反応はしないと思いますか? それは成長ではないですか?
もう同じ反応をしないと決めても、現実の自分はなかなかそうできないかもしれません。それも、あるがままの事実のひとつです。

自分を責めすぎていると気づいたとき、自分をこんなに責めるのはプラスになるのか、どこかで折り合いをつけられないか、そんなに長時間かけて自分を責めなくてもいいのではないか?バランスが取れているかどうか?
じゃあどうする?

・・・そんなふうに問いかけてみるのはどうでしょうか?

欠点を責めることより、自分の長所を伸ばすことに時間とエネルギーを使ったほうがいいかもしれません。

こんなふうに一生懸命考えて、自分を愛そうとして、変化しようとしている自分がいること。それがありのままの自分であり、それを愛おしく思えるといいですね。


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