見出し画像

055. 架空コンビニ(セーター) / 『くつしたおるよ。』 【猫マンガ】




 
   + + +

編み物は 編んでいるときが、楽しい。
当たり前だけど。

完成させるのが目的ではあるのだけど、
それよりも その過程の
ひとつずつ編み目を積み上げていく
淡々とリズミカルな、あの状態が
気持ちいいのだ。

そして、ただの細長いものの連なり
だったものが、
だんだんと形を成してくる
”創造”の途中途中も認識できて

「無」の状態から「完成」の未来までを
ひととおり手の中で見ることができる
という、ちょっとした神の視点を
体験できるから楽しい、というのも
あるかもしれない。(大げさ)
 

しかし、だ。
出来上がったセーターは…、

買ったものの方が断然、着心地がいい。

とてもとても上手な人の
手編みのセーターは、もしかしたら
とても着心地がいいのかもしれないけど、

でもまあ普通に考えて、
工業的に作られたものの方が
縫製の糸が細くてしなやかだし、
はぎ合わせの部分がモサモサしない。

服において、
縫い目とかシワとかが
特に気にならない人なら
別に問題にならないのかもしれないけれど、

私の場合は、昔から
その、縫い目だとかシワだとかが
気になってしょうがない。

肌に当たる部分の凹凸が
とにかくストレスなのだ。
 

小学生のころは、
ランドセルをしょった背中に
服のシワができるのが
気持ち悪くて許せなくて、

服をすそから引っ張って
シワが完全にのびるように、

ランドセルの背と服と自分の背中が
ピーンと均一に密着するように
ひたすらギュッギュギュッギュ、

母に「もうええやん」と
止められるほど
毎朝、毎朝、その儀式を行っていた。
 

セーターは何度か編んだことがある。

自分の思い通りの色で、
思い通りの丈や形で作れて
見た目としては、とても気に入っていた。

でも毎回、着るたびに
肩とか脇の凹凸が気になる。

とてーも細い糸で編んで
生地自体の厚みを薄くすれば
いいのかもしれないけど、

それでは途方もない数の編み目を
積み上げなければいけないことになる。

さすがにそれは大変すぎる。
いくら編んでいる最中が
中毒的に楽しいとは言っても。

そういうわけで、
セーターは作らないことにした。
 

でもたまに編みたくなる。

指に糸を引っかけて、
針をスッと突っ込んで、
糸と共にクイッと引っぱり出す、
それが連続するあの感触を
また楽しみたいとは思う。

「無限プチプチ」とか
「無限えだまめ」という
おもちゃがあった。(まだある)

梱包材の”プチプチ”を
永遠につぶしていられたり、
枝豆のさやから豆を
ニュッと押し出すという行為を
繰り返しできるというやつ。

「無限あみあみ」も
あったらどうかと思う。

ただひたすら「編む」という
動作をやっていられるやつ。
 

楽しいのか?

うーん、どうだろ。
(言うといてなんや)
 

やっぱり完成させる「未来図」があって
そこへ向かう努力という「過程」が
楽しいのではないか。

おぅ、それって人生ではないか。
何かに向かって頑張る瞬間を
楽しみ続ける。

「過程」こそが人生の醍醐味だと
言うではないか。
 

ふー。きれいにまとまった。
(ほんまか)
 

   + + +

次回も おたのしみに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?