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私が魚を食べたあとは何も残らない。


どっちかって言うと肉の方が好きだなーと思うけど、

それでも ”さかなくい” な私は、
食べられるところを とことん食べてしまう。


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皮なんかはもちろん、ヒレとかしっぽもパリパリに焼けていればサクサク食べてしまうし、煮魚だったら 口の中で噛みながら小骨の間のコラーゲン的なエキスを摂取して、どうしても飲み込みづらい骨だけを出す。


中骨の髄もおいしので 噛みカミして吸い出す。

頭にも身はあるし、目玉のまわりのゼラチン質も旨い。


てことで、食べ終わった皿には ほんとにわずかの骨しか残らないのだ。
(イワシやサンマ程度なら骨まで食べちゃうことも)


なので子供のころは
「よそでは やらんといてやー」 と母に釘をさされていた。

切り身の焼き魚なんかでも皮は残せと。


えーー、皮がおいしいのに。
何だったら 身をあげるから皮ちょうだいって言いたいぐらいなのに。

「わかってるわー」と言いつつ、家では好きにするでとばかりに家族が残しそうな皮も回収して食べていた。(そのうち「ん、皮あげとくわ」と先にくれるようになった。)

0303_んー。


先日、友人が「めっちゃおいしい定食屋がある」と
大将(ご主人?マスター?どう呼ぶのかいつも悩む)がひとりで切り盛りするカウンターだけの小ぢんまりした店に連れて行ってくれた。

定食屋という割には、店の名前も横文字だし ちょっと小洒落た感じ。
(かしこまる)

その日のおすすめは ブリの塩焼きだというので迷わずそれを注文。


出てきたブリ、
脂がのって肉厚な身。しっとりやわらかそう。
そして香ばしそうにこんがり焼けた皮。

魚料理を前にすると必ずよぎる母のあの教え。
(何十年経ってもね)


うーん、
でもさ、
これ絶対おいしいもんね。ホント、身より旨いよ確実に。(主観)


それに私、もう人生において
自分の好きなことを優先していくことにしたのだ。
(ブリの皮ひとつで人生を持ち出す)

食品ロスの観点からしても、もう お上品ぶって皮を残すような時代ではない。
(皮を残す時代て)


食べた。

おいしかった。


もう当然ですって感じで、身も皮もまんべんなく食べ進めたもんね。

いい塩加減でパリッと焼かれた皮。
噛むと パリ…サク… じゅわ……


いい魚であればあるほど皮が旨い。
厳密には皮と身の間のジューシーな脂と血合いがおいしい。


時世も相まって、会話は最初の二言三言だけで
あとは黙って食べた。
というか、おいしさに集中して それどころじゃないのだ。


食べ終わった私のお皿には、何も残らなかった。

魚の皮はもちろん、
敷いてあった葉っぱも(え?食べていいやつやんな?)

あと小鉢の煮物のかけらも、お茶碗のごはん粒も
味噌汁の一滴も。(一滴ぐらいは残ってる)


ごちそうさま、と席を立つ前、友人は私のお膳を見て
「わ、めっちゃきれいに食べてる!」
と思わず声を出した。
(猫がなめたんかい、って思われたかな)

それを聞いてカウンターの中から大将も
「ほんとだ、キレイに食べた」。


え! そんなに食後の私の皿クローズアップされる!?
ちょっとひるみかけたけど
「めちゃくちゃおいしかったから」
と返した。


大将は とてもうれしそうに ニッ!と笑った。

「あんた、魚のおいしさがわかってるねー」
という心の声が聞こえた。(主観)


「大将、また来るよー!」

軽くのれんを払いながら店を出た。(のれんなかった)

(実際には おじぎながら「ごちそうさまでした」と出た。)



(タイトルのイラストはLINEスタンプ用に描いたやつ)

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