『詩歌探偵フラヌール』という詩歌案内書に出会えて
2冊の珍しくも大変ありがたい詩書に出会いました。
古い『群像』を整理していて読み返し、見落としていた記事から、この書と『ポエトリー・ドッグス』の2冊に出会えた。両書とも良書、今大いに迷いのさなかにいる私にとって、浮き上がる鍵を与えられた書。
まず、詩歌探偵フラヌールでいえば、まさに探偵が詩歌の森をフラヌール(遊歩者)して探索する小説仕立ての案内書である。フラヌールとはフランス語で、目的もなくぶらぶらするという意味であるらしい。が、この書の語り手の二人には目的はあるのです。9カ所の詩歌にまつわる不思議な場所を訪ね歩き、古今東西の詩歌の探索をするのです。主人公のジュンとメリが、軽妙で楽しい会話を繰り広げつつ案内してくれた詩歌の奥処。作者高原英理と伴侶の歌人の方を思わせるお二人は、詩歌、文学の匠に違いなく深く広く文学に、ついでに言えば世間の風潮にも大いなる知識があり、興味好奇心の向かう場所のところどころに名言もちりばめられているという仕掛け。架空のようで妙にリアリティのある沿線や駅名、会話にたっぷり含まれる現代文明批評に心惹かれているうちに案内される詩歌の核心。本書を読むまで私はランボーの詩のかの有名な一節、「またみつかったよ!何がさ?永遠。」の言語のフランス語に、また の意味はない事、小林秀雄も中原中也も意訳していることを知らなかった。最新の説では 「あれがみつかった 何が?永遠」、この方が私にはしっくりくるし、やっとランボーが分かったという気になれたのです。こんな風にして、萩原朔太郎、大手拓次、左川ちか、ランボー、ディキンスン、シュペルヴィエル、斎藤史、紫宮透、渡辺松男、石川美南、高浜虚子、桂信子、鷹羽狩行、閑吟集までもが案内される、とても親切な詩書。現代では最果タヒさんも取りあげられるのですが、この詩人についてはコメントなし。最果さんにしては分かりやすすぎるような詩篇が選ばれているからか。
こういう文体や語り口をゆるふわというそうです。架空という設定なのに実感にあふれた詩の読み方実践版ともいうべき本。面白かった。
驚かせてくれるものってよいもの,詩とは不意に出くわす、いわば夜中の散歩で塀の上の猫とでくわすようなものだという作者の見識に納得です。