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不妊・流産・解雇・やけ酒の・・・25歳まで。

桜子、不妊専門鍼灸師になる。


鍼灸の専門学校を卒業した後、私は栃木県宇都宮市の「不妊専門の鍼灸院」に就職しました。

その鍼灸院は赤ちゃんをなかなか授かりにくいご夫婦の体質や心のケアをする治療院で、私は新卒として婦人科を専門的に学びました。

「子どもができない」という悩みは人間の本能的な悩みであり、子孫繁栄という無意識に刻まれたミッションを達成できない気持ちは計り知れない苦しみです。

私は毎日8~10名程度の患者様に携わることができたので、たった1年の勤務でしたが忙しすぎて休日も出勤するほどたくさんのご夫婦に出会い、数百人の小さな命の誕生に携わることができました。

あの日々に患者様がおっしゃっていた

「歳を重ねると妊娠しづらくなるって、もっと早く知っていたら・・・」
という言葉。

「こうなるなら、仕事を優先しないで早く妊娠すればよかった。」

「どうしてみんな普通に妊娠できるのに、私だけ・・・」

「もっと体を大事にしてたらよかった。」

そんな、得体の知れない現実に対して患者様たちの心からの後悔と悲しみ、苦しみ、怒り、もどかしさ…色々の感情に触れ、こんな想いをする人をどうにか減らしたい。と心底思うようになりました。


反対に、新しい命の誕生は計り知れない喜びに溢れ、

「旦那さんより先に、桜子先生にエコー写真見せます!」とか、

出産当日に「生まれました!」と連絡をいただいたり、無事に生まれた赤ちゃんが使っていたベビーベットをいただいたり・・・命の誕生は私に素晴らしい経験をさせてくれました。

栃木で出会った患者様、一人ひとりのお顔が社会人1年目の私に鮮明に焼き付いています。今も皆さん元気に笑顔で過ごしていますように。


マタハラ解雇→流産→やけ酒→?

彼の転勤で栃木から長野に引っ越すことになった冬。

長野に引っ越した当日、雪が降っていて車の助席に座っていた私は、ガソリンスタンドで止まった車の中から、窓に積もった雪をおろす彼を見ながら
「とても寒いところに来てしまったな・・・」と思ったことを覚えています。

長野では近所の鍼灸院に就職が決まっており、「よし働くぞ!」と思った矢先・・・


私は妊娠が発覚。それでも即戦力として不妊鍼灸ができた私を、新しい治療院の院長は歓迎してくださり「父と母だと思って頼っていいよ!」と優しい言葉をかけてくださいました。

その後入社歓迎会もしていただき、つわりなど不調もないまま私はすぐに患者様の治療に入らせてもらい3日目のこと…

急に奥さん先生に呼ばれ、

「やっぱり辞めてください。何かあった時、私は責任取れないから。」

と突然通告され、私はその現実が理解できないまま解雇されることになりました。本当に急に。

私は、その日急に、無職の妊婦になったのです。

それなら最初から
「父と母だと思って頼っていいよ」だなんて優しい言葉をかけてほしくなかったと、布団の中で泣きました。

それから友達も仕事もない私は、一人長野の部屋で泣き続け、検診のため産婦人科に行くと、赤ちゃんの成長は止まっていました。

突き付けられた、解雇からの初めての流産

唯一の話し相手だった赤ちゃんが、お腹の中で亡くなっていたのでした。

それは家を出ると足首までズボッと入ってしまうほど、雪が積もっている寒い日のことでした。

成長の止まった赤ちゃん

布団でうずくまって泣いている私に、仕事帰りの彼は「結婚しよう」と小さな声で言いました。

私の結婚は、できちゃった結婚だったような、できちゃったけど生まれなかった結婚でしたが、それでも私の心が前を向けた瞬間でした。

結婚することが決まり少し前を向けた私は、友達も仕事も、赤ちゃんいない無職の女として、近所の居酒屋に"やけ酒だ〜〜〜〜!"とふらふらと入りました。それがその後の人生をガラリと変えてくれた「たぬき食堂」です。

「たぬき食堂」には今度こそ本当に、お父さんとお母さんと呼べる優しくて暖かい存在の二人がいて、私は17時の開店共に毎日通うようになりました。

毎日やけ酒しながら、いつも17時に来るおじ様や元気なおじ様、地元の経営者のおじ様達・・・とにかくおじさま達と他愛もない話をし、時には奢ってもらい、彼の仕事が終わるまで毎日たぬき食堂で待っていました。

たぬき食堂のお父さんとけんちゃん

市議会議員さんに背中を押され

そんなある日、私は長野の市議会議員のご親戚の方と、たぬき食堂でご一緒しました。自分が鍼灸師であること、解雇され、流産されやけ酒をしていることを話をしたら、「使っていない選挙事務所の物件があるからそこを使って開業したらいいじゃないか!!」と提案していただき、、、

あれよあれよと私は独立開業することになりました!!!(え!?)

SAKURACOCO鍼灸マッサージ室


家賃はご好意で1万円、駐車場は4台分、6畳二間の空間で待合室と施術室が作れる最高の物件でした。

当然、開業するつもりがさらさらなかった私は大きな資金もなく
●住んでいる家から持ってきたダイニングチェア2脚
●施術ベッドは姉からのプレゼント
●患者着はおばあちゃんの手作り
●看板は父と母からのプレゼント
●商品棚は父と母の美容院時代の同僚で長野で開業していた方の手作り

そんな状態でのスタートでした。

小さくも、たくさんの人の
愛が詰まった治療院のオープンです!!

待合室


SAKURACOCO鍼灸マッサージ室開業。

治療院の名前は、栃木の患者ご夫婦が決めてくださいました。
桜子先生がどこにいるかわかるように「桜子はここにいるよ!」という意味をこめて「SAKURACOCO」そして、デザイナーのご夫婦だったので赤ちゃんを授かれたお礼にとロゴをプレゼントしてくださいました。

ロゴ

女性の体をイメージ柔らかい曲線の桜の花。
中央には卵子。そして青空、太陽、月、木、花に守られている様子をロゴに込めてくださいました。その場でお話をしながら作り上げてくださったロゴ。本当に素敵なデザインをありがとうございます。

私はこのロゴ、名前、そして想いと共に誰も知らない「長野の地」で治療院を本当に開業したのです!

今書いていても運命のような、奇跡の連続で独立しすでにマイナスからのスタートだったせいか「失敗したらどうしよう?」という思考はいっさいなく、「さあ、私を突き落としたものたち、見てろよ〜ここからやったるで〜〜〜!!」という強靭なハートを持ち、突き進んでおりました。

ドラマのような人生。
桜が咲いたり、雨に打たれたり、嵐がきたり、全部散ってしまったり。そんな人生も思い返すと愛おしいものです🌸


さて、開業してどうなったのか??はまた次の投稿で〜!


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