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写真は写心

ほとんど何もないところに、土瓶が寂しそうに海を見ていた。
写真を撮るはずの私は手が震え、頭の中が真っ白でシャッターを押すことができなかった。
「嘘だ、これは架空の世界だ」

東北の震災の一年後に私は日本にいた。そして震災の復興の様子をどうしても自分の目で確かめたかった。着実に復興が進んでいる様子が報道されていたからだ。

一人では初めて行く東北地方だった。

レンタカーを走らせ、陸前高田市に入った時、目の前に広がるのはところどころに残っている壊れかかったビル、ときおり何かを探しているように見える家族の姿。
私はすべての言葉を失った。現在の震災後を撮るのが当時の私のフォトグラファーとしての仕事なはずだという友人たちに言われてきたところだったのに。手が震えてシャッターが押せない。

そんな時に目についたのがさび付いた土瓶だった。
「僕は見ていたよ」とぽつんと彼は言った。

「寒かったよね、つらかったよね」と私は土瓶を胸に抱いた。

「誰かが来てくれるのを待っていたんだ」と彼は言葉をつづけた。

この土瓶が見ている風景をカメラに収めよう、そう私は思い、土瓶をあった場所に戻し、写真を撮り始めた。

(後日、この土瓶はいろんな経過があって実家に届く)


「ポートレートを撮る時に心というものを大切にしています」と知人のカメラで撮られる時のコツをテーマに集まったオンラインお茶会での一コマだ。偶然にも参加者が私を含めフォトグラファーだった。カメラの性能やどんなカメラがいいのかという流れになりがちだが、今回は、まったく違った。そして主催者の話を聴きながら私の頭はフラッシュバックしていたのだ。

写真を撮るのは、目の前の被写体だけではない、その被写体が作ってきた歴史、人間ならば感情や表情も一枚に載せていきたい。


そう、あの土瓶はずっと見ていた。そして誰かを来るのを待っていたに違いないのだ。

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