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ウイルスの次にやってくるもの

コロナウイルス、戦争、地震
どれも予期せずやってきました。

私たちは狼狽え、動揺し、慌てました。

最初は必死に対処しようと集中し
そして・・・

その後に

「ひたひたと私たちに近づいてきた何かに
多くの人は気づかずにいました。
そして、世界中の人を呑み込みました。」

それを
この動画は分かりやすく
見せてくれています。

私もあっさりと呑み込まれるてしまう。
そのことに気づいたのは3年前です。
それからエゴまみれになる自分と対峙して、
自分に失望し、葛藤し、もがき続けました。

そのことは、誰の心にもある「見えない問題」でもあります。
しかし、見えないために何に苦しいのかさえ
自覚できません。

「見えない問題」は「目に見える問題」の陰に
静かに潜みながら私たちを呑み込もうと隙を伺います。
動画の説明と私が3年間悩んできたことは
ほぼ同じなのです。

数年前
アンガーマネジメントは
スキルだけでは解決できない何かがある。
ストレスマネジメントも
「見える問題」と「見えない問題」がある。

そう考えるようになりました。

最初は「見える問題」だけしか分かりませんが
「見えない問題」もいつか気づくことはできます。
しかし、気づいても簡単に解決できないほど
見えない問題は根が深いのです。

3年前に私の前に立ちはだかった「見えない問題」
その問題の大きさと根深さに
立ち向かうよりも最初は圧倒されました。

ここから先は
私的なことも書くので後半は
マガジンの読者だけにお伝えします。

先の赤十字のビデオのウイルスの次に来るものは
「恐怖」です。

不安も恐怖から生まれます。。

ウイルスよりも怖いものは
心の底で息をひそめて
私たちを常に監視している「恐怖」です。

それは常に隠れているので
探さなければ見つけられない
見えない問題です。

私は「見えない問題」があることを
問題発見・課題解決のセミナーでも重視しています。

では「見える問題・見えない問題」とは何か。

職場の問題の説明の記事で、それをどう解釈しているかを
見つけたので貼っておきます。

私は、問題視すべきか
上記の記事の問題の背景に隠れている
もっと大きな見えない問題だと感じています。

この「見えない問題」。
皆、向き合う必要があることは気づくのですが、
解決はおろか、アプローチの仕方もわかりません。

しかし、それを解決しない限り
形を変えて永遠に目の前に立ちはだかる。
それは実感するのです。。
本質を探究する前には、
「見える問題」の解決にも時間が奪われます。

つまり
「見えない問題」を解決したいのに
そこまでたどり着けないのです。

私はずっとジタバタして悩み苦しみ
ついに、白旗をあげて諦めようと思ったのが
つい先週でした・・・。

「もう無理だ。できない。」
そう諦めた瞬間に
ふっと答えがわかりました。

さて
少し話は前に戻りますが
私にはコーチがいました。

ビジネススキルではなく精神的に成長できるよう
2年間セッションを受けてきました。

困ったことがあるとき
コーチはいつも朗らかにほほ笑むのです。
まるで祝福するように。

「良かったですね。
あなたが悩んでいることは何も問題じゃないですよね。
その理由は桜井さんは知っています。
答えはいつか分かりますよ。」

私が人間関係に苦しむたびに
ニコニコしながらそう言うのです。

私は、意味が分かりませんでした。
たぶん『内観したら答えがわかる』とコーチは
そう言いたのかもしれませんが
七つの習慣は読んでいましたし
インサイドアウトの概念は分かっていました。

たくさんの自己啓発を学びました。
その学びに照らし合わせても
その意味は頭でわかっても
やっぱり腑に落ちません。

「全ての問題は自分の中にある」
それは百も承知です。

しかし、実際の場面では
「アウトサイドイン」になってしまいます。

「アウトサイドイン」に入ってしまうと
自分は悪くないような前提でものを考えます。
そう考えても現実と乖離している現状に困惑し
結局ディストレスな状態に自分で自分を追い込みます。

講師に転職したときから
人間を探求するようになりました。
そして、色々な相談も受けました。

さらに解決できないような問題が
次から次へとやってきて焦りました。

私の能力では解決できず
初めて信頼できる人に相談するようになりましたが

しかし、相談とは名ばかりで自分の正当性を伝え
味方になってほしかったのです。

言葉の中味は言い訳と愚痴ばかりでした。
そして、何も解決できないまま
自分と向き合いましたが
苦しいのですぐ悟ったように
自分を騙していました。

とにかく
CA時代には体験・経験しなかった類の
ありえないような人間の本性を見せつけらるのです。
他人の本性ではなく自分の本性をみるべきなのに
他人にばかり意識が向きました。

他人の粗探しは意味がなく
ようやく自分の問題を探す方が早道だとわかったのに
何か自己欺瞞しているようで大きなストレスでした。

ストレスと向き合う
コーチの言うことを少し理解しかけたとき
状況が変化しました。

突然
頼りにしていたコーチは本当に脳梗塞を起こし
そのまま寝たきりになってしまいました。

私はもう答えを聴くことができなくなったのです。
自分で解決するしかなくなりました。
しかも自分の限界を感じている絶望感の中で・・・。

それからです。
私の身に怒る問題はビジネスから
一気にプライバシーにシフトしました。

ずっと避けてきた
面倒な友情や煩わしい愛情という
一番不快で苦手な「情」の問題がやってくるようになりました。

激しい感情に呑み込まれるようになり、
苦しみはさらにもっと大きく複雑になりました。

苦しい分気づきも深く
腑に落ちるものばかりでした。

人と人とが本気で信じようとすると
本気で疑うようになることに気づきました。

頭で理解していても「情動」が
頭で理解を阻むことも気づきました。

思考と感情と体感覚がバラバラになり
自分を見失い停止して動くけなくなりました。

困り果てて、仕事を減らし、
大学で心理を学術的に学び
答えを必死に探しました。

そうすればするほど
さらに家族や友人とのプライベートな関係で
心の奥の醜さぶつけあうような出来事がおこるのです。

苦しさは耐えきれないものがあり
仕事に集中できなくなり
感情の渦に呑み込まれ
どこへ進むべきのなのか方向を見失いました。

それを3年にわたって体験し続けたのです。

常に諦めず
問題を課題に変えて努力してきましたが
やがて究極の本音でぶつかりあってしまい
心の傷を抉り合うような酷い言い争いまでしました。

それはまるで
ウクライナとロシアのような戦いで
お互いの心を責め続けて、
攻撃の手を緩めないのです。

ディスコミュニケーションは
誤解をベースに相手に非を探すばかりで
同じことの繰り返しでした。

しかも
私はこう考えていました。

私は悪くない。
自分は不用意に攻撃される罪なき人間。
他者が悪い。
他者が自分のエゴで私をいじめる相手が悪いのだ。

心の底では、そう感じていて
頭で理解することとは程遠いのです。

シンプルな快・不快の感覚に振り回され
その不快感は相手が原因だと
相手の非ばかりに目を向けていました。

そして
心が廃墟になりボロボロになりました。

もう限界で先がなく
大事な人間関係を諦めようと覚悟した瞬間
命を失った方がいいと苦悩した瞬間
逃げ場のない追いつめられた瞬間

自分の心の廃墟に静かに立てました。

そこに残っていた大切なものを
自分の手で拾いあげました。

それは純粋な感謝であり希望でした。

あぁ、初めて人と本気でぶつかって
自分の醜さをここまで曝け出し
相手の狡さもここまで見せつけられても
一番大切な何かを教えてくれる人と
一緒に今ここにいることは
私に必要なことだった・・・。

私は、本当に人が大嫌いでした。
子どもの頃から人間関係に距離を置きました。

私にとって人間関係はストレスでしかなく
人との付き合いは、コミュニケーションスキルを駆使して
人に嫌われない自分を演じて問題なく過ごすことを
如才なく、仕方なくやっていただけなのです。

そもそも・・・私は人が愛せません

それはたぶん
私が自分をまったく愛していないからです。

愛せないことは
一番大きな苦しみであり
私のディストレスの見えない大きな理由です。

なぜ自分を愛せないかは簡単です。

自分の中の醜い自分の本質を見たくかったし
そういう本質的な自分が大嫌いでした。

なぜ、そうなったのか。
それは幼いころに自分を愛せなくなるような
人に失望することでサバイバルするように
自分で選んだ私の脳のプログラムかもしれません。

それして
「愛」は醜く陳腐である。
それは信念であり、重要な気づきで
私の人との関係性の土台にあるものです。

ところが
廃墟になった自分の心を見て自覚しました。

大嫌いな気持ちと同じくらい
私は人に愛されたくて仕方ないのです。
私は人が恋しくてたまらないのです。
自分のことがとても大切なのです・・・。
そして、こころを開いて人を好きになりたい。

そんな当たり前のことが
知識ではなく体で理解したのは
なんとつい先週のことでした。

知識では随分前から知っているし
感情でも理解していますが
体のどこかがずっと人間とか愛を
全否定していました。

ほんの一週間前
蝶の中の蛹のドロドロような
苦しい葛藤の時代がようやく終わりました。

コーチが言っていた
いつか分かるという意味。

それは今の精神状態が答えです。
今は穏やかで
違う感覚を他人にも自分にも感じます。

私はもう一度人間関係と向き合いたい。
それが正直な今の気持ちです。

昨年の夏
全てに失望し離婚を選択しました。
長年のパートナーの心を私が突然ナイフで切りつけました。
原因を夫の中だけに探して・・・。

ところがそれでも私の心の戦争は終わらずに
新しく始めた外国での暮らしでも
もっと苦しくなるような出来事が起こり
私は人間を自分をさらに嫌いになりました。

違う価値観、違う国籍、違う場所での
ディスコミュニケーションは想像以上に辛く
真っ暗な恐怖の中に沈んで動けなくなりました。

その恐怖と正面から向き合うことが
延々と毎日続き、もうダメだと諦めた瞬間にだけ
気づけるものもあるのかもしれません・・・。

ようやく一週間前に
一筋の光をみつけました。
心が廃墟になるような一番強いストレスから
立ち上がることができました。

一旦は諦めた
外国で生活は来週から再スタートです。

新しい人間関係の中で
次に学ぶのはもう恐怖ではないことだけが
今分かっています。

ありとあらゆる心の恐怖と向き合い
陳腐な表現ですが「愛」とは何か
やっと受け入れる心と体の状態。

今は穏やかで静かです。

私が長年憎んでいた「人間」。
人が大切にする「愛」。
その二つを全否定してきたときは
単に逃げていただけです。

「恐怖」こそが「愛」を気づかせるもの。
「恐怖」は向き合うもの。
真剣に向き合った人だけが「恐怖」の正体を知ります。

キラキラ光る「愛」が自分の中にもあったことに
心の奥にため込んだ醜い恐怖が、たった一瞬で
リフレーミングされた不思議な体験。

ストレスは、人を成長させる宝物だと
腑に落ちました。

嫌うこと
憎むこと
さげすむこと
あざ笑うこと
ののしること
だますこと
ウソをつくこと
欺くこと

全て醜いことばかりで
この渦中にいるときは本当に苦しいし
悲しいです。

嫌われること
憎まれること
さげすまれること
あざ笑われること
罵られること
騙されること
ウソをつかれること
欺かれること

全てが酷い体験で
この渦中にいるときは本当につらくて
怒りを感じます。

それを学びました。

しかし
そのどちらも体験しなけば
相手の中の見えない問題を探すのではなく
自分の中の見えない問題を探す過程に移行できません。

ストレスの見えない問題
これからも探求します。

今は生まれなおした気持ちです。
それは錯覚かもしれませんが、
それでも前に進む方が
ずっと良いと思います。

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