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旅から海へ #01

旅をしない夏は何年ぶりだろう。こんなに移動しない日々を過ごすことが久しぶりなので、ずっと気持ちがそわそわしている。ここ数年ありがたいことに仕事やプロジェクトで年に数回は海外に滞在していて、旅と仕事の境界線は明確ではないけど、日常と非日常の境界線ははっきりしていた。

旅先の宿で、荷物を下ろす瞬間が好きだ。撮影機材の置き場所を決め、衣類をハンガーにかけて、窓を開ける。腕時計を現地時間に合わせる。そして、まだ1日が終わっていなければコーヒーを、終わりそうならビールを飲むために部屋に出る。ひとりでぶらぶらすることもあるし、現地の友達に電話して合流することもある。すぐ打ち合わせや撮影をすることもあるし、さらにしばらく移動が続くこともある。まさか、そんなあたりまえの旅ができなくなるなんて思ってもみなかった。

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もし自由に移動できるようになったら行ってみたい場所がまだまだたくさんある。今は想像力を存分に使って、行きたい場所、やりたいこと、会いたい人をひたすら思う日々。

さて、海の話。

以前から故郷の高知で写真を撮りたいと考えていて、いろんなタイミングがぴったり合って、海の写真を撮ることになった。わたしにとって、海は旅の原点だ。子どものころ、海のそばで育ったわけではないから、海に行くには自転車で山をひとつ越えなければならなかった。それがわたしの旅の原点かもしれない。海に行ってなにか特別なことをするわけでもない。でもただそこにいるだけで、気持ちがどこまでも広がっていくような気がした。海の向こうに、ここではない世界があることを想像するだけで、心が満たされた。

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家族で海水浴に行くのも好きだった。わたしは泳げないので、ただ父にしがみついて海にぷかぷか浮いたり、砂浜で貝殻やシーグラスを拾ったりした。当時はシーグラスという言葉も知らなかったから「びんのカケラ」と呼んでいた。今でもヒグラシの声を聞くと、海水浴の帰り道を思い出す。水から出た体の重み、心地よい疲れと眠気。世界中でいろんな海を見たけど、いつも心にあるのは高知の海の風景だった。どこか無愛想で波がゴツゴツしている海。波の音も荒いし、南の島の海みたいに遠浅でもない。いちばん好きというより、いちばんしっくりくる。

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すごく久しぶりに国内線に乗って高知に向かった。実家に帰ると相変わらず両親が競争のようにおいしいものをたくさん作ってくれるので、食べてばかりだ。まだ夏前だったので、たくさん雨が降った。高知の豪快な雨の降り方が懐かしかった。学校の帰り道にあえて傘をささずにわざと濡れたり、いつもより流れが早くなった川に葉っぱを投げ込んだりしたことを思い出す。今でも旅先で雨が降ったときに似たようなことをしているけど。

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高知の友人が黒潮町という場所でゲストハウスを始めたことを聞いて、そこに少し滞在させてもらうことになった。「黒潮の家」と名付けられたその家は、まるでおばあちゃんちのような家で「行く」というより「帰る」という言葉のほうが似合うような場所。わたしが滞在したときはまだオープン前なのでなにもなかったから息子に寝袋を貸してもらって持参した。今はきっといろいろ揃っているんだろうけど、なにもないのもよかった。それでも冷蔵庫やワイングラスはあったので困ることはなにもなかった。朝、部屋に差し込む光が美しくて寝袋にくるまってそれをじっと見つめているだけで長い時間がすぎた。

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朝起きて顔を洗ったらすぐビーチサンダルをはいて海に行くことができた。歩いて5分くらいで海。海までの道は両脇が森になっていて、木陰から朝の光が差し込むのが気持ちいい。ちょうど雨上がりの朝だったので、水をたくさん吸った森の匂いがした。

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別の朝、まだ暗い時間に森を通るのは少し怖かった。走りたくなる衝動を抑えながら、森の闇を目に入れないように、前だけをひたすら見つめて黙々と歩いた。たった5分の道なのに暗いというだけですごく長い時間に思えた。でも海の音が聴こえて、防風林が見えてくるとほっとした。

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サンダルを脱いで裸足で朝の砂浜を踏んで感触を確かめる。前日の熱が残っているのか砂は暖かくて、しっとりと湿っている。太陽が昇るのを待っていたらサーファーが2人、海に入っていった。朝の海は気持ちよさそうだった。わたしも足だけ海に浸かってみたら思ったより海水は冷たかった。

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そのあいだに空も海も波もどんどん色を変えていく。人や建物や電車や人工の光がない、こんな時間はやっぱり必要だ。子どもの頃と同じような気持ちになった。ひとりで山を越えて海に行って、なにをするわけでもなくただ海で時間をすごして、心がどんどん広がっていくこの感覚。自分の旅の原点。旅ができなくなったことでそこに戻ってこられた巡り合わせ。

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秋か冬にはもっと長く滞在させてもらって撮影をする予定。砂浜には花も咲いていて、いろんな生き物がいて、流れ着いた漂流物もあって1日中いても飽きない。そのときはまたこうして日記を書きたいと思っています。

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