見出し画像

はじめて知った、私のママの話

【私のママの特徴】

・田舎出身
当時「女が大学行ってどうするの」と親戚や周りの人にとやかく言われた。そういう田舎の雰囲気が大嫌いでとにかく都会に行きたかった。

・足が速かった
小学校6年生の時、市内の200mと徒競走で準優勝。

・バスケをしていた
ミニバスで市大会優勝した

・お姉ちゃんが一人
お姉ちゃんは高校卒業後、進学せず地元で就職。

・理系科目(特に数学)が得意だった
子供の頃一番頑張ったことは、そろばん。田舎の神童パターン。

・将来の夢は薬剤師
漫画『生徒諸君』に登場するあるカップルの彼女側のセリフ「あなたが医者になるなら、私は薬剤師になるわ!(当時、調剤薬局は一般的でなく病院の中で薬剤師も働いていたらしい)」で、薬剤師という職業を初めて知る。中学生の時、担任の先生との進路面接で「私は薬剤師になりたいです」と言ったのがはじまり。ちなみに、一緒に面接した友達は「声優になります」と言って先生は困惑していた。

・最終学歴:某国立大学薬学部
現役の時は全落ちして行くところがなかったため、一浪後進学。親戚には女なのに大学に行くために浪人することをとやかく言われたが、親は何も言わなかった(私の推測では、ママはとても頑固な人なので、おばあちゃんたちは浪人に関してママに何も言えなかったというのが実際は正しいだろう)。研究室で院生の男(私のパパ)と出会い恋に落ちる。その後結婚、私と妹たちを出産。

・就職活動
大学4年の時には、もう、薬剤師の夢は冷めており、研究を続けたいと思っていた。研究所は田舎しかなくて嫌だったため、東京の製薬会社に行きたいと教授に相談したところ、コネがあり面接にありつく。無事合格。行きたいところにちゃんと受かったため、就活はほとんど苦労しなかった。

・某大手製薬会社に就職
ザ・男社会の部署に配属。その部署には、ママ以外、大卒男性と短大卒女性しかいなかった。ママのことを、大卒男性として扱っていいのか、短大卒女性として扱っていいのか、現場は困惑。ある時は、「もっと、積極的に頑張れ」と言われ、ある時は、会議の資料をママの分だけ用意されていなかったりした(会議に出席できるのは大卒男性のみだった)。薬学部卒の研究職なのに学会にも連れて行ってもらえなかった。お茶汲みは、女性の仕事なので、当然やらされた。大卒なのにお茶汲みをやらなければいけないのが不満で、江戸川区に住む伯父さんに愚痴ったところ「そういうのは、気持ちよくやるのがいいんだよ」と言われて納得し、その後はお茶汲みの当番をしっかり全うした。
(私はママのその話を聞いて、東電OL殺人事件を思い出した。最終的に円山町の古アパートで娼婦として殺された彼女も、昼の顔は高学歴エリート女性だった。東京電力の初期の総合職女性として、特殊男性社員として扱って良いのか、お茶汲みをする他のOLと同じ扱いをした方が良いのか、どっちつかずの扱いをされていた)
他の部署では、同期の大卒女性が活躍しているところもあった。そこではもちろん、彼女たちは会議に出席でき、学会にも連れて行ってもらえていた。ママにとって、人生で一番辛かったのはこの時期で、友達の同期のところに行っては、「私って何なんだろうね。会議に来なくていいと言われるし、行っても資料が用意されていない」と泣きまくっていた。(この頃、恋人(私のパパ)は遠距離で博士に進んでいたので、彼に頼る気は毛頭なかった)
それでも一応、職場の男性は怖くて嫌な人だったわけではなく、面白くて優秀で優しい男性ばかりだった。ただ、仕事を振り分ける際の扱いが、微妙な立場だったせいで、ひどかっただけだった。
恋人の就職が東京に決まり、結婚。私を妊娠。二人の職場は離れていて、パパの職場の近くの社宅に住んでいたため、妊娠してからの通勤が吐きそうになる程しんどく、退職を決意。周りの薬剤師免許を持っている女性同期も、結構やめていた。むしろ、資格を持っていない短大卒の人の方がやめにくそうだった。
(ちなみに、私が東大に入ってから、一年生の時に同じクラスだった友達のお父さんは、ママと職場同期で知り合いだった。ママは昔の職場の友達と楽しそうにその話をしていた)

・約20年、専業主婦として子育てに邁進
開成の校長先生か誰かが、「子供に自分の話をしろ」と言っていたらしく、今日は私にいろいろ自分の話をしてくれた。それまで私は、ママが何の部活に入っているかとか、どうしてその学部を選んだかとか、聞いたことがなかった。ママは、自分の話を全然しない。「もっと自分の話、子供にした方が良いんじゃない?何か、子供に伝えたいこととか、知っておいて欲しいこととかないの?普通、あるでしょ」と聞いてみたら、「ない、全然ないね。それに、あまり自分のことを話したくないのは、正直にいうと、人生でこれを一番に頑張ったってことがないから言いたくないのよね」と言ってた。
「でも、強いていうなら、子供たちに健康で頭良くなってほしくて、薬と食事のことは勉強して頑張ってると言えるかもしれない」と言っていた。


サポートしていただけると、とても助かります! 今のところ記事は有料にしたくないのと、まだ学生の身でお金に余裕がないので、サポート費は、記事を書くためのラブホに行く資金にさせていただきます。