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【自分を考察する】「私」って何なのか

これは、「私がなぜ空想の友達を持つのか」
「彼らは私にとって、どんな意味を持つのか」
といった、
私の持つ空想の友達についての考察です。

ある意味「魔法の種明かし」であり、
タルパやイマジナリーフレンドを持つ人にとっては、読みたくない内容かもしれません。
また、そういった方々が不快に思う表現があるかもしれません。


明望、優君と順番に考察をしてきたのですが、
ここで「私」についても考察しようと思います。

そもそも、このシリーズが「自分を理解するために考察する」ものですが、
ここで言う「私」というのは、「自分自身」というより、明望のような「自分の一部」になります。

たまーに思うのです。
「明望という『本音』が分離しているのなら、『私』って一体何なのだろう」と。

この考察シリーズは「桜庭夕利」を理解するためにやっています。

でも、「桜庭夕利」としてこの記事を書いている「私」は、「桜庭夕利」の一側面でしかないかもしれない…。
どこかでバラバラになった、「本当の桜庭夕利」の一部なのかもしれない…。

そういう考えで、今回の考察はやっていきます。

 

「私」のキャラクター

さて、私は自分に対して
「私とはこうでなければいけない」
と極端に決め打っている所があります。

ざっくり言うと、
ポジティブで、いつも好調で、平常心で、頑張り屋で、何でもそつなくこなす…
要は「The良い子」
完璧主義の人が描く理想像みたいなやつです。

このイメージがずっと前からあるのか、
精神的にヤバくなった時に、
「普通でいなきゃ!!!」と、極端に振り切れた結果できたのかは分かりません。


また、私は泣く事が殆どありません。
年に1回あるか無いかです。

限界になれば泣きますが、
逆に言えばそこまでは溜め込む事になります。

代わりに明望が泣いてるのですが、
それでも処理できる分には限界があります。

元々
「他人の前で泣くのはみっともない」
「泣いたってどうせ何にもならない」

という考えがあり、
自分の部屋が無かったので結果的に
「どこでも泣けない」状態になっていました。

空想の世界でもそれは同じで、
現実ではムッとしたような表情が多いですが、
空想世界ではいつもニコニコしてます。

楽しいのもあるのですが、
「それ(笑っているの)が私」という決め打ちがあるようです。

この前、優君から「笑わなくていい」と言われました。
やっぱり無理してるみたいです。




「私」とは

「私」について、「私が私に課す理想像」
「明望という本音が分離している」事を合わせて考えると、
今の「私」とは
「周りの人間のために作った『良い子』のペルソナ」
なのかなーと思います。

とは言っても、「理想像通りでいなきゃ」という思い込みが強いだけで、
中身はそんないい人ではないです。

むしろ、「良い子」を辞めたいと思ってるのですが…

なので、正確には
「無理して『良い子』に振舞わなければと思っている自分」
と言えます。


そう考えると、明望が私から分離したのも納得が行きます。

「もう『良い子』は嫌だ!私は本音を出して生きたい!」
という自分と、
「『良い子』にしてなきゃダメなんだ!そうじゃないと、周りに何されるか分からない!」
という自分が居て、

どっちの気持ちも強くなったために、2人に分かれた
というのが私と明望なのではないでしょうか…


こうなると、どうして明望が別人格にならなくて、
あくまで主体が「私」のままなのか気になりますが、
あんまり良い考察は思いついていません。

強いて言うなら、当時の私は
「何もかも放り出して、1人で引きこもりたい」
と思っていたので、

そして、自分の部屋が無く、それが現実では叶わなかったので、
本音(明望)は現実の世界で主体を持たず、
空想の世界に留まったのかな、と思います。


短いですが、私についての考察はこんな感じです。

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