【SF掌編】何でもくっつくセロハンテープ

何でもくっつくセロハンテープ          

 N社が何でもくっつくセロハンテープを開発した。これを聞いた人の殆どは、嘘だろうと思った。“信用ならんな”、と。大体、今まで“何でも”が本当に“何でも”だったためしがないのである。だから人々は、N社の店舗の店頭にセロハンテープが山積みにされたときも、またくだらん冗談か、と思ったのだった。
 しかし、冗談ではなかった。
 何でもくっつくセロハンテープは、本当に何でもくっつけられたのである。
 紙と紙はもちろん、木と木、石と石、鉄と鉄さえもくっつける事ができた。その上、一度くっつけたら剥がすのはかなり困難だった。そのため、発売して三日後に“何でもくっつくセロハンテープを剥がす薬”が発売された。という訳で、もはやセロハンテープというより、万能薄型接着剤と言ったほうが簡単だった。
 心と心を引き合わせるという噂さえも出回った。N社はこれに便乗してCMを作った。「心と心を繋ぐ、N社セロハンテープ。あなたも大切な誰かと」
 そんな訳で、セロハンテープは売れに売れていた。しかし、その影で、動くものがあった。夜も更けに更けた夜中三時ごろ。N社の地下室で、薄ら暗い明かりが灯ったのである。地下室はいかにも地下室と言った見た目で、壁は全てコンクリートであった。いたるところに、複雑な――用途のまったく分からない――装置が置いてあった。装置はときどき、ウーンとかシューッとかいった。そして、その中心に、一人の男がいた。男は汚れた白衣に、分厚い眼鏡、ぼさぼさの白髪に無精ひげという出で立ちだ。おおよそ老人といえるだろう。――この老人は、L博士という。“何でもくっつくセロハンテープ”を発明した張本人だ。いや、まったくのところ。彼は特許をN社に奪われていた。自由になる収入を得ず、一日のほとんどをこの地下室で働いて過ごしていた。後は、実験で生まれた頭のいいネズミとチェスを打って過ごした。今もその真っ最中である。
「ほれ、どうだ。キングとルークのフォークだ」
「チュー」
「…なるほど。ではこうしよう。これでどうだ」
「チュー」
「……。いや、まだ手はあるぞ。これでは?」
「チュー」
「…………」
 博士はため息を吐いて自分のキングを倒した。そして駒を片付けながら言った。
「また負けてしまった。お前ちょっと賢すぎないか?」
「チュー」
「次はもうちょっと頭の悪いネズミをつくろう」
 チェスも将棋もバックギャモンも、オセロでさえも毎回負けてしまうのだからつまらないものである。博士はキングを弄びながらネズミに問うた。
「さびしいものだよ。朝から晩までほぼナンキン状態。研究するのはいいが結果は全てN社にもっていかれる。遊び相手はネズミ」
 博士はキングを放り投げた。キングは後ろにあった装置にぶつかり、装置は不満げに、抗議するようにプスプスと煙を上げた。
「そろそろ現状をかえようじゃないかね?」
 博士はそう言っていきなり立ち上がった。そして、部屋の隅から小型の、四角い箱のようなものを取り出した。それは床の上に置かれると、上の面に大きな穴のような、渦のようなものを生じた。まるで小さなブラックホールである。博士は眼鏡の上から保護用の眼鏡をかけてそれを見つめた。そしてぽつぽつと語る。
「これは一種の次元装置だ。まぁブラックホールのようなものだが、ここからは色々なものが取り出せる」
「チュー?」
「未来のもの、過去のもの。役に立つか分からんが、セロハンテープで釣りと行こうじゃないか」
 博士は特殊な手袋をはめた手で“何でもくっつくセロハンテープ”を長めにちぎり、それを小さなブラックホールの中にたらした。初めは、ガラクタのようなものしか釣れなかった。草履、ビー玉、靴下、リップクリーム。根気よく釣りを続けていると、取り出したものが山のようになった。
「うーん、ガラクタばかりだ。歴史的な価値が見出せそうなものといえば、貝塚の貝らしきものとか、未着火の宝禄火矢くらいだろうか」
 ネズミがガラクタの周りをチューチューと走り回った。
「…どれ、もう少し続けてみるか」
 すると、数分後に悪魔のようなものが釣れた。いや、文字通り悪魔である。そいつは身長三十センチほどで、全身真っ黒で、二本のツノを生やしている。悪魔は妙に愛嬌のある顔で言った。
「あっしを釣り上げたのはあんた?」
「いかにも」
「そうでやんすか。これはどうもどうも」
 悪魔は両手をこすり合わせて言った。セロハンテープにぶら下がったままである。博士は顎に手を当てた。
「妙に愛想のいい悪魔だな」
「そりゃ、悪魔も商売でやんすから」
「商売?」
「そうでやんす。ところで、何かお困りで?」
「悪魔に相談する事はないわ」
「そうおっしゃらずに、魂一つで何でも承るでやんすよ。永遠の命でも冨でも…」
「魂なぁ。魂などあってよかったと思った事もないし」
 ここで、悪魔がにやりとした。
「そうでやんしょ? そうでやんしょ?」
「……とか言って、魂を売ると良くない事になるという物語はいくらでもある」
「え?」
 博士はあっけなくセロハンテープを放してしまった。ひゅ~っと悪魔が黒い渦のなかに吸い込まれていく。
「あ~っ、せめてこのセロハンをとってくれでやんす~」
「自力でなんとかしてくれ~」
 博士は口に手を当てて渦に向かって言った。
「さて、釣りを続行しよう」
 博士は新しいセロハンテープを渦の中にたらした。すると、五分もしないうちに興味深いものが釣れた。それは、人だった。白衣を着て、眼鏡をかけている。博士はその男に見覚えがあった。それは三十年前の博士だった。三十年前の自分はジタバタした。
「うわっ、ここはどこだ?」
「未来のN社の研究室だ。それより、頼みがある!」
 博士はその辺にあった、普通の人が見ても何を書いてあるのかまったく分からない書類を数枚掴み取った。三十年前、博士はまだN社に協力していない。
「これは“何でもくっつくセロハンテープ”の作り方だ。これを見て同じものを発明してくれ!」
 三十年前の博士はそれを受け取ると、じーっと注視し始めた。そして、目をきらきらと輝かせた。「面白い!」
「これを元に作ってみるぞ!」
「そうか! 頼んだぞ!」
 L博士――現代の博士は、“何でもくっつくセロハンテープを剥がす薬”を使って、三十年前の博士の背中から、セロハンテープを剥がした。中年の博士は再び渦に飲み込まれていった。博士はため息を吐くと、その場に座り込んだ。
「さて、上手くいくかねぇ…」
「チュー…」
 博士は、ネズミと一緒に、いつのまにか眠りについていた。

 目が覚めたとき、博士はベッドに寝ていた。まったく見知らぬ部屋だった。白を基調とした清潔感のある、しかし生活感のにじみ出る部屋だった。ここはどこだ?
 まず枕元にあった電波時計を確認すると、朝の六時だ。日付もおかしくない。でも、自分は確かに地下室で眠り込んでしまったはずである。そこで、博士は思い出した。三十年前の自分に託したものの事を。――では、これはいわゆるタイムパラドックスというやつなのかしらん?
 そう言えば、ネズミ、ネズミは? そう思ってよく辺りを探してみると、ネズミは居た。ただ、ケースの中でカラカラと輪っかを回していた。一緒にチェスをしていたときのような知性は、もう消えているようだった。博士はそれに少しの落胆を覚えた。しかし、その直後、壁に貼ってある新聞に目が留まった。
『何でもくっつくセロハンテープ打ち上げ成功!』
 日付は二十年前だ。内容をよく読んでみると、博士は驚愕した。なんでも、“何でもくっつくセロハンテープ”があんまりにも強力になったので、手に負えなくなった人々は、それを全部ぺたぺたとロケットにくっつけて、宇宙に打ち上げてしまったというのである。
「……“剥がす薬”は発明できなかったのだろうか?」
 博士はぽつりと呟いて首を傾げた。しかし、今更考えても仕方ない。見たところ、今の生活は快適である。博士は、ぐっと伸びをして、二度寝をしようとベッドにもぐりこんだ。

 これは博士も、道行く人々も知らない事――打ち上げたセロハンテープの塊は、遠くの小さな惑星と惑星をくっつけてしまったのだった。……これが人類によって発見されるのは、まだまだ先の話である。
                             終わり



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